郷田真隆五段(当時)「終わったことはすぐ忘れてしまうので(笑)」

将棋マガジン1994年10月号、内藤國雄九段の第35期王位戦七番勝負第3局〔羽生善治王位-郷田真隆五段〕観戦記「短手数は面白い」より。(以下、青い文字

将棋マガジン1994年10月号より、撮影は中野英伴さん。

5図以下の指し手
△4四角▲同飛△同歩▲3四桂△4三玉▲2二桂成△同銀▲8九金△9六竜(途中2図)

 △4四角は▲5四飛を防いで予定通りの一手。

 飛を切って▲3四桂と打ったところで、羽生勝ちの声が出た。後手の3一銀、2二金の形がいかにも悪い。また△4三玉に▲1六角(B図)という、次の一手のようなうまそうな手も見える。

 B図はこのままなら▲2二桂成。これを嫌って△1五歩なら▲4二桂成~▲6一角成のねらい。

実際はB図で△6八飛があって後手勝ち。△6八飛に合駒がなく、▲3九玉は△4九竜以下詰み。▲5八金と上がるのは△7八飛成から△3九銀というわけだ。

 それはともかく金を取れたのは大きい。

 前に戻って、▲2二歩をどうして銀で取らなかったのかと挑戦者に聞いてみた。序盤戦と違って、この辺のところは遠慮なく聞ける。

「銀で取ると△4四角のとき▲5六桂(C図)とこられると思いました。

以下△3三銀▲4四桂△3四銀▲3二桂成~▲5三角成で悪いと思ったんですが、▲5六桂に△3三金と上がる手がありました」「はあ―△3三金がありましたか」と羽生王位。ときどきこのように、対局者二人だけが同じ盲点にかかるということが将棋では起こる。

 ▲8九金はいかにも惜しい。歩で間に合わせたいところだが、▲8九歩は△7六歩(△6八飛のねらい)ではっきり先手の手負けとなる。

将棋世界1994年10月号、郷田真隆五段(当時)第35期王位戦七番勝負第3局〔羽生善治王位-郷田真隆五段〕自戦解説「新手の成否」より。記は野口健二さん。(以下、赤い文字

再掲5図以下の指し手
△4四角▲同飛△同歩▲3四桂△4三玉▲2二桂成△同銀▲8九金△9六竜(6図)

―7五角(再掲5図)に、控え室では一時、後手受けなしか、の声もありました。

郷田 ▲6二とよりこの方が厳しいですね。▲5四飛と▲5三角成を一遍に受けるには△4四角しかないのですが、▲4四同飛から▲3四桂と打たれては、こちらがはっきり悪いです。

―羽生王位も、ここでは少し指しやすいと思った、ということでした。

郷田 ええ。だからここまで進んでみて、要するに28手目の△3四歩が無理だったということが、はっきりしました。

―一転して▲8九金と、竜をいじめにこられました。

郷田 ▲8九金はこう打つところですね。次に△7六歩と打たれると▲同金に△6八飛で先手は受からなくなりますから。ただ△2六桂~△2八飛があるので、私が思っていたよりはひどくなかったようです。でも、苦しいとは思ってましたね。

6図以下の指し手
▲7四角△9五竜▲8六金△7五竜▲同金△2六桂(7図)

―局後、羽生王位は、▲7四角が変な手だったかもしれない、と言っていました。

郷田 僕が一番イヤだったのは▲8六金と上がられて、△9四竜では歩で詰んでしまうので(笑)、△9七竜の一手に▲7四とを気にしてましたが、△2六桂▲6四と△4五銀で意外に大変なんです。▲5三と△3三玉▲4二角なら△3二玉と下がっておいて、あと1枚金気があれば詰んでしまうような形ですけど(笑)、意外と腰があるんですね。どう指すのが最善なのかな。ただ6図で先手は、竜を取るのが一番速いんですよ。▲4一飛があるので。だからなにか竜を取りにくる手をやられるとは思いましたが。▲9八歩△9四竜▲7六角だったか、と羽生さんは言ってましたね。この方が確かにいいんじゃないかな。もっともこれも△2六桂と打って、やっぱり結構ギリギリなんです。こちらがはっきり悪いはずなんだけれども(笑)、やってみると結構大変という、なんか不思議な局面なんだなあ。

―6図でなにか他の手は。

郷田 はっきり先手を優勢に導く手があるはずですけどね。ただこちらの方から一つだけ、△2六桂があるので結構難しいんです。△2六桂~△2八飛として、駒をたくさんもらえば、という狙いです。だから少し落ち着いた感じの手が最善手になるような気がしますね。ただこれは正直言って、自分の負けを確認する作業なので(笑)、あまり力が入らないようなところがありまして。

―失礼しました。

郷田 いや、ちょっと無責任ですが(笑)。ただ、一つ言えるのは、確かに▲7四角があまり良くなかったと思いますね。同じ竜を取るにしても、急所の7五角との交換で、金が少し上ずってしまったので。とりあえず▲8六金と上がって△9七竜、そこでどう指すかという局面ではないかと思いますが。

7図以下の指し手
▲6五金△3八桂成▲同金△2六桂▲3九金△3八銀▲同金△6八飛▲5八銀△3八桂成▲5九玉△7七角(投了図)  
まで、76手で郷田五段の勝ち

 後手から△8六角が見えているので▲6五金と指したと推察するが、これが敗着となったようだ。

 6図では平凡に▲4一飛と打ち、△3三玉▲6一飛成△3八桂成▲同金△2六桂▲2八金△8六角▲5二角成(D図)で先手勝ち、と控え室では言っていた。

ところがD図で△4五銀という詰めろ逃れの詰めろ(△5九銀▲3九玉△3八歩以下)が局後発見され、これが容易にはずせない。ただ▲5二角成では▲3六歩という手(▲2五桂以下の詰めろ)もあり、これに対して△2五香という返し技もあって、むずかしい。他にもいろいろな手があって調べきれず、▲4一飛なら勝敗不明ということで感想戦はお開きとした。


▲6五金△3八桂成▲同金△2六桂▲3九金△3八銀▲同金△6八飛▲5八銀△3八桂成▲5九玉△7七角(投了図)  
まで、76手で郷田五段の勝ち

―▲6五金は意外な手でした。

郷田 ええ、ちょっと驚きました。普通は▲4一飛△3三玉▲6一飛成と金を取るところですからね。局後の検討では、やはりこの順がよかったということです。以下△3八桂成▲同金△2六桂(e図)で、

本譜と同じように▲3九金△3八銀▲同金に△6八飛と打つと、▲5八金△3八桂成に▲5九玉と引かれて5八金型だと寄らないんですよ。△7七角は▲6八金と飛車を取られますから。そこでe図以下▲3九金△3八銀▲同金に単に△同桂成と取って、▲同玉△6八飛▲4八桂△2五香▲2六歩△5八飛成▲3九金△2六香▲2八歩。これはまだ分からないですね(笑)、はっきりとは。もちろんこれが必然とも言えないし。ただこの方が全然難しいですね。

―感想戦ではe図で他の手も検討されていました。

郷田 もう一つ、▲2八金がイヤだったんですね。今度の△3八銀は詰めろになっていないので、△8六角▲5二角成。そこで△5九銀なら▲3九玉で、△3八歩と詰ましにいっても▲同金△同桂成▲同玉△5八飛▲2七玉△2六香▲同玉△2八飛成▲2七歩△1五金▲3五玉で詰みません。それで▲5二角成に△4五銀と上がる手をひねり出したんです(笑)。今度は▲3五玉まで進んだ時に△3四歩▲同馬△同銀で、馬が抜けます。それはこちらが勝ちになるので、という変化をやってましたね。それで、またなんかいろいろやってたんだ(笑)。

―そこで内藤九段から「▲4一飛なら難解」と声がかかって。

郷田 普通はどちらかが勝ちというのははっきり分かるものなんですけどね、これぐらい検討すれば。分からないということは大変難しい終盤だったということです。いずれにしても、金を取られた方がイヤだと思いますねえ。だから▲6五金が、おそらく直接の敗着じゃないかなという気もします。これは本当は、もっとちゃんと調べてどちらが勝ちか言えるくらいじゃないといけないんですけど、終わったことはすぐ忘れてしまうので(笑)。

―再度の△2六桂が決め手ですか。

郷田 ここで勝ちになったんじゃないかと思いました。△3八銀は、△3九銀不成以下の詰めろなので▲同金の一手。本譜は△6八飛に▲5八銀と打ちましたが、▲5九玉と逃げて△3八飛成の時に後手玉を詰ましにいっても、ギリギリ詰みません。▲5四金△同歩▲3五桂△3四玉▲4三銀△2四玉▲2五歩△1三玉▲2四銀△同歩▲2三飛△同銀▲同桂成△同玉▲4一角成△1三玉、これが一例ですね。手順中△3四玉の時に▲5六角も△4五香。この辺りを少し読んでました。詰まないことは、プロは感覚的に分かるんですけど(笑)、王手されると少し気持ち悪いんで。

 投了図、△7七角はトドメの好手で▲同銀は△6九金▲同銀△4八飛成までの詰み。

 ▲5八銀と合駒を使う手で▲5九玉とし、△3八飛成に▲5四金△同歩▲3五桂△3四玉▲4三銀以下、王手をかけるだけかけて投了する手もある。▲4三銀以下進めると、△2四玉▲2五歩△1三玉▲2四銀△同歩▲2三飛△1二玉▲2二飛成△同玉▲2三桂成△同玉▲4一角成△1三玉―。

 詰まないと分かっていて王手をかけてこられるのは、あまり気分のよいものではない。郷田五段としては用意の好手△7七角が指せて、勝った後味がよりよくなったであろう。棋譜の商品価値を思い、絵になる投了図を選んだ羽生王位に拍手。


―結局▲6五金を境に逆転したわけですね。

郷田 だからすごく意外だったですね、▲6五金は。もっともその前の△9六竜の局面でだいぶ苦しいような気がしてましたが、調べてみると難しいのでちょっと驚いているんですけど。

一研究手の△3四歩については。

郷田 苦しかったですね。もし5九玉・1六歩型、あるいは▲3八銀に代えて▲1六歩とか、ほんの少し形が違えば△3四歩は成立します、間違いなく。ただ、本譜の3八銀・4八玉型という一番シンプルな形に限っては、どうも成立しなかった。この将棋のポイントは、はっきり言えば一点だけですね。△3四歩と突けるか突けないかの。結論としては、△4四歩と突くべきだったかもしれないが、その前に問題がある可能性もあります。

―これで前期からの連敗を止めました。

郷田 一つ勝ったので気持ち的には少しホッとはしてますが、それが気の緩みにつながらないようにしなければと思ってます。これまでの3局で内容的に不満なところは、たくさんあるんですね。不満があるところが多いといっても過言ではないんですけど(笑)。ただ、自分としては割と自然体で臨むことができているので、あまりスコアとかを気にせずに、自分らしく自然体にと思ってます。ほんとに最近なんですけど、数年前から考えていた技術的なことに、一つ区切りをつけることができたので、気持ち的にも新たな気持ちでできると思います。

将棋世界1994年10月号より、撮影は中野英伴さん。

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「やっぱり結構ギリギリなんです。こちらがはっきり悪いはずなんだけれども(笑)、やってみると結構大変という、なんか不思議な局面なんだなあ」

「調べてみると難しいのでちょっと驚いているんですけど」

郷田真隆五段(当時)が楽しそうに話している様子が目に浮かぶ。

勝っても負けても、同じ反応だったと思う。

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「ただこれは正直言って、自分の負けを確認する作業なので(笑)、あまり力が入らないようなところがありまして」

もっと前に「こうやっておけば良かった」というところがあれば、なおのこと力は入らなくなるのは無理もない。とはいえ、感想戦の時や後日も含めかなりのボリュームの検討が行われたはずで、その上での言葉なので、いかに難解な局面であったかが分かる。

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「それはこちらが勝ちになるので、という変化をやってましたね。それで、またなんかいろいろやってたんだ(笑)」

「他にもいろいろな手があって調べきれず、▲4一飛なら勝敗不明ということで感想戦はお開きとした」

打ち上げの席も用意されているので、立会の内藤國雄九段が、このままでは一晩中でも感想戦をやりかねないと思い、打ち切ったのだろう。

年齢も奨励会も同期同士の感想戦、やはり、本当に楽しそうだ。

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「普通はどちらかが勝ちというのははっきり分かるものなんですけどね、これぐらい検討すれば。分からないということは大変難しい終盤だったということです」

「これは本当は、もっとちゃんと調べてどちらが勝ちか言えるくらいじゃないといけないんですけど、終わったことはすぐ忘れてしまうので(笑)」

羽生・郷田というコンビが「これぐらい検討すれば」というほどの検討をしたのだから、相当に深いところまで調べられているわけで、「終わったことはすぐ忘れてしまうので」と言ってはいても、レベルが段違いだと考えられる。

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「詰まないと分かっていて王手をかけてこられるのは、あまり気分のよいものではない。郷田五段としては用意の好手△7七角が指せて、勝った後味がよりよくなったであろう。棋譜の商品価値を思い、絵になる投了図を選んだ羽生王位に拍手」

この部分も本当に素晴らしいところ。

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「苦しかったですね。もし5九玉・1六歩型、あるいは▲3八銀に代えて▲1六歩とか、ほんの少し形が違えば△3四歩は成立します、間違いなく。ただ、本譜の3八銀・4八玉型という一番シンプルな形に限っては、どうも成立しなかった。この将棋のポイントは、はっきり言えば一点だけですね。△3四歩と突けるか突けないかの。結論としては、△4四歩と突くべきだったかもしれないが、その前に問題がある可能性もあります」

コンピュータソフトのない時代。自分の頭だけで考えに考え抜いていた時代。

現在と比べると部分的に効率が悪いということになるのかもしれないが、「良い手は指が覚えている」という郷田九段の若い頃の言葉の通り、このような積み重ねが羽生世代の強みとなっているのだと思う。