谷川浩司名人(当時)「色々と刺激を与えてくれる男である」

将棋世界1989年4月号、谷川浩司名人(当時)の第38回NHK杯戦準決勝(対 羽生善治五段)自戦記「十代の強さ」より。

将棋世界同じ号のグラビアより。

心構え

「相手は五段だが、実力はA級。だから、やりにくい事はない」

 羽生五段とのNHK杯戦準決勝。

 局へ向かうタクシーの中。和服に着替えている最中。二人並んでメークをしている時。そしてリハーサル。

 勝たなければいけない、などとプレッシャーを感じていては、絶対に勝てるわけがない。

 18歳の五段だと思うから指しにくいのであって、A級八段だと思ってしまえば普通に指せるはずだ。

 気持ちを楽にするため、自分に言い聞かせて対局に臨んだわけだが、そのように考える事自体が、意識過剰になっていた証拠かもしれない。

 この対局がテレビで放映されたのは、3月5日。皆さんの記憶にも新しいはずである。

 ご存知のように、私はこの将棋に負けてしまった。というわけで、今月は反省の自戦記である。

前期のNHK杯

 ここまで、羽生五段との対戦成績は1勝2敗。将棋まつりの非公式を含めると2勝4敗である。

 この中で、一番ショックを受けた敗戦はと言うと、やはり前期のNHK杯戦である。

 指せる将棋を盛り返されたが、まだまだと思っていたところ、全く読み筋になかった▲6八角(A図)を打たれる。これが決め手となり、以下は惨敗だった。

 実を言うと、A図から後は殆ど粘る気力もなかった。秒を読まれているのにも関わらず、相手の強さに呆れるだけの時間だったのである。

 もっとも、この敗戦で、緩んでいた気持ちを引き締めることができ、以降20勝2敗という快進撃を呼ぶのだから、彼には感謝しなければいけない。

 色々と刺激を与えてくれる男である。

序盤作戦

 振り駒で先手番となる。公式戦では初めての先手番である。

 飛車先不突矢倉を予定していたのだが、▲7六歩△3四歩。いきなり外された。

(中略)

羽生五段の強さ

 羽生五段の将棋は殆ど並べているつもりだが、戦法のレパートリーの広さにはいつも驚かされる。

 相矢倉、角換わり、振り飛車、対振り飛車も急戦と持久戦、など―。

 そして、一般的にはやや指しにくい、とされている横歩取りの後手番も、△3三桂型、△3三角型、そして本譜の相横歩取りも指しこなすのである。

 対局が始まる前から作戦が判っているよりも、作戦範囲が広い方が、相手に不安感を与える効果がある。

 本局の場合も、2回予想を外されてしまった。時間が短い将棋なので、こちらもそ知らぬ顔で、3図まで消費時間2分で飛ばしたが、実は少々意表を突かれたのである。

(中略)

早見えの終盤

 既に双方30秒将棋だが、直前の羽生五段の動きに少し無理があり、ここでは良くなったと思っていた。

(中略)

 5図で私は、30秒将棋なのにも関わらず、ホッと気を抜いてしまったのである。

 この将棋は勝ちになったと―。

 今冷静に考えると、先手有利とは言え形勢は微差である。とても、気を緩める局面ではなかった。

 5図から、▲5四歩△8五飛▲5三歩成△同銀▲5四歩△4二銀▲3四歩△5五馬(!)で6図。一瞬の逆転だった。 

 本譜の順は最悪である。▲5四歩では▲3四歩が有力だし、△5三同銀に対する▲5四歩でも、▲5四銀△6五飛▲同銀。または単に▲3四歩なら、5六に歩が打てるので△5五馬とは指しにくい。

 強手△5五馬であえなくダウン。6図から▲同馬△同飛は、△5九飛成と△5七角が受からない。

 本譜は▲7七桂だが、△6五飛▲同桂△同馬▲3三歩成△7六馬▲4二と△同金▲3四桂△7五馬で7図。

 手順に王手で詰めろを消されては、勝負ありである。以下いくばくもなく投了。

 それにしても、30秒将棋でどうして△5五馬のような手が見えるのだろう。

二連敗のショック

 今期の私、結構活躍しているようで、実を言うと、優勝はまだ名人位の1回だけである。

 そういうわけで、あと2勝で優勝まで進んでいたNHK杯での敗戦は、後輩に負けた事とも重なってショックだった。

 そして、4日後の全日プロ第1局でも、森内四段に負け。

 まさにダブルショック。こうなると、さすがに考えざるを得ない。

 対羽生戦、対森内戦。何れも、終盤になってから、秒に追われての競り負けである。

 5年ほど前、私が中原先生と米長先生に全く勝てなかった頃、終盤における絶対的な自信が揺らいだ事があったが、今回の方が事態は深刻かもしれない。

 対策はまだ判らないが、彼らの集中力が凄い事だけは確実に言えそうだ。

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「18歳の五段だと思うから指しにくいのであって、A級八段だと思ってしまえば普通に指せるはずだ。気持ちを楽にするため、自分に言い聞かせて対局に臨んだわけだが、そのように考える事自体が、意識過剰になっていた証拠かもしれない」

たしかに、この当時、いかに谷川浩司名人(当時)が10代の棋士を意識していたかがわかる。

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「対羽生戦、対森内戦」。

この文字を見ただけで、恐ろしさを感じるほど迫力満点だ。

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「色々と刺激を与えてくれる男である」

棋士に対しても、ファンに対しても、将棋ファン以外の人達に対しても、羽生善治九段は現在に至るまで、そしてこれからも、良い意味での刺激を与えてくれる存在だ。