真剣師を志願した中学生

近代将棋1992年9月号、池崎和記さんの「福島村日記」より。

 木村義徳八段を通天閣将棋センターに案内する。前々から木村先生に「大田さんにお会いして、昔の真剣師時代の話をお聞きしたい。紹介してくれませんか」と言われていたのだ。

 大田さんは数日前に体調をくずして、病院で検査を受けたばかり。幸い、異常はなかった、と聞いてホッとする。

 大田さんの真剣師時代の話は、すでにあちこちで書かれているし、私自身も書いたことがあるけれど、今回、初めて聞く話もたくさんあった(いずれ機会があれば紹介したいと思う)。

「こないだ、面白いことがありまして」と大田さんが笑って言う。何でも、中学生の男の子が、母親に連れられて訪ねて来たんだそうだ。

私「母親同伴で、ですか」

大田「それがね、”真剣師になりたいから、弟子にしてください”って言うんですよ」

私「ハハハ、それは面白い」

大田「ビックリしましたよ。こんなこと言われたの、生まれて初めてです」

 少年は映画「王手」(大田さんも出演している)を見て、真剣師になろうと決心したらしい。

私「どう返事したんですか」

大田「もちろん断りましたよ」(笑)

 真剣師の時代は、とっくに終わっているのだ(映画はフィクションです)。それにしても母親同伴の真剣師志願とは驚いたネ。

 大田さん、木村先生と別れてから、私はジャンジャン横丁の三桂クラブへ。四段の人と3局指して2勝1敗だった。

大田学さん。近代将棋1997年7月号より。

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『仁義なき戦い 代理戦争』で、広能昌三(菅原文太)のもとに、倉元猛(渡瀬恒彦)が母(荒木雅子)と中学時代の恩師(汐路章…倉元、広能の恩師)に連れられてやってきて、恩師が「こんなの下で極道修行さしてみちゃってくれんかのお」と広能に頼むシーンがある。

状況は全く異なるが、少しだけ、このシーンを思い出した。

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中学生にして、自分のなりたい職業を見つけたというのは立派だが、あまり味の良くない職業だったということになる。

映画『王手』は1991年に公開された。

監督は阪本順治さん、主演の真剣師は赤井英和さん、脚本は後に『泣き虫しょったんの奇跡』で監督・脚本を務めることになる元奨励会員の豊田利晃さん。

若山富三郎さんの遺作となった映画でもある。

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私も小学生の頃、『宇宙家族ロビンソン』というアメリカのテレビ番組を見て、天文学者になりたいと思ったほどだった(中学2年までそう思っていた……)ので、映画を見てその職業に憧れる気持ちはとても理解できる。

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ちなみに、宇宙関係のドラマや映画を見て、天文学者になりたいと思う人と、宇宙飛行士になりたいと思う人、二派に分かれるという。

心理学的に、この二派の違いがどのようなものなのかは興味がある。

それはともかく、映画を見て真剣師になりたいというのは、宇宙関係の映画を見て宇宙人になりたい、と思うのと同じ世界かもしれない。

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大田学さんは「最後の真剣師」と呼ばれていた。

この頃は、通天閣将棋センターで1局500円で指導対局をしていた時代。

大田さんには三度ほどお会いしたことがあるが、大田さんは非常に紳士で人あたりが良く、真剣師とは思えないような雰囲気だった。

もっとも、そのような営業センスがなければ真剣師を長く続けることができなかったわけで、将棋が強いだけでは真剣師にはなれないということが理解できた機会でもあった。

羽生善治棋王(当時)のジャンジャン横丁(前編)

羽生善治棋王(当時)のジャンジャン横丁(後編)