近代将棋1992年8月号、谷川浩司四冠(当時)の第60期棋聖戦五番勝負第1局〔対 郷田真隆四段〕自戦記「粘りも届かず」より。
満を持して、といった感じで郷田四段が勝ち上がってきた。四段でのタイトル挑戦は、屋敷六段に続いて二人目である。
21歳、棋士になってまだ2年ちょっとではあるが、棋聖戦の挑戦者決定戦は三度目の正直。意外ではない。
と言うよりも、この本が出る頃には、王位戦の挑戦者になっているかもしれないのである。
過去の実績や段位はもう通用しない。大事なのは、「今」強いかどうかだけなのである。
(中略)
実は、郷田四段とはこれが初手合である。タイトル戦で顔を合わせるまで対局なし、というのも珍しい。それだけ、こちらは予備知識が乏しいわけである。
純粋の居飛車党ではあるが、矢倉だけでなく、角換わり、相掛かり、ひねり飛車など多彩にこなしている。
また、長考派である事は知られているが、羽生棋王、森内六段に代表される、彼らの世代特有の勝負に対する辛さは、あまりないようだ。
大物キラーであることも、私には気になる点だった。対中原名人4連勝の他にも、加藤九段3勝1敗、米長九段2勝、羽生棋王1勝、福崎王座1勝、南九段1勝1敗。堂々たる成績である。
(以下略)
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「21歳、棋士になってまだ2年ちょっとではあるが、棋聖戦の挑戦者決定戦は三度目の正直。意外ではない。と言うよりも、この本が出る頃には、王位戦の挑戦者になっているかもしれないのである」
この谷川浩司四冠(当時)の予言は当たり、郷田真隆四段(当時)は王位戦の挑戦者となる。
「過去の実績や段位はもう通用しない。大事なのは、今強いかどうかだけなのである」
羽生世代の棋士の台頭が、四冠王をして、このような言葉を言わしめた。
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「長考派である事は知られているが、羽生棋王、森内六段に代表される、彼らの世代特有の勝負に対する辛さは、あまりないようだ」
この場合の勝負に対する辛さは、必敗の局面になってもなかなか投げない、というようなことを指しているのだと思う。
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この棋聖戦第1局は郷田四段が勝った。
しかし、その後、谷川棋聖が3連勝して防衛を果たす。
ここから少し後に開始された王位戦七番勝負では、郷田四段が4勝2敗として、王位を獲得することになる。
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谷川四冠(当時)は、この頃に行われた女優の吉川十和子さんとの対談で、「すっかり、私の方が仇役ですよ」と嘆いている。
→谷川浩司竜王(当時)「私も棋聖戦というタイトル戦で、郷田君というジャニーズ事務所のタレントのような棋士に挑戦を受けています。すっかり、私の方が仇役ですよ」
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「実は、郷田四段とはこれが初手合である」
ところが、郷田四段にとっては、
「昔、奨励会時代の僕はですね、谷川先生の記録を取っていて不覚にも寝てしまったことがありました。そのとき、谷川先生が僕の頭を扇子でポンとたたいて起こしてくれたのがいい思い出です」
という思い出があった。