森雞二九段の大親友

将棋世界1983年9月号、たつの香太さんの「女流棋士のお手並み拝見 千家和也氏VS神田真由美女流1級 千家センセイ無念の敗戦」より。

 千家和也さんの御高名は、もちろんかねてから知っていた。

 クールファイブの”そして神戸”、山口百恵の”としごろ”や”ひと夏の経験”、西川峰子の”あなたにあげる”……千家さん作詞のヒット曲はじ数十、数百に及ぶ。しかも最近は本名・村越英文の名で小説家としても売り出していることも知っていた。

 それが失礼ながら千家さんが将棋ファン、それも立派な有段者であることは知らなかった。

 森雞二八段から千家さんの名を紹介された時には、なお失礼なことに古賀政男さんや遠藤実さんの顔を思い浮かべてしまった。

 歌謡界の先生プラス将棋というイメージからなんとなく思い浮かべてしまったのだけどとんでもない勘違いである。

 対局当日、将棋会館に現れた千家さんは、スラリとした長身に浅黒い顔。どう見ても作詞家というより、プロゴルファーである。聞けば森八段とは同じ歳の親友というから、えらい勘違いをしたものだ。

 千家さんの人柄はこのあとの自戦記を読んでいただければ分かるが、正直で実にきさくな方である。対局を電話でお願いした時も「わかりました。今日から対局日まで、将棋一筋でがんばります」とこうである。

 しかしその千家さんから対局開始前に「言ってくだされば、若い女性歌手の2、3人応援に連れてきたんですが」と軽い調子で言われてガビーンとなった。さすが大作詞家のセンセイである。

 それにしても千家さんもつれない。”言ってくだされば”なんて。こちらこそそれを先に言ってくだされば何度でもお願いしたかった。中森明菜ちゃんに柏原芳恵ちゃん、せめて松本伊代ちゃんでもいいから連れてきてほしかった。

 そして神田真由美ちゃんのために美男子歌手を一人連れてくれば、真由美ちゃんの指し手も少しは違っていたかもしれない。

 そう、その真由美ちゃんについても触れなくては。この真由美ちゃん、いつも陽気なことからルンルン真由ちゃんなんて仲間から呼ばれる人気者である。笑顔がとっても可愛い。そろそろ適齢期だから結婚の話が気になるけれど「申し込みはまだしめ切っていません」とのこと。

 女流棋戦では、林葉直子ちゃんや中井広恵ちゃんの活躍の影にかくれているが、筋はしっかりしているのだから、コンスタントに力を出せるようになればもっと勝てるはずである。彼女のプロデビュー戦を観戦した河口俊彦五段が「オレと同じ読みをしている。強い」と感心したのは有名な話。調子のいい時はすごい力を出すのである。

 そして、これが千家さんにとって運の悪いことにこの日の真由美ちゃんは絶好調だった。しかも振り飛車の穴熊に対する速攻というのは彼女がもっとも得意にしているパターンなのである。千家さんが力を出せなかったというより、真由美ちゃんがうまく攻めて力をださせなかったというべきであろう。

 ただし、一つだけ千家さんに注文をつけるとすれば1図の局面。ここで▲6五歩はどうしてもいただけません。ここは何があっても▲8八歩と打つ一手。これで次に▲7六金とさばけば、穴熊だから十分勝負である。この歩だけは絶対に打たなくちゃいけません。

 とこういうことをえらいセンセイに言えるのも将棋の世界のよさである。将棋界にいてよかった!松本伊代ちゃんに会えたらもっとよかった!

 千家さんに一つうかがった。

「我が美人女流棋士が歌手として売り出すわけにはいきませんか」

「芸能界はきびしいですよ」

…やはり棋士は将棋界にいるのがよさそうである。

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将棋世界1983年9月号、千家和也さんの自戦記「将棋 悔いてどうなるのか」より。

 午後1時の約束を、11時40分には将棋会館に着いてしまった。いくら何でも早すぎるから、どこかで時間潰しをとも考えたが、逸る気をおさえきれず、ともかく<将棋世界編集部>を訪れてみた。

 一見、大学医学部(ほら、白衣を着て、モルモットの解剖に日夜明け暮れている感じの……失礼)を思わせる、担当者の鈴木さんに、挨拶のあとでこう告げられた。

「のちほど、森先生も、お見えになります」

 森雞二八段と僕とは、オレオマエの仲である。年齢が同じで、名前をお互い呼び捨ての付合をしている。妙にウマが合う。つるんで悪さばっかりしている。(もっぱら僕が)

 僕が先に死んだら、棺桶を担いで貰うつもりでいる。森が先なら受付に立つ。持場が何故違うかという理由は、簡単である。香典をどうするか、のことがあるからだ。

 何を隠そう、実は昨夜も一緒に呑んでいたのだ。僕なりに練ってきた作戦を打ち明けた。作戦といっても、指手に関する高等戦術なんかではない。土台、僕の棋力では、そんなのできっこない。

 ナントカシテ、棋譜ヲ二枚目ニマデ、持チ込ミタイ

 この一心である。余分な説明だろうが、記録用紙1枚に書ける手数は80手である。80手を越えると2枚目が要る。つまりそこまで、81手以上までは指したいのである。負けるのは端っからわかりきっている。しかしその場合でも、手数が多ければ、一寸見には善戦ととられるんじゃなかろうか。(我ながら、何とサモシイ根性だろう)。

 そのためにはどうするか。これしか指せないから、振り飛車でゆくと決めてある。

「いろいろ考えたんだけどさ、穴熊ってのはどうだろう。穴熊だと駒組みだけで、10数手はかかるじゃない。ってことは神田さんも、同じだけ手数を指すんだから、計40手近くにはなるだろう。あとコチャコチャやって、何とか81手まで、いいだろう、この作戦」

 森は、僕の顔を見ようともせず、早いピッチでハイボールをあおっていた。3軒ほどハシゴして、別れ際になって、

「おそらく真由美ちゃんは、居飛車でくると思うよ。それと、女流は、往々にして攻め将棋だから、注意して」

 とだけ、助言してくれた。そして、

「3時頃には顔を出すから、頑張れな」

 と言い残して、銀座の人混みに消えた。いつもなら途中までタクシーの相乗りをするものを、今日に限ってやけに冷たい気がした。

 今思うに、森は”オマエ、そんな甘い考えが通用すると思っているのか”と、言いたかったに違いない。

 いや、本当は僕をぶん殴りたかったのかもしれない。

 棋士の自分と、これだけ付合いをしていながら、将棋の何たるかを少しもわかっていない、馬鹿野郎と。だが、それをすると、対局を翌日に控えた僕がどうなるか、を思ってくれたに違いない。(森、済マン。決してそんなつもりはなかったのだが。そして、ありがとう。お返しと言っちゃ何だが、葬式の受付は立派にやってみせる)

 定刻の1時少し前、対局室に入ると、妙齢の美人が、いた。(断っておくが、常日頃、歌手のカワイコチャンを見慣れている僕が、美人だと言うのだから、間違いない)。

 中瀬奈津子初段、であった。中瀬さんとは以前某男性誌の企画で角落を指して貰ったことがある。(やはりコテンパンだった)。

 挨拶の声をかけると、例の鼻の両わきをすぼめた笑顔が返ってきた。(毎週日曜日、午前11時からのNHK教育テレビで、あなじみのあの笑顔である)。

 応援にきてくれたのかと、一瞬喜んだら、

「今日は記録なんですよ」

 と言われて、ガッカリしつつ納得した。

 白状してしまう。この対局が決まってすぐ、僕は中瀬さんに葉書を差し上げた。”昔のご縁です、応援にきていただけませんか”と。折り返しお葉書を頂戴した。”伺いますが、神田さんと私は、女流棋士の中でも特に親しいので、彼女の応援をしてしまうかもしれません”とあった。(念のため、文面はもっと丁寧である)。それでも中瀬さんは、

「千家先生、がんばってくださいね」

 と言ってくれた。やっぱり嬉しくなった。

 そこへ、神田真由美さんが入室してきた。あれっ、と思ってしまった。二人が、どことなく似ているのである。顔かたちから身のこなし、かもし出す雰囲気までもが。連盟の人ですらよく間違える、とあとで聞いた。

 ということは、どうなるか。読者のみなさん、どうかその場の光景をご想像願いたい。僕は、日本将棋連盟の女流棋士のうちでも、とびっきりの美人二人を、間近にしていることになるのである。これを幸せと言わずして何とする。ヘボだろうが何だろうが、将棋を知っていてつくづくよかったと思う。

 ただ、三人きりになれないのが、はなはだ残念ではあるが。(神田さんに続いて、二人の中年男が入室してきたのである。一人は落語家の、三遊亭小金馬さん。もう一人は週刊文春名将戦担当編集者の、明円さん。ともに僕の友達で、応援に駆け付けてくれたのだ。そりゃね、きてよと声はかけたよ。ありがたいよ。だけどさ、少し入室を遅らすとか一寸気をきかせてくれてもいいじゃない)

 神田さんは濃紺のワンピース姿である。スカート丈が膝スレスレで、実はあとでこれが、僕には困ったことになるのであるが。

 入室してすぐ僕は、下座に、ハンカチやら煙草やらを置いてしまっていた。これくらいの礼儀はわきまえている。それに気がついて、神田さんが一寸微笑した。何か言いかけて、やめて、静かに上座についた。

 駒箱を開けて、盤上に駒を広げた。

「失礼します」

 と言ってから、指先で王将を捜し出した。下位者の僕は、正座したまま、神田さんの王将が5一に置かれるのを待っている。将棋におけるこういう作法が、たまらなく僕は好きである。

 ヤバイ、と思った。駒を摘もうとする手先が、震えているのである。刈込バサミで植木いじりをした直後のように。犬にさんざんロープを引っ張られて、散歩から戻ってきた時のように。手首から先が自分のものではないみたいに、感覚がない。二日酔いのせいでは断じてない。この呑ンベエが、昨夜だけは早目に切り上げて、充分に睡眠をとった。体調万全である。

 アガッテルナ、とわかった。誤魔化すのと、緊張を少しでもほぐそうとするのとで、

「指が、ふるえちゃってますよ」

 と、わざと自分から言ってみた。誰も笑ってくれない。見てもくれない。

 神田さんは黙々と駒を並べる。中瀬さんは記録用紙に必要事項を書き込んでいる。こんな時にこその、僕の私設応援団ときたら、僕同様に緊張しているらしく、音も立てない。

 どうしようもないから、

「意気地がないねえ、俺も」

 と、また勝手に呟いた。やはり誰からも何の反応もない。やっとのことで、駒を並べ終えた。僕の先手と、直前に決まっている。

 一礼した。呼吸を整えた。と、何と、予備の歩が1枚、まだ盤上にあるではないか。こんな場合、下位者のアマチュアの僕が、手を出していいものかどうか、わからない。

 神田さんは、盤上を見つめていながら、余分な歩に気がつかないらしい。すでに没頭しているのだろう、ますますもって恐くなった。しかし、このまま指し始めるわけにもいかないから、喉から声をしぼり出して、

「あのう、これを」

 と言ってみた。神田さんはパッと顔を上げて、一瞬頬を赤らめて言った。

「あっ、気がつきませんで、うっかり」

 惑わされちゃいけない。その目は鋭く光っていた。歩をしまう手つきは冷静だった。

 こんなことしたって何の足しにもならないのだが、煙草に火をつけて、思いっきり喫って吐いた。その煙の中で、7六歩と突いた。カメラのシャッター音が、びっくりするほど大きく聞こえた。

 

 何回も、もう駄目だ、投了しよう、と思った。しかし、あまりに早いと失礼である(だらだら指し続けるのは、もっと失礼なのだろうが、悲しいかな僕には、そのタイミングが掴めなかった)。

 絶えず僕は、軽口を叩きながら指していたらしい。あとで聞いた。これは無意識のうちにで、指手もそうだが、何を喋っていたのかさっぱり憶えていない。(もし、対局態度が悪いととられたら、お許し願いたい。でも正直なところ、それどころじゃなかった)。

 現金なもので、負けを覚悟したら、途端に指の震えがやんだ。胸の動悸もおさまった。自分の置かれている周囲の状況が、やっと見えてきた。応援団はガックリきて、怒ったように僕をにらみつけている。鈴木さんは所在無げに、僕に気の毒そうに、天井や床の間なんか見たりしている。

「これで、何手ぐらいになりました?」

 と、中瀬さんに聞いてみた。

「42手じゃないですか」

 驚いたことに、すかさず答えてくれたのは、当の、対戦相手の、神田さんであった。度肝を抜かれてしまった。女流とはいえ、さすがにプロの棋士の精神構造は、僕のような凡人とは比較にならない。どうなってんだ。

 悲願の81手には程遠いが、もはやこれまで、と心を決めた。くやしいよりも、あまりのフガイノナサに涙が出かかった。

「失礼します」

 と神田さんが座を離れた。あゝ何というやさしい心遣いなのだろう。僕の目頭はますます熱くなってきた。神田さんが戻られたら、即座に”負けました”と頭を下げるつもりでいた。だから、気が楽で、対局室内にいる人たちと、冗談さえ言い合っていた。

 ところが、そうはいかなくなった。困ったことになった。着座した神田さんに頭を下げようと、前方やや下方に目をやった。丁度そこに、盤の向こう側に、神田さんの両ひざがしらがあるのだ。形よく行儀よく、まるで桃を2つ並べて置いたかのように。

 あたりまえじゃないか、将棋盤をはさんで向き合っているのだから。それに、その状態は何も今に始まったことじゃない。対局開始からずっとそうだった筈じゃないか。

 読者からはそう言われるだろうし、今の僕もそう思う。だけどその時は、初めて、ひざがしらの存在に気がついた、というのが実感であった。見とれながら、そのあと20手も指してしまった。イヤラシイととらないでいただきたい(たぶん、とられるだろうな)。

 2時過ぎに、森がきてくれた。

「なんだよ、もう終わってんのかよ」

 そう言ってニヤッと笑った。

 あれ以来僕は、この対局のことを誰かに聞かれるたびに、こう答えている。

「うん、神田真由美さんの色香に迷わされてね、負けちゃったよ」

 

 ふっと『そして神戸』(千家和也作詞)のカエウタが、一節うかんだ。

   将棋 悔いてどうなるのか

   負かされた我身がみじめになるだけ

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この頃、現在の観戦記者の鈴木宏彦さんは将棋世界編集部で勤務していた時代で、千家和也さんが「大学医学部を思わせる担当者の鈴木さん」とは鈴木宏彦さんのことになる。

なおかつ、鈴木宏彦さんがこの対局を観戦していたということは、たつの香太さんは鈴木宏彦さんのペンネームであると思って間違いない。

鈴木宏彦さんが、「中森明菜ちゃんに柏原芳恵ちゃん、せめて松本伊代ちゃんでもいいから連れてきてほしかった」と書いている時代があったかと思いと、楽しくなる。

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千家和也さんが作詞した曲は、代表的なものでも、

麻丘めぐみ 「芽ばえ」「わたしの彼は左きき」
内山田洋とクール・ファイブ 「そして、神戸」
奥村チヨ 「終着駅」
キャンディーズ 「年下の男の子」「その気にさせないで」
平浩二 「バス・ストップ」
殿さまキングス 「なみだの操」「夫婦鏡」
西川峰子 「あなたにあげる」
野口五郎 「君が美しすぎて」
林寛子・小泉今日子 「素敵なラブリーボーイ」
フォーリーブス 「急げ!若者」
牧村三枝子 「少女は大人になりました」
三善英史 「雨」
山口百恵 「としごろ」「ひと夏の経験」「パールカラーにゆれて」

など多数。

「そして、神戸」を作詞した本家本元から将棋の替え歌が出ているのが、非常に貴重だ。