将棋世界1995年2月号、加藤一二三九段の連載自戦記「わが激闘の譜」より。
私はクリスマスにキリスト教の洗礼を受けたので、この祝日には特別の思いがある。
旧約聖書、新約聖書によると、日夜人々の幸福を母の心を持って、涙を流しながら神に祈っていたおとめマリアのもとに、大天使ガブリエルが遣わされて、救い主の受胎告知があった。「恵まれた者、喜びなさい。主はあなたとともにおられます」がはじめの言葉だが、祈り続けていたマリアの存在を知って、その喜びがよく共感出来る。西洋の受胎告知の名画には、聖書を前にしているマリアの絵が多く、それは素晴らしいが、これからの画家には、涙を流して嘆願しているマリアや、日常の仕事を全て聖なるものに出来ると言うキリスト教の本質に立って、台所でパンを焼いているマリアなどの絵を期待したいと、私は日頃思っている。私の尊敬するリジューの聖テレジアも、言っている。聖母マリアを、遠い存在にしてはいけない、と。
(以下略)
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「日常の仕事を全て聖なるものに出来ると言うキリスト教の本質に立って、台所でパンを焼いているマリアなどの絵を期待したい」
加藤一二三九段の視点が非常に新鮮だ。
たしかに、このような絵画が描かれれば、キリスト教の世界も絵画の世界も大きく広がると思う。
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「私の尊敬するリジューの聖テレジアも、言っている。聖母マリアを、遠い存在にしてはいけない、と」
加藤一二三九段は、「ひふみん」として多くの人に親しまれている。
「将棋を、遠い存在にしてはいけない」という思いも、加藤一二三九段の心の中に流れ続けているのではないだろうか。