近代将棋1992年4月号、炬口勝弘さんの第17期棋王戦五番勝負〔羽生善治棋王-南芳一王将〕第1局余話「バレンタインデーの対決」より。
2月14日、棋王戦五番勝負第1局は、聖バレンタインデーに、千年の古都・京都の都ホテルで行われた。前日夕べには、全国各地から訪れた観戦ツアーの愛棋家を交え和気あいあいの前夜祭も行われた。
「気分的には挑戦者のつもりで、できるだけいい将棋を指して、公開対局に来られたお客さんにも喜んで帰っていただけたらと思っています」
と羽生棋王が決意を披露すれば、
「棋王戦はツイてる棋戦で、今回は4年連続4回目、昨年のリターンマッチです。王将戦を同時に戦っているのも昨年と同じで、王将戦も棋王戦も、みな相手は非常に強敵できついんですが、明日は一生懸命頑張ります」
と南王将が応え、壇上で握手を交わして健闘を誓いあった。
立会人の木村義徳八段の挨拶も印象深かった。
「ここ数年、青年の活躍がめざましく、タイトルも互いに取ったり取られたりの状況です。勝負は、紙一重の差から、今では0.1枚の差に縮まってきておりましてタイトルの移動も激しい。私の持論ですが、この傾向は延々と続くと思っています。20年間は続くのではと予想しております」
戦国乱世もいよいよ終わり、谷川三冠王がついに信長よろしく天下平定に乗り出すかと期待される時期だけに、この木村発言には考えさせられた。
京都の棋王戦はこれで5回目。開幕第1戦がほぼ定着した。しかも昨年に続き公開対局。
「私らの時代には考えられないことでした」
とは大盤解説を担当した元棋王の桐山清澄九段。
昨年は午後4時から終局までの公開だったが、今年はさらに出血サービスで昼休再開からとなった。これはタイトル戦史上初の試みである。しかも持ち時間は5時間から4時間に短縮された。主催社、共同通信の中野正記者からのまた聞きだが、羽生棋王は、初手からの公開でもOKと言っていたそうだ。
(中略)
午前中の対局は、佳水園・東山の間で行われた。文豪川端康成が、こよなく愛したという数寄屋風別館で庭も凝っている。裏には野鳥さえおる森が続く。ブッシュにしろレーガンにしろ、日本を訪れる外人の要人が必ず訪れるところとも聞いた。日本古来の伝統芸、将棋のタイトル戦が行われるのに、まさにふさわしい。
しかし午後からは会場を近代的なホールに移しての公開対局。観戦者は、隣の別のホールで桐山九段の大盤解説を聞くことができる。対局会場との往来も自由なのである。
「次の一手は必ず何々とこっちで解説することがありますが、あっちへ行ってもどうか喋らんようにしてください。以前あったことですが、向こうへ行って見ていたお客さんが、対局者が指したとたん、チャウ!解説の手と違うと思わず大きな声を出してしまって対局者に白い目で見られたことがあるんです」
(中略)
「お客さんには退屈させません」
前日、主催社、京都新聞の糸井記者が胸を張って言った通り、公開対局中も、隣室ではプロ棋士による指導対局(林葉直子女流王将、森信雄五段ら)や、アマ・プロ公開平手戦など盛り沢山の趣向があり、ファンを大いに堪能させた。アマプロ戦には村山聖六段対地元の京大の菊田祐司アマ名人―結果は、ファンサービス(?)でプロの負けだった。
バレンタインデーということで、当日は、いや前夜からホテルのあちこちで、チョコレートが飛び交った。女性ファンからプロへ、女流プロから若手独身プロへ……。義理チョコが多いようだったが、熱き本命がもしかしてあったかもしれない。
熊本から駆けつけた熱烈な女性ファンがいた。棋力は初段前後らしいが、公開対局場では2列目の席に陣取り一歩も席を立たず、終局まで、じっと指し手が操作される大盤特設舞台上の対局者の顔を見つめていた。彼女が熱き目差しを注いでいた棋士は、しかし負けた。わざわざ前夜祭ではチョコを渡して激励さえしていたのだったが……。
打ち上げの後、四条河原へ飲みに出た。羽生棋王、森信五段、観戦記の鈴木宏彦さん、池崎和記夫妻らと一緒だった。控え室に顔を出していた谷川竜王は、翌朝の囲碁将棋ウイークリー出演のため上京した。
「今ごろ、列車の中で”熊本の女性”は泣いているぜよ!」なんて言って羽生棋王をからかうのもいた。
都ホテルは、かつて谷川・南の棋王戦のとき、ロマンスが誕生したところ。浦野マッチが、光速流で従業員の女性を寄せ切ったのだ。今回、その思いでの地には、愛の結晶、8ヵ月のご長男を抱いて夫婦ともども顔をのぞかせ、そして夫人は控え室のオジサン達にもチョコをプレゼントしてくれたものだった。
「皇太子」谷川はじめ、南王将と、棋界には適齢期にある独身貴族が多い。大いに婚期を逃している人も何人かいる。我々は、次は誰か?谷川は年内の結婚があるとか、M六段は、まるで女性に興味がないらしいとか、そんなことを酒の肴にしてメートルを上げたものだったが、ここでは書けない。
「誰でもいい、嫁さんがほしいという気になる時はないですか?」
私は酔った勢いで森五段に聞いた。
「嫁ハンは欲しい。けど、そこまでは……。それに、私のようなもんが結婚したら、相手の人を不幸にするちゃうかと心配で」
この森五段、大の甘党でもある。その日がバレンタインデーであることも知らず、店先に珍しいチョコの数々が品ぞろえされ、山積みされているのを見て買いまくり、レジで店員に怪訝な顔をされたことがかつてあったという。まさに仙人のような人である。
翌日の早朝、羽生棋王と鈴木記者らと一緒に近くを散策した。すぐ隣の南寺(ここはかつて木村・阪田の決戦があったところ。なんと持ち時間は1週間)を見学し、哲学の道を歩いて銀閣寺まで行った。残念だったのは、まだ時間が早すぎて、とうとう名物の湯豆腐を食すことが出来なかったこと。
敗れたりと言えど、羽生棋王はもう明るく平静だった。帰京すれば、マンションには宅配便でファンからのチョコがいっぱい届いていることだろう。昨年は十数個届いたとか。
競馬や相撲のように、見るだけの将棋ファンもこれからどんどん増えていくだろう。そうしたファン、追っかけを増やせるかどうかは、まさに最年少・21歳のタイトルホルダー、羽生棋王の肩にかかっているように思う。
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羽生善治九段にとって初めての防衛を果たすこととなった1992年棋王戦五番勝負。(1990年の竜王戦では防衛ならず)
木村義徳八段(当時)の、
「勝負は、紙一重の差から、今では0.1枚の差に縮まってきておりましてタイトルの移動も激しい。私の持論ですが、この傾向は延々と続くと思っています。20年間は続くのではと予想しております」
は、半分当たっていた。
戦国時代が20年間続くのではなく、羽生棋王(当時)を中心とする羽生世代の棋士が20年以上将棋界を席巻することになる。
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「戦国乱世もいよいよ終わり、谷川三冠王がついに信長よろしく天下平定に乗り出すかと期待される時期だけに、この木村発言には考えさせられた」
谷川浩司九段は、この直後に王将位を獲得して四冠王になるが、羽生世代の棋士にタイトルを切り取られ、1996年にはいったん無冠となってしまう。
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「次の一手は必ず何々とこっちで解説することがありますが、あっちへ行ってもどうか喋らんようにしてください。以前あったことですが、向こうへ行って見ていたお客さんが、対局者が指したとたん、チャウ!解説の手と違うと思わず大きな声を出してしまって対局者に白い目で見られたことがあるんです」
今の時代にはこのようなことは起きないだろうが、公開対局ならではの珍事。
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「都ホテルは、かつて谷川・南の棋王戦のとき、ロマンスが誕生したところ。浦野マッチが、光速流で従業員の女性を寄せ切ったのだ」
浦野真彦八段が奥様と知り合ったのは、この都ホテルでのことだった。
→谷川浩司名人(当時)「この男、将棋で負かした上に何の話があると言うのだろう」
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「M六段は、まるで女性に興味がないらしいとか、そんなことを酒の肴にしてメートルを上げたものだったが、ここでは書けない」
この当時のM六段は、森下卓六段、村山聖六段、松浦隆一六段の3人。
羽生棋王、森信雄五段、鈴木宏彦さん、池崎和記さんご夫妻という2次会の面子で考えると、村山聖六段の話題であった可能性が高い。
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「この森五段、大の甘党でもある。その日がバレンタインデーであることも知らず、店先に珍しいチョコの数々が品ぞろえされ、山積みされているのを見て買いまくり、レジで店員に怪訝な顔をされたことがかつてあったという。まさに仙人のような人である」
森信雄七段らしいエピソード。
「嫁ハンは欲しい。けど、そこまでは……。それに、私のようなもんが結婚したら、相手の人を不幸にするちゃうかと心配で」
森信雄五段(当時)は、この2年後に結婚をして、素晴らしい奥様を迎えることになる。
→村山聖七段(当時)「僕は森先生が結婚することを、新聞を見て初めて知ったんです。弟子に言わない師匠がありますかねェ」
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「昨年は十数個届いたとか」
竜王を失って棋王戦で挑戦している最中のバレンタイン。
1991年2月当時の将棋界で、チョコレートが十数個送られてきたのは、将棋史上新記録だったかもしれない。
羽生九段へ送られるチョコレートはその後もどんどん増え続け、1995年2月には日本将棋連盟気付だけでも数え切れないほどのチョコレートが送られてきた。
しかし、婚約を発表し、七冠王目前、結婚を翌月に控えた1996年2月に送られてきたチョコレートは、そこそこ多かったものの、前年比ではかなり激減したという。
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「今ごろ、列車の中で”熊本の女性”は泣いているぜよ!」
羽生棋王は、この第1局では敗れたが、3勝1敗で防衛を果たす。
七冠王になった日も2月14日、七冠に向けて、初めての防衛を果たすタイトル戦の第1局も2月14日だったことになる。
ところで、なぜ土佐弁の会話になっているのか分からない。
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この日の村山聖六段の控え室での検討風景