将棋マガジン1995年3月号、田中寅彦九段が解説の第44期王将戦挑戦者決定戦〔羽生善治六冠-郷田真隆五段〕「来るべき時が来た」より。
史上初の七冠挑戦のかかった王将戦プレーオフ。その対局を田中寅彦新九段にお願いした。
田中「この対局は、歴史的な戦いが起きるかどうかという勝負でした。羽生六冠王が史上初の七冠を目指せるかという。それを郷田五段が阻止できるかという事なんですが…。
郷田さんには悪いですけれども、将棋界全体を視野に入れて考えると、やはり何とか羽生さんが七冠を目指すという勝負、それを見たい人が多かったでしょうね。実力そのものは、本当に紙一重というような気がしますんでね。どちらが勝ってもおかしくないとは思うのですが。
(中略)
田中「この△5三銀右(1図)、これは郷田さんらしい急戦に持ち込もうという手です。羽生さんはどちらかと言えば、ねじりあいが長いほう、あるいは構想を立てる時間が長い方がより力を発揮するような気がします。
一方、郷田さんは、肉を斬らせて骨を断つ、というような、見ていて清々しい将棋。これが郷田将棋だと私は感じています。
ですから、短手数で戦いに入れば郷田、序盤が長ければ羽生、というふうに対局前に予想していました。そういう意味で、この△5三銀右というのは、郷田将棋らしい手ですね」
(中略)
田中「本譜に戻って△4三金右(2図)まで。だいたい双方の形が定まりました。羽生さんのほうは何も奇をてらっていないという序盤ですね。なるたけ出だしからは激しく動かない。で、郷田さんのほうとしましては△5四銀の形。5筋の歩を交換して銀を立つという理想的な駒組みです。そのかわり2筋の歩を切られた。損得の計算は非常に難しいんですけど。
△7三角のニラミで▲3六歩が突けなくなっています。先手の銀と桂の働きを牽制しているのです。そこで、羽生さんがどう動くかという。
まず序盤の組みあがりの形としては、後手の郷田さんが、羽生さんに好形を許さなかった。そのかわりに2筋の歩は切られた、という非常に難しい取引をしたわけです」
2図以下の指し手
▲1七桂△2四銀▲2九飛△5二飛▲5九飛△5五歩(3図)▲2九飛―駒組み合戦は五分五分というわけですか。
田中「さてここで▲1七桂ですか。このへんが羽生さんの柔軟な所ですね。桂馬というのは中央に向けて跳ぶものなのですけれど。2筋を切ってあるので、将来▲2五桂と跳べる。さらに端を突き越してあるので攻められる、ということで、一理ありますが、前例のない手です。
ただ、感想戦では▲1七桂のところで▲9六歩と打つ手を羽生さんは言ってました。△9四歩なら将来の△9五桂が消えて得だったかな、と。ただ羽生さんとしては▲9六歩を手抜かれて早く組まれるのが少し不安だったようです。まあ、今の羽生さんは、迷った所の決断が、みんないいように行っている気がしますね。
さて▲1七桂△2四銀に▲2九飛。この手は角にニラまれている飛車の位置を変えたわけです。ただ、この▲1七桂と▲2九飛、羽生さん以外の人が指すと、筋が悪い、と言われそうな手です。
それから飛車を5筋にまわりあって、△5五歩(3図)と打った。ここで郷田さんが悔やんでいましたね。これ、絶対に郷田将棋ではない。
飛・角・銀と力で勝っている5筋にまた自らの歩を打った。私の兄弟子の芹沢九段が生きていたら『過剰防衛だ』とか言ったでしょうね。
それに対して▲2九飛とまた戻した。ここらへんが羽生さんのフットワークのいいところですね。△5五歩と打たせた事によって、後手の角銀の働きが一時的に収まった。矛先を元に戻して攻めようというところ。ここで郷田さんは読み違いがあったと局後言っていました。予定では▲2九飛に△6四歩と突いて、△6五歩の攻めを見るつもりだったそうです。ところが、そのときに▲2四角という手があるのに気が付いたんです。以下△同歩▲同飛、ここで△5五歩で歩切れになったため、2三に打つ歩がないんですね。これが不利だというのを、ちょっとうっかりしたようです。これが本局では大きな意味を持ちました。
△5五歩では形は悪いのですが△4五歩と突いてどうか。以下感想戦では▲2六歩くらいしか出なかったんですけど、それから予定通りの△6四歩、もしくは△5五銀と出て▲5六歩に△4四銀。5筋に自分の歩がいるかいないかで全然違います。これは後手不満のない分かれです」
(中略)
田中「感想戦で郷田さんも『▲7一銀ではっきり負けの形に入りました』と言っていました。ここから、先手はゆっくり攻めることができるのです」
(中略)
―本局の内容はどうでしたか?
田中「自然な出だしから、中盤に▲1七桂から飛車を転回したフットワークの良さ。そして5五に歩を打たせてから、飛車を戻して予定の端攻め。何の迷いもない、というか自然に指しています。徐々にポイントを稼いでから爆発して最後はきっちり勝つ。まさに強いです」
―では七番勝負はどうなると予想されますか?
田中「谷川さんは3年前には七冠への最短距離にいたはずです。その谷川さんが、七冠の最後の挑戦対象の王将を持っているわけです。谷川さんとしては自分の目の前で七冠王誕生、というのはもう死ぬ気で阻止したいはずなんで、ものすごい戦いになるのでは、と思いますね。
羽生さんにしろ谷川さんにしろ、どちらにも二度とない大勝負だと思います。七冠目となった王将戦の主催紙であるスポニチと毎日新聞には、すごくいい巡り合わせになりました。
羽生さんとしては、ほぼ並行して棋王戦の防衛戦もあります。仮に王将を取ってもすぐに棋王を失えば七冠の価値が薄れます。ですから3月までは、七冠が持てるか、そして維持できるか、というギリギリの勝負が続くわけです。羽生さんは体力の面で大変じゃないかな、と思いますが。体調を崩さず、いい将棋を見せていただきたいですね。
それで、もし『羽生七冠王』が誕生したならば、今度はその羽生さんを誰が負かすのか、というのが将棋界全体の、一番の大きな注目の的となります。その時は、私が挑戦するまで七冠でいてくれ、と思います」
* * * * *
「史上初の七冠挑戦のかかった王将戦プレーオフ」というフレーズからも、当時、いかに七冠の話題が盛り上がっていたかが実感できる。
1年後も同じような盛り上がりになっているが、1年後の王将リーグ戦は羽生善治六冠(当時)が単独1位で挑戦を決めたため、プレーオフは行われなかった。
そういうわけなので、「史上初の七冠挑戦のかかった王将戦プレーオフ」は、唯一この一局のみが該当する。
* * * * *
「郷田さんには悪いですけれども、将棋界全体を視野に入れて考えると、やはり何とか羽生さんが七冠を目指すという勝負、それを見たい人が多かったでしょうね。実力そのものは、本当に紙一重というような気がしますんでね。どちらが勝ってもおかしくないとは思うのですが」
この時に王将戦挑戦を逃したとして、1年後まで羽生六冠が六冠のままでいてくれる保証はない。
仮に一つのタイトル戦の防衛確率を80%としても、六冠すべてを防衛する確率は26.2%。一つのタイトル戦の防衛確率を90%としてさえも、1年後の六冠保持確率は53.1%。そのうえで、王将戦の挑戦者にもならなければならない。
このタイミングで七冠を目指してほしいという世の中の思いは、相当のものがあった。
* * * * *
「羽生さんはどちらかと言えば、ねじりあいが長いほう、あるいは構想を立てる時間が長い方がより力を発揮するような気がします。一方、郷田さんは、肉を斬らせて骨を断つ、というような、見ていて清々しい将棋。これが郷田将棋だと私は感じています。ですから、短手数で戦いに入れば郷田、序盤が長ければ羽生、というふうに対局前に予想していました」
この年の夏に行われた王位戦七番勝負では、
○羽生善治五冠(当時)の勝ち
第1局(125手)、第2局(140手)、第6局(100手)、第7局(115手)
○郷田真隆五段(当時)の勝ち
第3局(76手)、第4局(63手)、第5局(56手)
と、短手数で勝負が決まった時は、すべて郷田五段の勝ちだった。
* * * * *
「まず序盤の組みあがりの形としては、後手の郷田さんが、羽生さんに好形を許さなかった。そのかわりに2筋の歩は切られた、という非常に難しい取引をしたわけです」
将棋の場合は、このような取引が至るところに発生する。
トンカツが大好きでキャベツは苦手な人が、キャベツが盛り合わされているトンカツ定食を食べる時の気持ち、のようなものと考えることもできる。
* * * * *
「ただ、この▲1七桂と▲2九飛、羽生さん以外の人が指すと、筋が悪い、と言われそうな手です」
今では端に桂が跳んで攻めに参加する順は多く指されているが、この当時は非常に斬新だった。
* * * * *
「それから飛車を5筋にまわりあって、△5五歩(3図)と打った。ここで郷田さんが悔やんでいましたね。これ、絶対に郷田将棋ではない」
どんな局面でも妥協しない、一本筋が通った本筋の郷田将棋。
郷田将棋らしさ満点の手は数多く指されているが、「これ、絶対に郷田将棋ではない」という手は非常に珍しい。
一瞬とはいえ、勢力的に勝っている5筋に打たれた、飛・角・銀の利きをまとめて止めてしまう△5五歩(3図)は、最も郷田将棋らしくない手の代表例ということになるのだろう。
* * * * *
「谷川さんとしては自分の目の前で七冠王誕生、というのはもう死ぬ気で阻止したいはずなんで、ものすごい戦いになるのでは、と思いますね」
この言葉の通り、谷川浩司王将(当時)は王将位を防衛する。
挑戦者が五冠王以下だった場合に比べ、六冠王が挑戦者だと、タイトルを奪わせたくないという気持ちが10倍以上に強くなるのではないかと考えられる。
* * * * *
「羽生さんにしろ谷川さんにしろ、どちらにも二度とない大勝負だと思います」
ところが、1年後も同じ状況となる。二度目があった。
誰もが想像をしていなかったことだと思う。
* * * * *
「それで、もし『羽生七冠王』が誕生したならば、今度はその羽生さんを誰が負かすのか、というのが将棋界全体の、一番の大きな注目の的となります」
1996年のこととなるが、それを実行したのが棋聖戦五番勝負での三浦弘行五段(当時)だった。