佐藤康光竜王(当時)「これ、買ってきました。あとで食べましょう」

将棋マガジン1994年4月号、木屋太二さんの「新竜王訪問記 ヴァイオリン、パソコン、桜もち」より。撮影は弦巻勝さん。

シンプルライフ

 京王線明大前。改札口で、カメラマンの弦巻勝さん、編集長の萩山徹さんと待ち合わせる。2月1日、雨。寒い。駅前には、数日前に降った雪が積もっている。

 これから、佐藤新竜王の案内で、竜王の家へ行こうというのである。

萩山「今日は何でも聞いちゃってください。佐藤竜王のすべてを読者に伝える特集ですから」

弦巻「よーし、俺もいい写真を撮るぞォ」

 みんな気合が入っている。仕事に燃えている。

 待つほどもなく佐藤竜王がやってきた。

「これ、買ってきました。あとで食べましょう」

 右手に持った紙包み。包装紙からして、一見和菓子風。客をもてなすこの心配り。若いに似ず、気が利いているじゃありませんか。

 佐藤竜王の家は、駅から10分ほど。少し歩いたところで、早速「この辺で一枚」と弦巻さんパチリ。

「佐藤さんを撮るときは、いつも雨だなあ」と弦巻さん。新竜王誕生の舞台となった山形県の天童。そこでの撮影も雨だったらしい。

「甘酒」と大きく書かれた看板の前の信号を渡る。車の往来が激しい。甲州街道だ。

「この道路が区の境で、あっちが世田谷区、こっちが杉並区」

 対局場で会うときの佐藤竜王は、きわめて寡黙で、朝のあいさつ以外は、ほとんど口を開かない。それだけ、すばらしい集中力の持ち主ということだが、プライベートでは、よくしゃべってくれる。この調子なら、いい話が聞けそうだ。

―実家は東京の多摩市。半年前にアパートを借りた。

―初めはよく家に帰ったが、今は全然。突然母がやって来て掃除とか洗濯をしてくれる。

―将棋連盟へは京王線で新宿へ出てJRに乗り換えて千駄ヶ谷というコース。30分で着く。

―現在24歳。ガールフレンド募集中。

 歩きながらの取材。佐藤竜王は、記者の発する質問に真面目にこたえてくれる。手ごたえは十分。

 国道をそれて住宅地に入る。やがて、マンション風アパートに辿り着いた。ここが佐藤竜王のすみかだ。

 階段を上がって2階へ。ドアを開けると左手にキッチン、右手にバス、トイレ。正面奥がフローリング形式のワンルームになっている。真新しい。

「新築なんです。そこが気に入って決めました」と佐藤竜王。

 部屋が、ばかに広く感じるのは、家具がほとんどないからだ。パソコン、本箱、小さなテーブル。まさにシンプル。シンプルライフだ。

 若い独身男性の部屋にはベッドがあるものと勝手に想像していたのだが、「ぼくは布団で寝るんです。そこの押し入れに入っています」とのこと。佐藤竜王は案外きれい好きで、洋服やネクタイなどは、きちんと目立たぬところにしまっているのかもしれない。一糸乱れぬ部屋のレイアウトは竜王得意の矢倉の駒組みを思わせる。

「今、お茶を入れますから」

 佐藤竜王がキッチンへ消える。その間に本箱をのぞく。やはりというか当然というか、将棋の本がびっしり。

「米長の将棋」「中原誠実戦集」「升田将棋選集」「大山勝局集」「山田道美将棋著作集」「羽生の頭脳」「竜王戦シリーズ」「相がかりガイド」「鷺宮定跡」「世紀末四間飛車」「将棋年鑑」。

 まだまだあるが、このくらいにしておこう。

 別の棚に目を移すとCDが数枚。メンデルスゾーン、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(千住真理子)。鈴木鎮一ヴァイオリン指導集123などなど。

 佐藤竜王の趣味はヴァイオリンを弾くこと。今日は写真撮影のために一曲聴かせてもらうことになっている。楽しみ。

 お茶請けは、先ほど竜王が買ってきた和菓子。包みを解くと、プンといい香りの桜もち。インタビューの前に大の男4人が桜もちを食べる。それも良き哉である。

竜王就位式

 話は昨日(1月31日)に戻る。

 東京・大手町の読売新聞社で竜王就位式が行われた。主役は、もちろん佐藤竜王である。

 将棋界の最高棋戦にふさわしく、会場には大勢の人が集まった。各クラス優勝者にメダルの授与。そのあとゲストのあいさつ。

 音楽家の岩淵龍太郎さん。

「モーツァルト、シューベルト、ベートーベンといった作曲家は10代、20代で大傑作を残している。若さには力がある。将棋界では、それが佐藤竜王の誕生となって現れたと思う。先年、駒音コンサートで佐藤さんのヴァイオリンを初めて聴いた。ロジカルで情緒過多にならず、最後の一音に至るまでまっしぐらに弾いた。絶対に切れない強靭さは専門家を驚倒させた。クラシック界は有能な人材を将棋界に持っていかれた」

 推理作家の内田康夫さん。

「昨日から帝国ホテルに泊まって、この日に備えた。将棋は好きで、よくNHK杯戦を見る。先日、佐藤竜王の対局があったが、詰むかどうか分からない局面から竜王が見事に詰ました。あれにはうなった。将棋界もスリムで美しい男性が現れると女性ファンも増える。そういう状況をファンのひとりとして楽しく見ている」

 各界の一流人が佐藤新竜王を讃える。最後に佐藤竜王が壇上に上がり、謝辞を述べた。

「私にとっての竜王戦は、思い出も多く、ツキのある棋戦です。竜王戦が発足した当時、私は新四段。こんなに早くビッグタイトルを獲得できるとは思いませんでした。羽生さんとは同期生で、おなじ時期に修行した間柄ですが、実績、実力において、だいぶ先行されていました。今回の結果で、その差を少し詰めることができたかと思います。実力をつけ、将棋を強くなりたい。この気持ちは奨励会時代から変わっていない。タイトルを取って、正直とまどっていますが、さらに実力をつけ、竜王位にふさわしい地位を築いていきたい。この気持ちを忘れないように―」

 堂々としたあいさつ。佐藤竜王がマイクから離れると、会場は万雷の拍手に包まれた。

 二次会のパーティーでは、師匠の田中魁秀八段が乾杯の音頭をとった。

「そら嬉しいですわ」と満面笑みの田中八段に佐藤竜王の少年時代、今度の竜王戦前後のことを訊いてみた。

「佐藤君が小学校4年のころやったかな。今、私は奈良に住んでますが大阪の枚方にいたとき3駅向こうの樟葉というところから佐藤君、私の教室に通ってきてましてん。来たときから割と強かった。そのうち、母親が、プロになりたいと言っていますがと相談にきて、それなら才能もあるし個人的にレッスンしましょうということになった。当時の佐藤君は弱いなりに攻めも受けもしっかりしていた。ほめると天狗になるので本人には言わへんやったけど、両親には見込みあると話した。おとなしい子で騒いだりすることはなかった。落ち着いているのは今と変わらない。こどもらしくない子どもでしたな(笑い)。一流棋士になる予感?そら、ありましたよ。予感というよりも確信に近かった。将棋の考え方に柔軟性があって、質的に高い。兄弟子の福崎君とは異質の強さがあると見ていました。佐藤君が竜王戦の挑戦者に決まったときはエエ勝負と思っていた。羽生さんは五冠王で絶好調。ブランドがあるのでひょっとしたらあかんとも思ったけど、タイトルを取って欲しいという気持ちも強くて……。竜王になったその日に佐藤君から電話をもらった。『おかげさんで』と。ご両親が喜びなさってなあ。佐藤君が四段になったとき対局料を見て、これで食べていけるのかと本気で心配したらしい。それもすぐに解消しましたが……。よかった。ホンマに嬉しいですわ」

 師匠が弟子に祝福の手を差しのべる。師は弟子を想い、弟子は師を想う。それは、すばらしい光景だった。

(つづく)

* * * * *

「これ、買ってきました。あとで食べましょう」

佐藤康光竜王(当時)の心遣いが嬉しい。

* * * * *

「今、お茶を入れますから」

この時代、すでにペットボトルの日本茶が発売されていた。

それにもかかわらず、熱いお茶を用意するのだから、独り暮らしの男性とは思えないような格調の高いもてなし。

佐藤康光九段は、最近のイベントでもファン向けにコーヒーを淹れることがあるが、このようなもてなしが昔から身に付いているのだと思う。

佐藤康光九段らがバリスタ姿に大変身!?「SHOGI CAFÉ in PRONTO」をご紹介(日本将棋連盟)

* * * * *

「包みを解くと、プンといい香りの桜もち。インタビューの前に大の男4人が桜もちを食べる。それも良き哉である」

もっと手軽なクッキーやシュークリームなどがあるなか、なぜ桜もちだったかの疑問が残る。

最も考えられることとしては、明大前に気になる和菓子店があったということ。

しかし、それならそれで、饅頭や団子や大福などがあるなか、そこをあえて桜もちにした理由がわからない。

佐藤竜王が桜もちを嫌いではなかったということは確かなのだろう。

左党の代表格のような弦巻勝さんが、どのような顔をして桜もちを食べていたのか、考えただけでも可笑しくなる。

* * * * *

この頃は将棋一筋だった佐藤竜王。

自ら能動的に「ガールフレンド募集中」と言ったとは考えづらい。

「ガールフレンドは欲しくないですか」の問に「ええ。それはまあ」のように答えて、このような表現になったのだと思う。

* * * * *

「佐藤竜王の趣味はヴァイオリンを弾くこと。今日は写真撮影のために一曲聴かせてもらうことになっている。楽しみ」

公の場以外で佐藤康光九段がバイオリンを弾いている姿を撮った写真は非常に珍しい。

* * * * *

音楽家の岩淵龍太郎さんの「クラシック界は有能な人材を将棋界に持っていかれた」は絶妙な祝辞。

いろいろな場面で応用できそうな言葉だ。

* * * * *

「師匠の田中魁秀八段が乾杯の音頭をとった」

田中魁秀八段(当時)は本当に喜んでいたことだろう。

佐藤康光九段の入門時代

師匠とのエピソードは明日にも続く。