近代将棋1992年5月号、池崎和記さんの「福島村日記」より。
某月某日
A級順位戦最終戦を見に関西将棋会館へ。唯一の大阪対局、内藤-南戦は6時26分に、あっさり終了した。中盤はかなり難解な形勢だったが、内藤九段に見落としがあったらしく、その後は勝負どころがなかった。
感想戦で「まだ……と指すところだったね。本譜は見てるほうも、やってるほうも面白くなかった」と内藤九段。”見ているほうも”とは内藤九段らしい。
打ち上げには両対局者の他、森安九段と淡路八段が出た。顔ぶれを見ると幸せな人はほとんどいないが(南さんは棋聖と王将位を失ったなかり)、席はにぎやかだった。
内藤「来年はB1の打ち上げをやってもらおう」
毎日新聞の福井記者「検討します」
淡路「B2は、やらないんですか」
何とも苦いジョークだが、私は性格が素直(無神経?)なのでアハハと笑う。
内藤「王将戦は指し込み制を復活すべきですよ。そのほうが絶対、面白いんやから。でも、そうなったら、挑戦者になるの、勇気いるなァ」
内藤九段はよく飲み、よくしゃべった。
「この世で一番割りの合わない仕事をしているのは、詰将棋で長編を作ってる人やね。二番目が歌手」と言い、それから私のほうを向いて「三番目は、文章を書いている人かな」。
九段は一昨年から歌手活動を再開し、新曲も出しているが、例えばシングルが1枚売れた場合、自身に入ってくるお金は2円にも満たない(!)そうだ。
打ち上げのあと、内藤九段、森安九段、淡路八段とスナックへ。私は東京のA級順位戦が気になって仕方がなかったが、内藤九段に直々に誘われては行く一手。
森安九段はマイクを離さない。内藤九段も請われて2曲歌った。下戸の淡路八段はボックスの隅で「生きているのが辛い」と言い、私は若い美女のオッパイを触っている(こちらが望んだのではなく、先方が”あたし、胸には自信があるの。触って”と言ったから触ったのだ)。
酒場の、こういうアナーキーな雰囲気は、悪くない。私たちが東京の結果を知ったのは午前2時ごろだった。
某月某日
関西将棋会館で棋王戦第4局を取材。打ち上げのあと羽生さん、谷川さんらと2次会へ。「南君がかわいそうや。みんな四冠王と棋王が悪い!」と神吉さんが言う。反論はなかった。
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内藤國雄九段の「来年はB1の打ち上げをやってもらおう」と淡路仁茂八段(当時)の「B2は、やらないんですか」。
二人には、9年前にもやや似たような苦いジョークが飛び出している。
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「この世で一番割りの合わない仕事をしているのは、詰将棋で長編を作ってる人やね。二番目が歌手。三番目は、文章を書いている人かな」
そのことが好きでやることほど、割りに合わない仕事になる傾向があるのかもしれない。
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南芳一九段は、この年の初めまでは棋聖・王将の二冠だったが、両方とも谷川浩司竜王・王位(当時)に奪われている。
そのような中で南九段は棋王戦の挑戦者となったが、羽生善治棋王(当時)に敗れている。
「『南君がかわいそうや。みんな四冠王と棋王が悪い!』と神吉さんが言う。反論はなかった」
この場面で、「いえ、そんなことはありませんよ」と言うと、南芳一九段が悪かったことになってしまう。
勝負なのでもちろんそのようなことはないし、かといって「世の中が悪いんです」と無責任なことも言えず、ここは沈黙の一手しかない状況だったのだと思う。