将棋世界1996年4月号、泉正樹六段(当時)の「公式棋戦の動き」より。
全日本プロトーナメント
藤井といえば、振り飛車党の中では一、二を争う強腕の持ち主。順調に昇級、昇段を重ねているから苦労がないように見えるが、実際は違う。15歳の頃は奨励会入会を目指す研修生で、重たい振り飛車を懸命に指していた。
野獣幹事は「振り飛車はもっと軽く筋良く」を連発したが、藤井は16歳6級から今日まで自身を完璧なまでに貫いている。おそらく、普通の人の何倍も努力しただろう。年齢よりも気持ちが大事と、証明してくれている。
佐藤(秀)は社交面を大事にする男で、学生時代の友人達がゴルフに興じているらしく、自身も「今月は月の半分近くクラブを握っていました」という、野獣も真っ青の入れ込みよう。
将棋を忘れている訳ではない。他の社会人と接する事で、棋士にない何かを吸収しようとしているのだ。色々な生き方があるからこそ人生は面白い。
7図、藤井ピンチに見えるが、
▲7四歩△8六歩▲7三歩成△同金▲6五桂と角を見捨てて優勢を確保。これでベスト4進出。数週間後に結婚を控えてパワー全開。
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藤井システムが世に出た直後の頃のこと。
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「15歳の頃は奨励会入会を目指す研修生で、重たい振り飛車を懸命に指していた」
藤井猛九段は、奨励会初段の頃まで、中飛車が得意戦法だった。この頃の中飛車はツノ銀中飛車が主流で、軽妙というよりはじっくりとした戦法だった。
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「藤井は16歳6級から今日まで自身を完璧なまでに貫いている。おそらく、普通の人の何倍も努力しただろう。年齢よりも気持ちが大事と、証明してくれている」
途中から四間飛車党に変わったものの、藤井猛九段の将棋に対する姿勢は変わっていない。
泉正樹六段(当時)のこの言葉が、特に「年齢よりも気持ちが大事と、証明してくれている」が、あまりにも感動的だ。
→藤井猛少年と三浦弘行少年の「山賊ラーメン」「海賊ラーメン」
→「最も実戦の数が少なくて奨励会に入った」棋士と「最も実戦の数をこなして奨励会に入った」棋士