羽生善治名人(当時)「A級順位戦の開始から名人戦終了までの一年間は苦しかった。しかし、このように大勢の人に集まっていただいて報われました」

将棋マガジン1994年10月号、グラビア「第52期名人就位式」より。

 第52期名人戦七番勝負を4勝2敗で制し、新名人となった羽生善治名人の就位式が、8月8日、東京・文京区の「椿山荘」で行われた。

 この就位式は一般ファンにも公開され、約500人の参加者で賑わう盛大なパーティーとなった。

 席上、羽生名人は「プロを目指して、一番の目標だった名人になることができ、嬉しいのですが重い責任を感じています。これで終わりではなく、これからが大切だと思っています」と謝辞を述べた。

 最後に「米長ファンの皆さん、期待に添えなくてすみません」とユーモアを交えてあいさつ。満場をどっと沸かせた。

将棋マガジン1994年10月号より、撮影は弦巻勝さん。

将棋マガジン1994年10月号より、撮影は弦巻勝さん。

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将棋世界1994年10月号、グラビア「羽生善治新名人就位式」より。

 8月8日午後6時半から東京「椿山荘」に於いて、羽生善治新名人の就位式が行われた。

 謝辞に立った新名人は「将棋を覚えたのは今から17年前でしたが、名人は一番の目標でした。達成できて非常に嬉しいです」と喜びを表す一方、「これですべて終わったという感じにはしたくありません。棋士としても人間としてもこれから中盤戦に入るところでしょう」と先を見つめた発言も。

 式典の最中はやや緊張気味だった新名人だが、推戴状を手にしての記念撮影では喜びにあふれる笑顔を見せた。続く祝賀パーティーでも、400人を超す参会者が集まった会場内を回り、握手や記念撮影のファンサービスをにこやかにこなしていた。

将棋世界1994年10月号より、撮影は弦巻勝さん。

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将棋マガジン、将棋世界とも、撮影は弦巻勝さん。

師匠でもある二上達也会長(当時)から推戴状を授与される羽生善治名人(当時)。

就位式と祝賀パーティーでは和服が変わっている。

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A級順位戦の開始から、棋聖、王位を獲得、王座を防衛、竜王を失冠、棋聖、棋王を防衛を並行しながらの名人戦挑戦。

羽生名人は「A級順位戦の開始から名人戦終了までの一年間は苦しかった。しかし、このように大勢の人に集まっていただいて報われました」とも謝辞を述べている。

順調に見えながらも、裏には苦労が隠されている。

羽生九段が中期的なことに対して苦しかったと言うのは珍しいこと。

心を打たれるスピーチだ。

将棋マガジン1994年10月号より、撮影は弦巻勝さん。

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就位式では羽生名人の書道の師である柳田青蘭さんからの祝辞があった。

「羽生さんの書は、純粋でまだ生まれ立ての赤ん坊のよう。これからの成長が楽しみ」

嬉しいような、でもよくよく考えるとそうでもないような、なかなか微妙なところを突いてくる。

将棋マガジン1994年10月号より、撮影は弦巻勝さん。

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祝賀パーティーの写真も載っている。

中原誠十六世名人。左側は「陣屋」の女将(当時)の紫藤邦子さん。

将棋マガジン1994年10月号より、撮影は弦巻勝さん。

王位戦で戦っている最中の郷田真隆五段(当時)も来ている。

将棋マガジン1994年10月号より、撮影は弦巻勝さん。

屋敷伸之六段(当時)と行方尚史四段(当時)。楽しそうだ。

将棋マガジン1994年10月号より、撮影は弦巻勝さん。

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この就位式に関連して、三浦弘行四段(当時)のほのぼのするエピソード。

非常に謙虚な三浦弘行四段(当時)

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将棋マガジン1994年10月号、読者の投稿欄「コマゴマ掲示板」より。

 初めてお便りいたします。貴誌を買い始めたのは今年の7月号からの新参者です。きっかけはもちろん羽生さん、4月11日のNHK人間マップです。

 以来、雑誌・テレビなどこの4ヵ月はどっぷり将棋づけの毎日ですが、昔羽生さんが19歳で竜王になられた時、記事の内容とお名前をなぜかしっかり覚えていたので、こうなる運命だったのかしらと思っています。

 羽生さんの将棋まつりの出演は7月24日でしたが、大変な盛況でした。私は開店と同時に入ったのに一番後ろの席で、対局が始まる頃は立ち見もギッシリでした。羽生さんの人気の凄さを思い知ったのは、対局の間のポラロイド撮影会。私は勇気がなくて申し込まなかったのですが、何と羽生さんの撮影は50人以上延々と続きました。女性ファンもほんとに多いですね。

 午後からは羽生さんと塚田八段の対局で、解説が原田九段。原田先生は名人戦のテレビ中継で楽しい話をしてくださったので親しみを感じてしまいます。ひょうひょうとしてらして、ステキなおじいさま(失礼)ですよね。対局のすぐ横で解説するので、原田先生が、羽生さんも塚田さんもお金持ちだからネクタイは五万円以上だろう、などという話をされると、羽生さんが吹き出したりしてとても楽しかったです。

 結果は羽生さんの勝ち。塚田八段の穴熊に対し、羽生さんが9筋にバシバシと香を打ち込んで、一時は後手の羽生さんの香が3枚、先手の香が1枚と、4枚全てが9筋にあるという局面になりました。堅いはずの穴熊がみるみるうちに薄くなって、これぞ穴熊崩しのお手本でしょう。

 羽生さんが会場からお帰りになる時、すぐ横を通られたので、やっと近くでお顔を拝見できましたが、とっても色が白くて、柔らかそうな茶色の髪で、この世の方じゃないみたいです。初めて羽生さんに会わせてくれた東急デパートに感謝。お礼の意味を込めて帰りに買い物したので、来年以降もずっと続けてくださいね。

 買い物に時間がかかったおかげで、幸運なことに、デパートを出たところで羽生さんと炬口さんの一団にまた会えまして、地下鉄の切符を買っていらっしゃる羽生さんを遠くから見ていたら、一人の女性が握手していただいているではありませんか。思わず私も近づいて握手していただいたのですが、上がってしまって実感がないのです。9月号で栗原さんが書いてらっしゃるように、とてもやわらかい手だったような気がします。

 羽生さんありがとうございました。

 次に名人位就位式の感想を少々お伝えしたいと思います。今回私が一番期待していたのは、初めて着物姿の羽生さんにお会いできるということでした。就位式では黒の紋付きで、その後の祝賀パーティーはお召し替えされたのですが、また別の着物で再登場されたので、とても嬉しかったです。羽生さんの習字の先生のスピーチもあって、英語だけでなく習字も勉強されているのを知りました。名人になられたからには習字も必要不可欠の要素だと思ってはいましたが、タイトル戦や取材で目の回るようなお忙しさのはずなのに頭が下がります。

 ところで、就位式でNHKと週刊将棋の取材を受けたのですが、これは追っかけファンとしてだったのでしょうか。雑誌で羽生さんがおっしゃっていた事もあるし、ひいきの引き倒しをしているファンというイメージがあるので、そう呼ばれるのは抵抗があるのですが……。

 これからも一般ファンも参加できる機会があれば必ず出席しますが、絶対に羽生さんのご迷惑にならないファンでいたいと思います。

(横浜市 Tさん)

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とても意地らしいTさん。

「この世の方じゃないみたいです」には思わず笑ってしまうが、これも「上がってしまって実感がないのです」などの思いから出たもの。

観る将九段をもらってほしいような気持ちになる。

東急将棋まつり出演を終えた羽生善治五冠。両手に東急百貨店の紙袋を持っている。近代将棋1994年10月号、撮影は炬口勝弘さん。

東急将棋まつり、席上対局場に上がってきた女の子と握手する羽生善治五冠。近代将棋1994年10月号、撮影は炬口勝弘さん。