将棋世界1994年9月号、東公平さんの「シナモノエッセイ 窓」より。
対局室の窓とくれば真っ先に思い出す昔話。「九段戦」で大山康晴名人と原田泰夫八段の対局が湯河原の「桃山」という、お座敷てんぷらで有名な宿で行われた。記録係は私。2階で対局していたが、台風が接近、夕食後風がひどくなり、突如バリバリと音がして窓の雨戸が吹っ飛んだ。次はガラスが飛ぶだろう。中断し、部屋を替える準備中に停電である。一時休止にするしかない状況なのに大山さんも原田タイフウ先生も戦中派、風雨などではひるまない。高笑いして「大丈夫、家は飛ばないから」。窓のない、階下のてんぷら油でくさい食堂へ移り、ローソクの明かりで指し続けた。
(中略)
千駄ヶ谷の将棋会館が2階建ての日本建築だったころ、冷房嫌いの棋士が多かった。夏向きに大きく設計した「ひじかけ窓」の障子を全部外して風を通し、記録用紙が飛ばぬように文鎮で押さえて対局した。深夜、あたりが静になると駒音がびんびん響く。上半身が見える。近所のご婦人連は呆れ顔で「あの人たち、よっぽど将棋が好きなのねえ」と噂していた。会所だと思っていたのだ。
古いファンには知られた話。寒がりの升田幸三が暖房を入れろと記録係に言い、暑がりの大山康晴は、切ってくれと旅館の人にいう。立会人が「窓を開けて暖房もつける」という奇妙な処置をとったら二人とも満足した。事の真偽はともあれ、言い分が通れば気が済むのが対局心理であり、それ以上モメたがる性格の棋士は稀である。
升田と松浦卓造八段はともに広島の出身だが仲がいいようで悪いらしく、猛烈な勝負をした。「窓」の位置から考えて大昔の大阪の話。松浦はタバコ嫌いなのに、升田がブワーと煙を吐き出すと見事に松浦の顔面を襲う。にらみつけても、どこ吹く風の涼しい顔。やがて松浦はトイレの窓に仕掛けがあるのを発見した。窓を閉めると風が止まった。安心して指しているとまた煙が攻めてくる。升田が窓を開けたのだ。「マッタクさん」が閉めにゆく。果てなき攻防を繰り返しているうち、トイレの木戸の取っ手が壊れた。ゲンかつぎの松浦、今度はそれを気に病んで負けた。
(以下略)
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「窓のない、階下のてんぷら油でくさい食堂へ移り、ローソクの明かりで指し続けた」
昭和30年代までは、台風が来なくても停電することが多く、その度にローソクの出番となった。
対局をするために必要なローソクの本数はどれくらいだったのだろう。
あまり沢山の本数になると、怪談百物語の会場のようになってしまうので、なかなか微妙だ。
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「あの人たち、よっぽど将棋が好きなのねえ」
たしかに「将棋が好き」なのは確かなので、間違ったことを言っているわけではないのだが…
千駄ヶ谷に住んでいる人でさえ、棋士という職業があることを知らなかった時代の話。
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「窓を開けて暖房もつける」
これで両対局者に気持ちは届くということになるのだろう。
しかし、窓を開けて暖房をつけると、窓を閉めて暖房をつけない時よりも寒くなってしまわないのだろうか。
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松浦卓造八段は引退後の力士のような体格で、力自慢で酒豪、豪快なキャラクターだった。天守閣美濃の創案者でもある。
「トイレの木戸の取っ手が壊れた」
松浦八段は怪力なので、壊れてしまったのかもしれない。
木戸の取っ手が壊れたということは、トイレに出入りできなくなるか、あるいは逆に開きっぱなしということになるわけで、心配になってくる。