近代将棋1996年2月号、棋士インタビュー:田村康介四段「定跡より感性を……」より。
さっそくですが、今回は最終までギリギリだったらしいですね。
「ええ。途中で3連敗したので、一度は諦めた。ただ、3連敗のあと15回戦で勝ったので、多少はまだ目があるかなあという感じでした。最終日も(競争)相手が負けなければ上がれない状態。結局12勝6敗で上がったんですが、史上3人目だそうです」
「でも、はじめの1期目は14勝4敗で上がれなかった。これは史上2人目だそうです(笑)」
すると、運がいいのと悪いのと両方味わったわけだ。
「はじめの年は成績がよかったんで、将棋をちょっと舐めてしまった。それで次の年も10勝8敗で、反省なし。2期目なんかどうやったって上がれると思っていた。ふつうに指していれば上がれると」
田村クンはそのとき16歳。生家は新宿のど真ん中にビルを持っている資産家で、生活の心配はまるでない。将棋なんか楽だと思って無理はない。
麻雀や競馬ばかりやっていたという噂を聞きましたけど、ゲーム類は好き?
「ゲームより、バクチが好き(笑)」
記者は少し和らげて聞いたのだが、湾曲した言い方は好みにあらず。素直さ潔さ男っぽさを匂わせる、野生の魅力がある。ともすると、見てくれを気にする若者が目に付くが、豪快なタイプは将棋にはよく似合う。
「競馬は馬次第なところがあって、あまり熱中しませんでした。麻雀は中学のときからやっているので、少し熱が醒めました。あれは長くやると技術的な差が出てきますね。チンチロリン(サイコロ)は好き。あれは気合いですね(笑)」
ことばを飾らないから、人によっては誤解されるかもしれない。誤解を恐れないというか、誤解されたってどおってことない。オレを分からない奴はそれでいい、そういう潔さが根底にあるのでは。
話を奨励会に戻して、将棋を舐めて2期目まで行ったと…。
「はい、3期目がまったくひどくなって8戦目までに、1勝7敗と大負け。全然勉強していないのに、まだ楽天的で。そのあと、8勝10敗まで戻した。4期目は最後のほうは上がり目がないので、ちょっといい加減になって、ずるずる負けてまた8勝10敗…」
米長理論の、関係なくなっても一所懸命やるっていう考えは知っていた?
「ええ。でもぼくは勝負に関係ないと力が入らないほうで。目がないと、すぐに投げちゃう(笑)。たぶん、奨励会で午前中に負けた場合の午後の勝率は、2割くらいでしょ」
午前中に負けるともう嫌になる。連敗すると昇級レースに赤信号が灯るというわけだ。でも来期の順位とか。
「上がれなきゃ、同じと思っちゃう。また来期、やり直せばいいと。でもホント言うと、今期ダメなら奨励会を辞めるつもりだったんですよ」
えっ。退会するって、まだ19歳じゃないの。
「まだその先なにをやるかなんて考えていないけど、はじめから21歳になったら辞めるつもりでした。早ければ、人生やり直しが利きますから…」
高校は行ってないの。
「ええ、中学もロクに行ってない(笑)。小学校6年で入門し、中1で麻雀覚えてフリー雀荘へ通っていた。麻雀は誘われたら断らないけど、今は熱中していないですからね」
将棋はいつから…。
「小学3年でお父さんから教わったんですが、1週間でアマ6級くらいのお父さんと互角になった。将棋連盟の子供スクールに通って、半年で三段まで行った。4年生のときにはアマ四段だった。5年で五段になり、奨励会を受けようと思った。そうしたら鈴木大介クンのお父さんに、力をつけてから入ったほうがいいと言われた。それで1年遅れて受けたんですが、その1年間はなにも勉強しないで、連盟に行くと鳩森神社へ行って友達とオイチョカブをやってた(笑)」
凄い子供だね。誰に教わったの。
「お父さん。お年玉もらうと、オイチョカブに誘われるけど、向こうはお金持っているから、強いんですよ(笑)」
ほかの兄弟は?
「あまりやらない。兄は今20歳(大学2年)で妹は中2かな」
今は親の家にいらっしゃるけど、独立する気はないの。
「今んとこない。その日暮らししていければいいという考えなので…。今んとこ場所も便利(新宿)で生活が楽ですし、それに今のままじゃ、外で暮らす自信がない。たとえば年収が一千万くらいになれば出るかもしれない」
稽古(レッスン)はやらないの。
「定期的にやるものが嫌い。生活が縛られるようで、それに稽古将棋だと手を抜く癖が実戦で出そうな気がする。相手が子供ならケチョンケチョンにやつけてもいいけど、大人相手はお世辞を言ったり遠慮しなきゃならないから。ぼくがもうちょっと強くなればいいけど…。たとえば羽生先生なら全部勝っても、お客さんも文句言わないでしょ」
戦法は何が好きなの。
「相手次第ですが、だいたい中飛車が多い。5、6割かな。あと四間飛車アナグマもよくやる。これ小学生のころから変わりません。ヒラメ戦法も好きでよくやりますね。100局はやったかな」
ヒラメって、金が2枚くっついているからヒラメに似ているという…。ああいうのをプロがやるんですか(笑)。ツノ銀中飛車なんかはやらないの。
「あれは勝ち味が遅くて。それに受け将棋でしょ。ぼくは攻めが好きだから…」
ちょっと聞いていると、アマチュアと話しているみたいね。ところで、将棋の勉強はどういう形でやっているの。
「連盟で練習将棋指すくらい。棋譜をコピーして家で並べるとか、そういうのはやってない」
へえ。プロ棋士は全員棋譜並べをやっているもんだと思っていたけど。
「序盤の指し方なんか、覚えたほうが得かもしれないけど、慣れないことはやらないほうがいい(笑)と。努力しても変わるもんじゃない」
プロは型通りの勉強をしてもそれ以上にはなれない。自分の将棋を創っていかないといけない…そういう点では森雞二九段に似ているね。
「いえいえ。雲の上の存在です。遊び将棋は指していただいていますが、あれは全然違う将棋ですから。本番こそホントの将棋ですから」
棋譜を並べすぎると、それに頼る傾向が出てくる?
「やりすぎると、将棋を決めちゃうところが出てくるのでは…。ぼくは自分の創造性を大事にしてゆきたい」
こんなことを伝統的な将棋界で言うときっと生意気だという人がいると思う。だが、田村クンの率直な感性から出るとそこに将棋の神髄が、ほのかに感じられるのである。
プロは要領よく先陣の真似をして勝ち星をまとめるよりも、持って生まれた感性を育て、誰にも真似の出来ない将棋を表現するのが最高の生き方ではないか。この部分は多くを語らなかったが、こういう意味だと解釈した。
そうすると研究会もあまりやらない?
「メンバー次第です。名目だけで遊びが目的のもありますし…。本番で当たる人とやっても意味ないですし。たまーに、調子を見る意味でやるぐらい。それに決めて定期的にやるのが嫌いですから」
行動の予定を組むのが嫌いみたい。
「旅行でも国内ならば、予定を決めないのが好き。宿屋も汽車もその場で決めるような旅…。あんまり前から決めると、つまんなくなっちゃう」
プロの対局をやってみて、なにか見通しが立ちましたか。
「いや。1年やってみてから、持ち時間やらなんやら、どんなものか確かめてからの話です」
10秒将棋は手が見えて、めちゃめちゃ強いという噂ですが。
「あれで勝っても意味ない。あんなの負けてもいいんですよ。ホントは」
無頼派と紹介された田村クンだが、自由に縛られたくないという面や、率直にモノを言う人柄がそう思わせるのかもしれない。久し振りに、若手プロらしい瑞々しさに溢れた青年棋士を見た。
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中学生の頃から見事な無頼派だった田村康介四段(当時)。
「ええ、中学もロクに行ってない(笑)」というのが心強い。
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「競馬は馬次第なところがあって、あまり熱中しませんでした。麻雀は中学のときからやっているので、少し熱が醒めました。あれは長くやると技術的な差が出てきますね。チンチロリン(サイコロ)は好き。あれは気合いですね(笑)」
飲む・打つ・買うの「打つ」の分野も奥深いことがわかる。
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「最終日も(競争)相手が負けなければ上がれない状態。結局12勝6敗で上がったんですが、史上3人目だそうです」
その後を見ると、12勝6敗での四段昇段はそれほど珍しいケースではなくなっている。
「でも、はじめの1期目は14勝4敗で上がれなかった。これは史上2人目だそうです(笑)」
反面、14勝4敗で上がれなかったケースは、この後も少なく、歴代としては、
豊川孝弘三段、田村康介三段、松本佳介三段、伊藤真吾三段、豊島将之三段、服部慎一郎三段のみ。
14勝4敗で上がれなかった後、田村三段は旅行に出ている。