将棋世界1992年11月号、「公式棋戦の動き」より。
JT将棋日本シリーズ
羽生-大山戦は羽生の不戦勝となったのでかわりに特別対局として羽生-中原戦の公開対局が行われた。
先手の羽生が大山十五世名人が愛用していた四間飛車に振ると、中原は棒銀戦法を採った(最近の中原は殆ど棒銀を指さない)。
タイトルを懸けて戦った頃の大山-中原戦で一番多く見られた戦型となったが、勝負は中原の攻めがやや無理だったようで、羽生がうまく指して勝ちを収めた。
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大山康晴十五世名人は、6月14日、JT将棋日本シリーズ1回戦で小林健二八段(当時)に勝って2回戦に進出を決めた。
2回戦の相手は羽生善治棋王(当時)。
しかし、大山十五世名人は7月7日に入院、7月26日に亡くなる。
本局は、2回戦が行われる予定だった8月30日、静岡市の会場で公開対局が行われた。
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「先手の羽生が大山十五世名人が愛用していた四間飛車に振ると、中原は棒銀戦法を採った」
羽生善治九段は、タイトル戦などで、立会人の棋士が得意とする戦法を採用することも多い。
この日も、本来の対戦相手であった大山十五世名人への追悼の意を込めて、大山十五世名人が最も愛用していた四間飛車を指したのだと考えられる。
対する中原誠名人も以心伝心、中原名人が大山十五世名人から名人位を奪取した1972年の名人戦で、7局中3局採用した棒銀で戦う。
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1972年の名人戦では、
- 第2局 中原十段(棒銀)●-大山名人(中飛車)◯
- 第3局 大山名人(四間飛車)◯-中原十段(棒銀)●
- 第5局 大山名人(四間飛車)◯-中原十段(棒銀)●
と、中原十段の棒銀が破られ続けていた。
そこで中原十段は開き直って、第6局、第7局と振り飛車を採用、名人位を獲得した。
大山振り飛車VS中原棒銀というと、やはり1972年の名人戦を思い出す。
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1図は1972年名人戦第5局、後手の中原十段が△7二飛と寄った局面。
ここで、大山名人が絶妙手を放つ。
1図以下の指し手
▲8五金(2図)
中原十段は自戦記で次のように述べている。
「それにしても△7二飛は、高めの好球といってよい。▲8五金のホームランを打たれるまで気がつかなかったとは、自分ながらどうかしていたと思う」
「2図で、専門的にいえば、この将棋は終わっているのである。大山名人に▲8五金を指された瞬間、私自身も直感的にもダメだ、と思った。取り返しがつかないのである」
▲8五金に対して、
- △同銀は▲3三角成△同桂▲7二飛成
- △7六歩は▲3三角成△同桂▲8四金
- △8二飛は▲3三角成△同桂▲7一飛成△7三銀▲7四歩△8五飛▲7三歩成
- △7五銀は▲8六角△7六銀▲3一角成△同金▲6一角
で、それぞれ先手勝勢。
本譜は△7三銀▲7四歩△6二銀▲5九角と進んだ。
中学生の頃に見た局面だが、いまだに強く印象に残っている。