将棋マガジン1992年8月号、「たかが奨励会 されど奨励会」より。
鈴木大介三段
昭和49年7月11日生まれ。61年6月に研究会より6級で編入。血液型A型。
彼は、仲間内のつき合いが良く、人気者だ。
野月初段、田村三段と仲が良いようだが、勝負となると意地の張り合いになる。
特に田村三段とは、同門という事もあってライバル意識が強い。
二人とも、奨励会員にしては、早指しの部類に入る。
しかし、奨励会での二人の対戦となると、お互い相手を意識するせいか、進行が遅い。
鈴木三段の棋風は、師匠譲りの豪快な振り飛車党で、勝ちっぷりの良さには、驚嘆するものがある。
逆に負ける時は、手が見え過ぎてなのか、自分で転んで、自爆するような負け方が多い。優勢な時は、手が伸びて勢いを感じるのだが、不利になった時は、くさってしまうのか、早々と諦めてしまう。
そんな彼も、三段に昇る少し前から将棋の質が変わってきたようだ。
一局一局を大事に、劣勢の将棋も諦めずに、絶対に逆転してみせるんだという気迫が出て来た。
はやり、ライバルであり、弟弟子でもある田村三段が追いついてきた事の影響ではないかと思う。
最近の若手にしては、珍しく勝ち方に美学を持つ関東期待の新三段である。
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いかにも鈴木大介九段らしい奨励会時代。
「鈴木三段の棋風は、師匠譲りの豪快な振り飛車党で、勝ちっぷりの良さには、驚嘆するものがある」
鈴木大介九段は、師匠の大内延介九段の棋風を最も強く受け継いでいると言って良いだろう。
「竜を切る時が一番気持ちがいい」と聞いたことがある。
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鈴木大介九段の名前の大介は、師匠の大内延介九段の名前から2文字とられている。
鈴木大介九段のお父様はイラストレーターの鈴木康彦さんで、大内九段の教室に熱心に通っていた。
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「特に田村三段とは、同門という事もあってライバル意識が強い」
次のようなこともあった。
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公私ともに非常にストイックだった深浦康市四段(当時)とのエピソードもこの頃のこと。
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鈴木大介三段は、この2年4ヵ月後、1994年10月に四段に昇段する。
同じ振り飛車党の藤井猛九段は「最も実戦の数が少なくて奨励会に入った棋士」と言われており、鈴木大介九段は「最も実戦の数をこなして奨励会に入った棋士」と言われている。
→「最も実戦の数が少なくて奨励会に入った」棋士と「最も実戦の数をこなして奨励会に入った」棋士