「振飛車がシロウト将棋に普及したのは、テレビでNHK杯戦が放映されてからではないかと思う」

将棋マガジン1990年1月号、2月号、高橋呉郎さんの「剣豪作家の四間飛車」より。

 五味康祐氏と将棋を指していて、ほんとうに斬られるのではないかと思ったことがある。

 中盤戦のまっさい中に、私は勢いよく銀を打った。とたんに五味さんが大声を発した。「なんじゃ、銀をもっとんのか?」

 しまった、と思ったけれど、もう間に合わない。私は縁台将棋のクセがつい出て、取った駒をにぎって指していた。

 なにしろ相手は剣豪作家である。風貌も並みの人種とはちがう。おまけに、喜怒哀楽をまともに言動に表わす人でもあった。

 剣豪小説を書くくらいだから、将棋を指すときも作法を重視した。正座をして、おもむろに駒箱を開ける。駒を並べるにしても、漫然とは並べない。手つきからして、シロウト離れしていた。当時の私は知る由もなかったが、大橋流で並べていたように思う。

 武士が作法に外れれば、斬り捨てられても文句はいえない。途中で、あぐらをかくくらいは大目に見てくれるだろうけれど、持ち駒をにぎって指すのは、あきらかに作法に反している。

 私は本気で、斬られる、と思った。じっさい、五味さんが盤に向かっているときは、そう思っても、おかしくない雰囲気があった。

「すみません」と一言いって、私は下を向いた。正直なところ、怖くて顔を見られなかったんですね。斬られないまでも、「おまえみたいな無礼者は、顔も見たくない」とお出入り禁止になってもしょうがない、と覚悟した。

 しかし、幸か不幸か、私は武士とは認めてもらえなかったらしい。五味さんは「しょうがないか」といって、つぎの手を指した。私は、はっとした。気がつくと、体中びっしょり汗をかいていたのを、三十年たったいまでも、はっきりおぼえている。

 私は女性週刊誌の編集者になって二年目に、五味さんの連載を担当した。最初の一年間は、毎週取材に飛び歩いていたので、小説の原稿のとり方などを考えてみたこともない。原稿が遅い人とは聞いていたが、小説の原稿なんかは、締切り時間さえ迫れば、しぜんにできあがるだろう、と高をくくっていた。

 第一回の原稿は、余裕をもって書く、とおっしゃるので、締切りの一週間ほど前から、昼となく夜となく、大泉のお宅に参上した。ところが、何日たっても、原稿のほうは一枚もできない。私がショゲていると、帰りしなに、こんな具合いに慰めてくれた。

「だいじょうぶじゃ、今夜はかならず書く。明日の朝までに十枚は堅い。今晩は、安心して寝てや」

 まだ新米だけれど、話をしていれば、ご当人が書く気になっていることくらいはわかる。翌朝、喜び勇んで参上すると、応接間に姿をみせるなり、「パーじゃ。一枚も書けん」

 そんなやりとりをくり返して、いよいよ明朝は締切りという夜を迎えた。ここまでくれば、私も、どうせなるようにしかならない、と開き直っている。徹夜で張り番をするつもりでいた。

 応接間で待っていると、深夜、五味さんが書斎から出てきた。まだ一枚も書けていないという。しばし雑談していると、突然、恐ろしいことをいいだした。

「そうや、気分転換に一番、指そう」

 初対面のときに、上司が私のことを将棋好きだ、と紹介したのを思い出したらしい。私の返事も待たずに、盤を運んできた。私のほうは、将棋を指す心境ではなかったけれど、断わるわけにもいかない。ままよ、とばかり盤の前に座った―

 五味さんと将棋を指すのは、締切りの土壇場のときにかぎられた。”銀打ち”の不作法をしたのは、締切りを何回か経験して、やや気がゆるんだからである。

 五味さんは、かならず四間飛車を指した。それまで、私は、将棋の戦法は棒銀と腰掛け銀と中飛車しか知らなかった。

 振飛車がシロウト将棋に普及したのは、テレビでNHK杯戦が放映されてからではないかと思う。私が五味康祐氏と将棋を指した昭和三十五年当時、縁台将棋の振飛車といえば、超急戦の中飛車が全盛だった。

 五味さんは最初の一戦から、飛車を四間に振り、美濃囲いの陣形を組んだ。それまで私は、四間飛車相手に将棋を指したことがない。とりあえず飛車先を守り、あとはムチャクチャに攻めた。定跡を知らないので、最初から作戦負けしているようなものだが、ぜんぜん歯が立たないこともなかった。三番に一番くらいは勝った。締切りの土壇場で、気分転換に指すには、私は格好の相手だったらしい。

 初見参の四間飛車は、シロウト目にもまことに姿形がよく、いかにもプロが指しそうな戦法のように思えた。五味さんは、つねに和服で通したことからも知れるように、独特のダンディズムをもっていた。四間飛車を愛用したのも、姿形のよさに惚れこんだからにちがいない。

 連載がはじまってほどなく、五味さんは名人戦の観戦記を書いた。二十歳の加藤一二三八段((現九段)が大山康晴名人に挑戦した、ファン注目の一戦だった。

 五味さんが担当した第五局は、千日手になった。その直後に会って、どんな将棋だったのか訊いたら、憮然として、「千日手にすることなかったんや。フタガミタッちゃん(二上達也九段)が解説しておったが、加藤君から攻める手があったんじゃ」

 その当否はべつにして、五味さんの不満は理解できる。千日手は、どうみてもダンディズムにそぐわない。それに、五味さんの小説作法は、毎度毎度、手詰まり模様から、わずかな手がかりで千日手を打開するのに似ている。

 剣豪小説ブームのハシリになった『柳生連也斎』を書いたときがそうだった。

「オール読物」編集部のNさんがきて、チャンバラ小説を書きませんか、という。五味さんは引き受けたものの、なにも腹案がない。しばし話しているうち、ふと思いついて口走った。

「影を斬らそうか」

 Nさんが、どういう意味か訊ねると、

「柳生ですがな。尾張に連也斎という男がおった。強い奴でっせ。あんた、知りまへんか」

 よほどの物好きでなければ、柳生連也斎なんて知っているはずがない。五味さん自身、たまたまま剣道史を読んで、名前を知っている程度だった。「柳生」にしてからが、その場で思いついたにすぎない。但馬守や十兵衛では月並みなので、連也斎の名前を挙げてみた。

 ともかく、二人とも「影を斬る」という意味ありげな思いつきが気に入った。それでいこう、ということになったが、いざ机に向かうと、まったくの手詰まり模様で、指手に窮した。一月のばしに三回、締切りを勘弁してもらった。

 待ったなしの四回目の締切りが迫ったころ、「小説新潮」の編集者が訪ねてきた。次号で剣豪小説の特集を組む。中山義秀、井上友一郎の両大家をはじめ、二人の新進有望作家が書くことになっている。あなたも一枚加えたいので、なにか書いてもらいたいという。

 当時、五味さんも新進作家の部類にはいったが、これを聞いてコチンときた。そんなに簡単に書けるくらいなら、これまで、なんのためにNさんを困らせたかわからなくなる。Nさんには、何度むだ足を運ばせたことか。

「オール読物」は、剣豪ものを一本しか予定していない。「小説新潮」は四本。五味さんは、これはおもしろくなった、と思った。よっしゃ、連也斎一人で剣豪四人に対抗させてみよう。Nさんのためにも、いい小説を書かねばならないという気持ちになったという。

『柳生連也斎』は、あのときにできあがったも同じだ、とも五味さんはいっていた。私は、この話を聞いて、それまでも五味さんが好きだったけれど、いよいよ好きになった。

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五味康祐さん(1921年-1980年)は、剣豪・時代小説を数多く発表した作家で、観相学や麻雀などにも造詣が深かった。

クイズ番組などのテレビ出演も多かったと思う。

Wikipediaの写真は若い頃のものだが、長髪と髭と和服で、升田幸三実力制第四代名人と少し似たような雰囲気も持っていた。

五味康祐(新潮社)

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「私は女性週刊誌の編集者になって二年目に、五味さんの連載を担当した」

高橋呉郎さんはこの当時は光文社で「女性自身」の編集者だった。

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「連載がはじまってほどなく、五味さんは名人戦の観戦記を書いた。二十歳の加藤一二三八段((現九段)が大山康晴名人に挑戦した、ファン注目の一戦だった」

観戦記を書いた時の五味康祐さんの様子が書かれた記事がある。

やはり剣豪小説のようにはいかなかったようだ。

「残念ながら、指し手が邪魔をして血の雨を降らせることがでけん。前言取り消しだよ、ご免な」

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「振飛車がシロウト将棋に普及したのは、テレビでNHK杯戦が放映されてからではないかと思う」

たしかに、1960年代までは「振り飛車が有利」という本はほとんど無かった。

入門書に「三間飛車戦法」のページがあったとしても、三間飛車破りだった。

「新しい振飛車」という本があっても、振り飛車破りの本だった。

入門書や定跡書だけを読んでいたら、振り飛車を指そうなどと思う人は現れないような環境だった。

それにもかかわらずアマチュアで振り飛車党の人気が高かったのは、やはりNHK杯戦あるいは新聞観戦記による影響が大きかったのだと考えられる。

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私が買った本ではないけれども、五味康祐さんの『五味人相教室』(1968年)という本が家にあった。

その中から、いくつか。

「口の大きい女性は、夫を養う」
「唇にホクロがあれば、食べるのに困らない」
「眼の大きな男性は、口説き上手である」
「鼻の下は長いほどよい」
「顎の長い男性は、愛妻家である」
「夫の浮気は小指でわかる」

それぞれに解説と実例が書かれている。

上に挙げたものは、放送コードに触れないような無難なものばかりで、あとは「額が◯◯なのは男運がない」や「耳が◯◯なのは△△が□□□」のような内容が多い。

あくまで、昭和の話。

五味人相教室 (カッパ・ブックス)