真部一男七段(当時)「現役に戻りたいんじゃないですか(笑)」

将棋世界1982年7月号、師弟交歓対談〔加藤治郎名誉会長-真部一男七段〕「将棋憲法を早急に作るべきだ」より。

本誌 加藤先生、このたびの叙勲おめでとうございます。

加藤 や、ありがとう。これも将棋ファンのおかげと感謝しています。将棋界全体のことを思えばこんなにありがたいことはないんだけれど、個人的には引導渡された感じでいよいよ千秋楽かって、妙な気もする。いただく感激と同時に寂しさもあるネ(笑)

(編集部註・春の叙勲で勲四等旭日小綬章=文化普及に尽くした功により)

真部少年との出会い

加藤 真部君とこうやって面と向かって話をするなんてこと、あったかな。

真部 いいえ初めてです。いつもはお説教ばかりされてる感じですからね(笑)

本誌 真部さんと先生の出会いはいつ?

真部 ぼくが先生のところへ伺ったのは昭和39年の2月ですから……。

加藤 18年前か。6年生の3学期だったね。

真部 普通稽古は一局なのに、ぼくは二局指してもらいましてね、嬉しかったですよ。

本誌 終盤がめっぽう強かったとか。

加藤 そう、大体終盤が強くなきゃダメ。終盤が強いのは急速に伸びる。

真部 そんなに終盤が強かった覚えはないんですが(笑)アマ5級ぐらいですから。

本誌 プロを目指したのは?

真部 2、3ヵ月後です。アマ三段になったら奨励会を受けられるという話を聞いて、先生のところはお休みして将棋会館の道場で指しまくって、それぐらいになったんです。それから先生のところへまた伺って、飛落で歯が立たなかった人と対戦するんですが、相手はぼくのこと知らないからまた飛を落とす。全然勝負にならないんです。二局目も落とそうとした時に、先生が見かねて「○○さん、平手で指したら」とおっしゃったことが印象に残っています。奨励会へは翌年の1月、6級で入会。ぼく一人だったですね。

加藤 それまでは指してたけど、奨励会へ入ったらもうぼくは指さないからね。

本誌 木村義徳八段とは指したんですか?

加藤 いや、彼はアマ名人と学生名人でいきなり入ってきたこともあって指さなかった。ぼくも50年まえに三段で入ったけど、下から上がってきた連中は不満なんだ。でもかえってその方が闘志が湧く。みんな敵なんだから。

将棋界、今昔物語

本誌 やはり昔と今では、将棋界に対する認識が違ってきているんでしょうか。

加藤 それは全然違う。昔は親や親戚の反対を押し切ってこの世界に飛び込んだのに、今は入会試験に親がついてくる。ぼくらの場合、親や親戚を見返してやろうという気もあったんだけど、今の人は逆に親に勧められる。

真部 親の方が熱心ですね(笑)

加藤 ぼくらはただやりたいからやるだけで、対局料もらった時も”お、こんなにもらえるのか”って全然計算がないの。今の人は”四段になればこれだけの収入がある”ってちゃんと計算してるっていうじゃない。

真部 先生が将棋界へ入られたのは、中島富治さんが「これからの将棋界は世の中のこともわかっている人がいなければ…」とスカウトされた格好でしたよね。

加藤 将棋界のレベルアップという意味でね。まあ、この世界はサラリーマンと違って1年経てば昇給するもんじゃないからね。大学の連中が集まって会合やると、出たての頃はやれ5円上がった、10円上がったって給料の話ばっかり。こっちは全然上がらないから、つきあいづらかったな。

真部 その頃も月給制はあったんですか?

加藤 うん、名人戦ができてから月給制もできた。しかし、自分の好きな道で一生過ごせるなんて幸せなんだね。昔は新聞に名前は載せるから名は売れるけど、収入がともなわない。お台所はひどいんだ。だから”貧乏名士”と言われてたけど、それが今や名実ともに備わってきた。幸福なんだね。

坂田三吉と戦う

加藤 でも70過ぎて生きてるなんて思わなかった。親父は42歳で亡くなったからね。…金先生の88歳の誕生祝いを三門会でした時に「金先生が長生きできるのは中原名人のおかげ」って言ったの。もう孫弟子が可愛くて仕方ないんだな。中原名人が次々とタイトル戦をするその一戦一戦が、心配でたまらない。そして中原名人がタイトルを取るから、心配のあとに喜びがやってくる。そうすると、もうトシをとってる暇がない(笑)

本誌 先生もそうなんでは。

真部 それには弟子がもっと勝たなきゃ(笑)

加藤 2年前に義徳君が八段、真部君が七段に上がって、あの時はバカに喜ばしやがんの。そしたらあれだろう。また真部君がお城将棋で二歩打ったり、義徳君が二手指しやったり…。ぼくを長生きさせるためかな(笑)二歩といえば最近おもしろい夢を見たんだ。今までは学校の試験の夢見てたけどそれはもう卒業して、見たことのない将棋の夢を見ちゃった。それが坂田三吉王将と将棋指してんだな。ぼくの方が優勢なんだけど、ひょいとトイレに行ってる間に局面が進んでいる。いくらやっても戻せない。優勢なのになあとよく見ると、盤面にぼくの歩が二つ並んでんだよ。二歩打ってるんだ。坂田王将、ぼくに言うのが悪いと思って盤面をこんなにごしゃごしゃにしちゃったんだなあというところで目が覚めた。珍しい夢だろう。反則というものは棋士として恥ずかしいと思う気持ちが強いから、夢に現れたんだな。でも夢で坂田王将と指したなんて、おもしろいよね。それとも将棋の夢なんか見てるようじゃダメかな。

真部 現役に戻りたいんじゃないですか(笑)

将棋番付戦の復活

加藤 退役になってから驚いたのは、朝連盟へ顔を出して対局を見て、外出してから夕方帰ってくると同じところで二人が盤に向き合ってんだ。「あれ、まだやってる」(笑)自分が現役の時は気づかなかったね。

本誌 あの頃は持ち時間が長かったから、考える人は考えたでしょう。持ち時間を短くすることは提案しなかったようですね。

加藤 うん、公式対局が少なくて、負けちゃう人は年4、5局。今は年間2000局弱っていうからケタ違い。でも、いま一番強さの標準を作る棋戦といったら”番付戦”だね。

本誌 順位戦じゃないんですか。

加藤 順位戦はA、B1、B2…と垣根がある。番付戦はその垣根を全部とっぱらったものだからね。いま相撲でやってる番付戦は相当歴史があって、強さの順番はこれが一番と決められたんじゃないかな。

本誌 番付戦が一番理想的ですか。

加藤 いまの順位戦制度は下の人がかわいそうだよ。いくら8勝2敗しても、その上に9勝1敗や10戦全勝がいるとまた元に戻っちゃう。C2は今年40人。永久に残る人が出てくるよ。番付戦にはそれがない。勝てば勝つだけ上がれるんだから。まあ、順位戦と番付戦の2本立てだね。そうすれば、順位戦はだめだけどこっちで頑張ろうって人が出てくるよ。

真部 いまの制度だと、どうしても無理がきちゃいますものね。

加藤 もうきてるよ。

真部 何回か改革案は出るんですけど、結局いろんな事情が重なってできないですね。

加藤 八方美人的な、つまりどのクラスにもいいというものは絶対にできない。ある程度強引に通して少しずつ改良するようにしなくてはね。ぼくの理想は、番付戦をやって強いアマチュアをどんどん幕下に入れてあげるの。昔、読売の予選にアマが参加したことがある。あれはぼくが会長の時やったんだけど、学生相撲で優勝した人が幕下付出しでデビューする、あれ式にやったらおもしろいなあ。

将棋憲法の制定

加藤 番付戦もそうだけど、今一番気になってんのは将棋のルールブック。名人戦第1局持将棋になったけど、このはっきりした規約がないんだよ。

真部 どの時点で持将棋と見るか、非常にあいまいですね。

加藤 やろうと思えば400手でも500手でもやれる。それを初めとして将棋の規則、つまり将棋憲法がないんだ。極端な話、将棋とは何であるかもない。将棋とは盤に向かい合って戦い勝つべき、という規則もない。

真部 面白いお話ですが、それは不文律。

加藤 不文律だろうけどね。それを今の若い人に作ってもらいたい。大変だよ、対局場の温度から、湿度からみんな決めて…。

本誌 えーっ??

加藤 だって片一方が暑いから窓を開けろって開けると、もう片一方が寒いから閉めろってんじゃ、記録係がかわいそうだよ。

真部 棋士自身がルールにあまり関心ないんです。めったに起きそうにないことは、その時に解決すりゃいいって感じなんです。

加藤 いま将棋が盛んになりつつあるから、この際そういうものをキチッと作りたい。

本誌 昔より今の人の方が合理的だから、細かいルールを作った方が喜ぶかもしれない。

真部 いま持将棋の話が出ましたけど、現行の24点制はたしかに合理的じゃないですね。27点制の方がスッキリしてると思います。棋士にアンケート出して調べてるんですが、やはり無関心なんです。それと昔のルールでやってきた先生は、変えることに何か抵抗を感じるみたいですね。

本誌 だけど、どの時点で27点なんですか。

真部 それが非常にむずかしいんです(笑)

加藤 そうなると技術の問題になってくるんだよ。たとえば立合いやってて、こちらから何か言っても「退役の連中にわかるか」と対局者に言われたら、何も言えなくなる。あとはもう当人同士の合意しかないもの。

本誌 350手で打ち切りにするとか…。

加藤 あれはね500手とか600手やれば、大駒3枚持ってる方が勝つ。でも、それやると棋士は死んじゃう。だからあいまいだけど規則作って、点数制にして途中でやめてるの。

真部 青野君が”対局規定”というかなりの労作を創ったんですけど、結局とおらない。どこか一部分、たとえば千日手の項でもめると、結局元のままでいいんじゃないかと(笑)

加藤 でもそういう根本的なものは早急に作らないといけないと思うな。むずかしいだろうけど、若い人にやってもらわなくっちゃ。……このところ、ぼくが立合いやるとなんか変なんだな。(笑)大山-中原の王将戦が千日手、中原-加藤の名人戦が持将棋、観戦記書いている王座戦の勝浦-前田戦が千日手…とぼくが出てくるとおかしいことが起きる。

本誌 対局者も加藤先生が出てくるとうまくさばいてくれるから、と安心してるんです。いくらか甘えているんですよ(笑)

(中略)

将棋と囲碁、両方の名人は可能か

本誌 真部さんはゲームがお好きとか。

真部 ええ、チェス、連珠、バックギャモン、オセロとかいろいろやりましたが、結局、碁将棋がケタ違いにおもしろいですね。普通のゲームは少しやればすぐ強くなるんです。これは張り合いがない。強いやつにはなかなか勝てないというのが面白いですね。

加藤 そういう世界に本当のプロができる。

本誌 ところで将棋と囲碁どちらもプロのトップレベルの実力を持つ人というのは、現れますかね。

加藤 おもしろい。これと似たようなこと、ぼくは考えたことあるの。眠る前に1時間ぐらい考えるくせがあるんだけど、その時に考えたのは陸上と水泳の記録を一人で全部取れるかどうか。その前は水泳の全記録を一人占めできるか、陸上で全記録を独占できるかと考えた。これは大変なことだよ。その質問は似ていると思うけど、どうかな。

本誌 将棋連盟と日本棋院の両方に所属することはできるんですかね。

真部 連盟には”所属できない”という規則はないはずです。

本誌 では制度上は問題ないわけですね。

真部 ただ能力の問題でしょう(笑)

加藤 どっちがむずかしい。たとえば水泳の1500mと陸上の1500mの両方の世界記録を作るとか、両方の100mの世界記録を作ることに比べて。

真部 運動の方がむずかしいでしょう。碁将棋はある程度共通する部分がありますから。ぼくは将棋と碁の両方の名人が誕生する可能性は十分あると思います。

加藤 レコードはどんどん伸びてどんどん破られる。際限がない。今日チャンピオンでも明日どうなるのかわからない。

真部 ただ人間としての限界点はどっかにあると思いますね。どんな世界でも。

加藤 ぼくはないと思う。

真部 でも陸上の100mが4秒になったり3秒になったりは、絶対にありえませんよ(笑)

加藤 ぼくはあると思うんだよ。

真部 それは構造的に無理ですよ(笑)

加藤 馬や犬を見てごらん。牛みたいなすごい犬がいるかと思えば、ものすごく小っちゃいのもいるし、えらい違いなんだ。いま水泳の記録保持者が身長2mぐらい。あれがずんずん伸びて、極端な話25mぐらいの人間が現れたら、記録もぐんと伸びる。

真部 それはありえません(笑)足の太さや骨の大きさは、地球の重力で暮らしている生物の限界なんです。3mを超えるとなるとそれこそ象みたいな太さになりますよ。

加藤 それが食糧かなんかの関係で改良されて、突然パッと現れるんじゃないかと思うんだ。50mプールで25mの人間がポンッと飛び込んで、パッとターンしてごらんよ。これは伸びる(笑)。こんな馬鹿げたこと考えながら寝ると、寝られなくなっちゃうんだよ(笑)

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加藤治郎名誉九段は早稲田大学を卒業して将棋界に入った、当時としては非常に珍しい経歴だった。

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制度やルールの明文化など、今から見ても加藤治郎名誉九段の先見性がよくわかる。

25mの人間の発想が凄い。

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加藤治郎名誉九段は、順位戦でA級から降級したのを期に30代で引退をしている。

大山、升田には勝てない、というのが大きな理由だったと言われている。

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このように話が面白く見識のある加藤治郎名誉九段だったので、1990年代初頭に加藤治郎名誉九段を囲む「戌年の会」が発足している。

戌年生まれの棋士による「戌年の会」

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私が小学生、中学生時代は、NHK杯戦の解説は加藤治郎名誉九段と倉島竹二郎さんが常連だった。

初代・将棋ペンクラブ名誉会長でもあった。

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真部一男八段(当時)による加藤治郎名誉九段追悼文→棋士たちの海水浴

 

 

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