増田康宏六段が言っていたとしても不思議ではない1992年の「森下語録」

近代将棋1992年2月号、田辺忠幸さんの「将棋界 高みの見物」より。

 ある正月用の企画で、竜王戦で活躍中の森下卓六段と、囲碁の青木喜久代女流鶴聖との対談が実現した。

 私が司会をしたのだが、内容は森下の独演会に近く、彼の弁舌は大いに振るった。興味深い発言も多かったので、その一部を紹介してみよう。題して「森下新春語録」。

「将棋の勉強方法としては公式戦、それも竜王戦のような大一番で、とことんまで考えるのが一番です。二番目は自分一人でじっくり考えることです。三番目は仲間との研究会で、いろいろやっていますが、あれはしょせん甘いですね。なんといっても自分の頭で考えなければ強くなりません」

「江戸時代の棋譜は、はっきりいって参考にはなりません。天野宗歩のお城将棋の棋譜ぐらいは覚えていますが。将棋がはっきり強くなったのは升田、大山からですね」

「序盤、中盤、終盤と分けて将棋で最も重要なのは終盤です。序盤でいくらよくしても、中盤でいくら差をつけても、終盤で一手間違えれば負けてしまいます。よく、碁は手が進むほどだんだん手が狭くなり、将棋は逆にだんだん広くなるといわれていますが、僕は将棋も手が狭まってくると考えています。終盤になると最善手は常に一つしかないんです」

(中略)

「いくら勝っても勝ち足りない心境ですよ」

「将棋は負けると悔しいですよ。今でも盤をひっくり返して帰ろうと思うときもありますが、そこはプロですから、何でもないようなふりをして感想戦をやるんです。プロの気味ですからね」

「花村先生にはよく教わりました。先生の猛烈な攻め将棋を受けているうちに、守りを固めるタイプになってしまいました。

* * * * *

将棋マガジン1992年1月号より。

* * * * *

森下卓九段が25歳の時。

正月企画なので、まだ竜王戦七番勝負を戦っている最中の対談だったと思われる。

* * * * *

増田康宏六段の、「矢倉は終わりました」、「これ、言うと変な目で見られるんですけど、詰将棋、意味ないです」、などは、師匠の森下九段のこの時の「森下語録」を彷彿させる。

師弟間で、特にこの分野についての打ち合わせは行われていないと思うので、そういう意味では、時代を超えたシンクロと言うことができるだろう。

* * * * *

驚愕必至!増田康宏四段インタビュー(マイナビ出版 将棋情報局)