羽生善治六冠(当時)と炬燵

将棋マガジン1995年2月号、羽生善治六冠(当時)の「今月のハブの眼」より。

将棋マガジン1994年12月号より、撮影は中野英伴さん。

 11月に入り、肌寒い日が多くなって来ました。

 いよいよ、寒い日の到来です。

 私はまだコートは着ていませんが、出かける時は厚着になってきました。寒さを感じるのは温度の低さではなく、風や雨や雪の有無、湿度なども関係ありそうです。

 八王子に住んでいた時は炬燵が冬の必需品になっていたのですが、最近は使っていません。

 理由は簡単で、炬燵にいるとついぐうたらになり、ただでさえそうなのに一層の拍車がかかるからです。

 今年の夏はとても暑かったので、冬も寒くなるような気がしています。四季がきちんとあることは良いことですが、あまり度が過ぎると考えものです。

(以下略)

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炬燵に入りながら勉強や仕事をすると、ほとんどの場合、急激に生産性が落ちてくる。

逆に、ぐうたらでのんびりと過ごしたいと思えば、炬燵は間違いなく希望を叶えてくれる。

冬の間は炬燵に入ってこのブログを書いているのだが、炬燵のおかげで途中で眠ってしまったり、再び取り掛かろうと思っても、もっとぐうたらであり続けたいなどと思ったりして、平時なら1時間で書き終えることが、6時間もかかったりすることもある。

それでも、炬燵を使うのをやめようとまでは思わないので、やはり炬燵は魔性の電化製品の代表格ということになるのだろう。

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ところで、羽生善治六冠(当時)は「炬燵にいるとついぐうたらになり、ただでさえそうなのに一層の拍車がかかる」と書いているが、羽生六冠が自らを「ぐうたら」だと思っていても、世の中の基準から見れば全然ぐうたらではない可能性が非常に高い。

また炬燵に入って普段に比べて相対的にぐうたらになったとしても、私などが頭をフル回転させている時以上の状態であることは間違いないだろう。

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炬燵に入ってネット対局をした場合と、炬燵に入らないでネット対局をした場合の勝率を比較してみるのも面白いかも知れない。