豪傑列伝(1)

今となっては考えられないような豪傑棋士が、夜の新宿・池袋で活躍していた時代があった。

松浦卓造八段(1915年-1977年)は広島県三原市の出身。天守閣美濃の考案者として知られている。

引退後の力士のような体格だった。

力自慢で、六寸の碁盤の脚を片手で掴み、振り回してしまうほどだった。

酒も強く、ウイスキーを2本空けても全く酔わない。

将棋世界2002年11月号、故・真部一男九段「将棋論考」より。

名文なので、その部分をそのまま引用する。

「ある日の夜更け、新宿歌舞伎町を後輩棋士と歩いていると、その筋らしき女性に声をかけられ怪しいとは知りつつも、酒の勢いもあり、いわれるままの店についていった。しばらくして勘定を頼むと案の定、法外な値段を請求された。いわゆる、ぼったくりバーである」

いわゆるキャッチバー。女性が『一緒にどこかで飲みませんか?私の友達が働いている店があるので行きませんか?』 とアプローチしてくるのが定跡。

『一緒にどこかで飲みませんか?私の知ってる焼き鳥の美味しい居酒屋があるから、そこに行きましょうよ』→居酒屋でさんざん飲まされ酔っ払う→『ねえねえ、もう一軒行こうよ。あたしボトルキープしてる店あるんだ』という高等戦術もあるらしい。

「だが、ここでたじろぐ松浦ではない。ふざけるなと店の者を睨みつけ、一歩も引かぬ構えを示す。

店のほうも手馴れたもので、ママがずっと奥に行き何やら外部と連絡を取っている気配。これくらいは松浦の読み筋通り。手早く後輩に指示を与え店を出させた。

数分とおかずバタバタと若い衆が3人駆けつけてきた。松浦は素早く厨房に入り包丁を手にしてこう啖呵を切った。

『わしも死ぬかもしれんが、むざむざやられはせん。お前達無事でいられると思うな!』

あの体型にこの迫力、ただの素人とは思えない。相手がひるんだ隙を見て、すかさず表へ飛び出した。

表にはさきほどの手筈で後輩がタクシーを用意してあり、見事難局を乗り切ったのであった」

明日は、もう少し違う方面の豪傑棋士が登場。