将棋マガジン1994年12月号、駒野茂さんの「第7期竜王戦開幕 対局者直撃インタビュー 佐藤康光竜王」より。
第7期竜王戦。新鋭・行方尚史四段の活躍で大いに盛り上がりを見せた本戦トーナメント。しかし、結果を見ればやはりこの人が、とうなずかせる羽生善治名人が挑戦者になった。リターンマッチである。
10月初頭。第1局、パリでの対局を前に両雄にインタビューした。
―昨年、羽生竜王を破って初タイトルを獲得しました。その後の生活振りを伺いたいのですが、仕事は増えましたか?
「免状に署名したり…そうですねぇ、そんなにでもないです。ほんのちょっと忙しくなった程度です」
―収入面では?
「だいぶ増えたと思います」
―七段・B級2組の待遇の2倍ぐらいですか?それとも…。
「まぁ、増えたということで」
―佐藤竜王が大枚はたいて東京ドームで野球をしましたが、最近スポーツは?
「将棋連盟のゴルフコンペにたまに出るくらいで、そんなには。いや~、ドームで野球をした頃は、ちょっと遊び過ぎました」
―竜王になって、交遊関係の幅は?
「棋士関係以外で、ずいぶん増えました。音楽関係の方とか、同年代の色々な職種の方達など。これまでは、将棋関係者以外の人達とはあまりコミュニケーションがなかったので、新鮮な感じがしました」
―会って話す時はどんな場所で。
「喫茶店とか、時にはお酒を飲みながら。楽しい時間ですね」
喫茶店でのインタビュー。佐藤竜王は一言一言を丁寧に答えながら、カフェオレを口に。
昨年、挑戦者になった時にもインタビューをしている。その時と今とを比べて、雰囲気に風格が出てきたな、という印象を受けた。ただ、何かが違う。何だろう……。
―独り暮らしを始めてずいぶん経ちますが。たまには実家に帰りますか?
「ほとんど帰りません」
―食事は?
「外食です。作ることはしません」
―偏らないですか?
「肉、魚類は好きですが、嫌いな物がないんでバランスよく食べています」
―家にいる時はどんな過ごし方をしてます?
「家にいる時間は竜王になる前より減りましたね。だから、のんびりと過ごすようにしています。音楽を聴いたり、テレビを見たりとか」
―独りでお酒は?
「飲みません。飲む時はやっぱりおしゃべりをしながらの方が楽しいですからね」
―バイオリンを弾くことは?
「あまり弾かなくなりました。そうですね、週に一度ぐらい。気の向いた時にです」
生活ぶりはどんなところで。そろそろ本題に入ろうかと、徐々にだが口火を切った。
―話は変わりますが、羽生名人が竜王になりたての頃、少し成績不振になりました。佐藤竜王も。一説に、免状に署名することや仕事が増えたりと、環境の変化が原因では、の見方もあったのですが、その辺は?
「関係ないと思いますよ、それは。うまくは言えませんが、ん……何というか……竜王としてのプレッシャーじゃないかと思うんです」
―タイトル保持者になると、それまでに指していた部屋より格上の対局室で指すことになりますが、気分的には?
「取りたての頃はかなり気にしました。上座に座るのも何かなと思って、時間ギリギリに対局室に入って空いているところに……と(笑)。最近は慣れたので、そんなには気にしません」
―竜王になってから勉強方法に変化は?それと、七番勝負に向けて羽生将棋を研究してますか?
「勉強方法は変わりません。昨年のインタビューで答えていますが、棋譜並べと研究会です。羽生将棋については、将棋は普段から並べてますし、改めて研究することはしません」
―羽生将棋を見て?
「すべてに安定されていると思います。序盤からの構想―中終盤まで遠大というか。より手広くなったように感じます。相当研究されているのではないでしょうか」
―生活ぶりを見て?
「流石!の一言ですね。名人になった直後は、はたから見ていてもすごい日程で、時間刻みのインタビューその他諸々。今でも忙しすぎて対局をなかなかつけられないぐらいですから。私には到底マネ出来ません」
―そんな状況でも、王位、王座を連続防衛。そして竜王挑戦者に。
「忙しくなればなるほど、どんどん勢いがついてくる感じですね。NHKの『クローズアップ現代』の番組で羽生さんが出ていましたが、その中で将棋を考えれば考えるほど脳がリラックスしてくるというデータが出たんです。今の羽生さんを見ていると、なるほどなぁと思いました」
―今回の七番勝負をどう見てますか。戦型および決着のスコアなど。
「最近の羽生さんは多彩な戦法を駆使して戦っています。戦型は色々ありそうですね。スコア…ですか。現状では何とも言えません。ただ一つ言えることは、昨年は、羽生さんも私も絶好調で番勝負を迎えたことです。今年は、私の方がそんなに乗っていないので、第1局までにどこまで調子を取り戻せるかどうかが七番勝負の結果に直結すると思っています。タイトル保持者としては、ちょっと情けない成績なので、ここは一つガンバらなければいけないと思います」
キッパリと言い切った佐藤竜王の表情は、インタビューを始める前とはずいぶん違っていた。
まるで、タイトル戦で盤を前にしている時のように真剣に。
話をして感じたことは、いかにすれば以前(前期挑戦者の頃)の調子に戻せるか、第1局までに間に合うのか、と。そんな葛藤があると、言葉の端々や目の動きから窺い知れた。
昨年は絶好調だった、と自ら話している。その時と今回との雰囲気を比較してそう感じたのである。
インタビューは1時間ぐらいで終わった。その後、佐藤竜王は研究会があるので、と一言残してその場から直行する。島研ではなく、違う研究会に。
第1局は10月18、19日だが、竜王の復調がカギの今シリーズと言えるであろう。
(つづく)
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前期の竜王戦第1局はシンガポール、この期の竜王戦第1局はパリで行われている。
その直前のインタビュー。
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「いや~、ドームで野球をした頃は、ちょっと遊び過ぎました」
佐藤康光竜王(当時)は、東京ドームでの棋士チーム「キングス」と連盟職員チーム「バッカス」の対抗戦を、ポケットマネーで実現している。
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「あまり弾かなくなりました。そうですね、週に一度ぐらい。気の向いた時にです」
バイオリンを週に1回弾いていれば、音楽家でもない限りは相当な頻度だと思う。
週に1回でも「あまり弾かなくなりました」という佐藤竜王なのだから、1日7時間研究をした日でも「今日は研究にあてる時間をあまり取れなかった」と言いそうな雰囲気がある。
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「うまくは言えませんが、ん……何というか……竜王としてのプレッシャーじゃないかと思うんです」
初タイトルを獲得した翌期に調子を落とすケースが多い。
谷川浩司竜王(当時)はこの3年前に、「竜王症候群」というものがあるのではないかと書いている。
→谷川浩司竜王(当時)「竜王症候群というのも存在するのではないか」
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「その中で将棋を考えれば考えるほど脳がリラックスしてくるというデータが出たんです。今の羽生さんを見ていると、なるほどなぁと思いました」
佐藤竜王のことだから、このことを知って、より一層、将棋にかける時間を増やしたのではないかと思う。