将棋マガジン1994年12月号、駒野茂さんの「第7期竜王戦開幕 対局者直撃インタビュー 羽生善治名人」より。
10月5日、羽生名人にインタビューをした。この後にも別口で取材があると聞いてビックリ。本当にお忙しいのである。
―名人奪取後は多忙につぐ多忙ですが、その中でいかに将棋の勉強をしましたか?
「以前と比べれば、当然というか減っています。ですが、対局が勉強になっているのも事実。指せば必ず課題が残りますから」
―他は?
「パソコンを使って、他の人がどんな将棋を指しているかを見ます。パーッと画面を流して。そうですね、見ても20分ぐらいでしょうか。その中で興味ある将棋があると、それだけは別に盤に並べて。これ以外は詰将棋ですね」
―手数はどのくらいのを?
「特に決めてません。月刊誌。もちろんマガジンや詰将棋パラダイスなども。時間があれば解くようにしています」
―1年前の自分と今とでは、自分の中で何か変わったと思うことは?
「そうですね。変わったというのとは違いますが、保守的になろうとする部分を打ち消そうとする思いが強いですね。これまでずいぶんと色々な舞台を踏んで場慣れしてきましたが、慣れというものが様々なことで惰性的な考えを生むのではないかと思っているのです。常に新鮮な気持ちでいたい。新しい将棋論を大切にしたいと考えています」
―私生活はどうですか?たとえば新たな趣味が増えたとか。
「9月は2日制の対局を含めて11局。移動日を合わせると……さすがに疲れました。こんな状況だったので、新たなものというのは一つも。英会話も1ヵ月間やってませんでした。実は久しぶりに、今日ここに来る前にレッスンを受けたのですが……、やっぱり忘れてましたね。手軽なところでビデオを借りて見ています。最近見たものは『フィールド・オブ・ドリーム』。野球にまつわる話で面白かったですよ。10月は対局が少ないので、久しぶりにのんびり出来そう。色々やってみたいと思ってます」
―七番勝負に向けてのコンディション作りと抱負を。
「海外対局は今度で4回目ということもあり、特に気にしてません。それよりも2日制の持ち時間8時間の将棋をじっくり指したい。先の長い七番勝負ですから、集中力の持続次第ですね。佐藤竜王とはこれまで接戦の将棋が多く、一局一局がしのぎを削る厳しい競り合いになるでしょう。それに安定性もあり、一方的な将棋にはならないと思います。勝負は、先手番をきちんと勝って、後手番を押さえられればいい結果につながるのではないでしょうか。一番の思いは、自分の考えた手で自分の将棋を指す。その将棋が、そのまま定跡と言われるような将棋を指したいですね」
* * * * *
「以前と比べれば、当然というか減っています。ですが、対局が勉強になっているのも事実。指せば必ず課題が残りますから」
タイトル戦を「勉強」という側面だけから考えれば、ものすごく強い相手とのVSとほとんど同じ。
コンピュータソフトによる事前の研究が盛んな今の時代では、ソフトによる検討の時間が削られると影響が出る場合もあるのだろうが、基本的には対局が勉強になるのは変わらないことだと思う。
* * * * *
「その中で興味ある将棋があると、それだけは別に盤に並べて」
棋譜を画面で追うのだけではなく、棋譜を印刷して盤に並べてこそ、効果が出てくる。
* * * * *
「これまでずいぶんと色々な舞台を踏んで場慣れしてきましたが、慣れというものが様々なことで惰性的な考えを生むのではないかと思っているのです。常に新鮮な気持ちでいたい。新しい将棋論を大切にしたいと考えています」
羽生善治九段は、現在に至るまで、この姿勢を続けているに違いない。
かなりの強い意志と柔軟性を持っていなければ難しいことだ。
* * * * *
「一番の思いは、自分の考えた手で自分の将棋を指す。その将棋が、そのまま定跡と言われるような将棋を指したいですね」
勝てば六冠となる七番勝負を前にして、このような思いを一番の思いとするところが羽生五冠の素晴らしいところ。現在も羽生九段の根底に流れている思いかもしれない。
* * * * *
「9月は2日制の対局を含めて11局。移動日を合わせると……さすがに疲れました。こんな状況だったので、新たなものというのは一つも」
以前の記事でも書いたが、この1994年9月の羽生五冠は、移動日を含めた日数は19日、対局で将棋盤の前に座っていたのが13日。その間の戦績は10勝1敗。
羽生五冠にとっては、スケジュール的にこれまでないほど苛酷だった9月。
ところが、後に奥様となる畠田理恵さんと「はつらつ」(保健同人社)の対談で出会ったのが、この9月のことだった。
このように、忙しい時ほど運を引き寄せるという法則があるのかもしれない。
* * * * *
「10月は対局が少ないので、久しぶりにのんびり出来そう。色々やってみたいと思ってます」
10月、羽生五冠は森下卓八段(当時)を誘って、畠田理恵さんの舞台(芸術座・向島物語)を見に行っている。
羽生五冠と畠田理恵の付き合いが始まったのは、この時からと言われている。