「一人で行って・・・」

”羽生世代グラフィティ”などという陳腐な表現ではバチが当たりそうな、素晴らしい文章。

1992年の先崎学五段(当時)の著書「一葉の写真」の”戦いすんで日が暮れて”より。

1990年の第3期竜王戦で、羽生善治竜王が谷川浩司王位・王座に敗れて失冠した時の出来事。

 竜王戦が終わった。

 僕にとって今期の竜王戦は、谷川浩司が勝ったシリーズではなく、羽生善治が負けたシリーズだった。多くの将棋ファンの考えも同じではないだろうか。

 結果的に四勝一敗という大差のスコアになったものの、羽生にとって救いだったのは、ストレート負けを免れたことと、内容の点で良質の将棋が多かったことだろう。

(中略)

 羽生と僕は、棋士仲間でもあり遊び仲間でもあるので、気が合うだけではなく顔も頻繁に合わせるのだが、三局目と四局目の間は、一度も会うことがなかった。友のうちひしがれた姿を見るのはせつなかったし。向こうだって会いたくないだろうと思った。だいいち、一緒に酒を飲んだって旨いわけがない。

 四局目に羽生が大逆転で待望の一勝をあげたあと、二人で小劇場で行われる演劇を観に行った。息もつかせぬ展開で、体制権威に対するブラックユーモアにあふれた現代劇はすばらしかったのだが、不幸なことに、劇が終わったとき外は大雨だった。

(中略)

 二人とも傘など持っているわけがない。「どうしようか」目と目が合った瞬間に大きなため息がでる。小劇場は団地の真ん中にあるので、近くに雨宿りできるところはない。駅まで約十五分。走ったって風邪をひくかもしれない。この大事なときに-である。

(中略)

 二十分も待ったろうか。小やみになりそうにないので、駅まで走ることで意見が一致した。

「一、二、の三」

 小声で囁きあうと、二人は頭の上に新聞紙をのせて走りだした。途中に赤信号があったが、当然、無視、である。後ろで車の急ブレーキの音がした。ひたすら走った。

 駅の近くの繁華街まで走るのを覚悟していたのだが、二分も走ったとき、道の左にオレンジ色の明かりが見えた。

(コンビニエンスストアだ!)

 僕は、先に走る羽生に「入れ、入れ」と大声で叫んだ。「夏山や、水場みつけて生きかえり」といった心境になる。

「やったぜ」「ざまあみやがれ」

 そんなやりとりをしたあと、二人で破顔一笑となった。羽生は、じつによい笑顔をつくった。傘は、四百五十円だった。

 二日後にまた会った。これは、二人にとってちょっと楽しい一日だったので、彼は一日じゅう上機嫌だった。これなら-と思って少し嬉しくなったのだが・・・。

 第5局は、羽生の四間飛車で始まった。

 これには僕のみならず、業界関係のすべてが驚いた。羽生は、一応はどんな戦型でも指しこなすが、そのなかで一番実戦経験が少ないのが振り飛車だからである。おそらく、一般マスコミの記者たちは「この大事な一局に飛車を振った度胸はすばらしい」などと書くのだろうが、そんなことはない。ただ、たんに谷川必殺の角換わり腰掛け銀に対する、後手番の対策がなかっただけだろう。

 気がつくと、僕は、対局場の天童「滝の湯ホテル」にいた。天童に行こう、この目で世紀の一戦をしかと見届けよう、と思ったのは、羽生が飛車を振った、と聞いたときだった。いかに対策がなかったからとはいえ、この一戦に指し慣れぬ先方を採ることは、やはり大博打であることには違いない。ようするに彼は、ここで振り飛車で負かせば、相手に対するダメージが大きい-ということは、残りを連勝できる可能性も高い、と考えたのである。

 天童に着いたのは、一日目の夜遅くだった。僕はこっそり行ったつもりだったのだが、向こうはどうやら知っていたらしい。このあたりが将棋連盟というギルド社会のおそろしいところである。

 対局者にはできるだけ会わないようにしていたのだが、朝、部屋を出たところで偶然羽生に会った。羽生だけは、来るという情報を知らなかったらしく、びっくりしていたが、「おはようございます」と僕がいうと、黙って頭を下げうつむき加減に部屋に消えていった。それが”二十歳の竜王羽生善治”を生で見た最後の姿になった。

 不思議なのは、あのところで「おはようございます」という言葉が自然に出たことだった。僕は彼と会ったときは「やあ」か「おう」。せいぜいが「おはよう」であって、ございますなんて敬語を使ったことはほとんどなかった。それに対する羽生が、黙って部屋に入ったのもおかしい。普通ならば二言三言は会話が成立するはずである。羽生は、そのときすでに嫌な予感がしていたのだろうか。

 さて、肝心の将棋の内容だが、これは、一言でまとめると谷川浩司の名局だった。谷川さんの指し手には淀みがなく、全体を通して勢いと”気”に満ちあふれていた。見ていて、惚れ惚れするような、それでいて狂暴さにあふれているような物凄い強さだった。羽生はあきらかにその勢いに押されていた。気持ちのうえで差があったのであろう。実際の形勢がそれほど離れていないにもかかわらず、控室の雰囲気は、谷川勝ち、新竜王誕生-に染まっていた。

 谷川さんは、中盤の勝負所で、あまり考えずにビシビシ指した。故意に作戦としてそうしたわけでもないだろうが、まるで怒っているようだった。まさか羽生が飛車を振ったことに腹を立てたのではあるまいが。

(打ち上げの席、そして・・・。ここからの先崎五段の文章は圧巻)

「申し遅れました。わたくし山形県○×協会□▽と申します。いやあ羽生さん。まあ気を落とさずに。まだお若いんだから」

「はあ、そうですね。また頑張ります」

 こんな会話が僕の視線のさきから聞こえてくる。その向こうからは「おめでとうございます」の声がひっきりなしに飛んでくる。

 僕には、羽生が敗着の△2五角(本当の意味の敗着ではないが)を指したあと、打ち上げが始まるまでの二時間の記憶がほとんどない。一つだけいえるのは、その二時間の間に、竜王という肩書きと権威が、一人の男から一人の男へ移ったことである。感想戦も見たような気がするがよく思い出せない。気がつくと僕は、打ち上げの席で酒を飲んでいた。

 酒が苦い。目の前には最高級山形牛のしゃぶしゃぶ鍋があるが、肉などは食う気分になれない。もちろん対局者は最上席。こちらは飛び入りなので末席である。しかし両対局者を窺ったとき、表情に大差があることは、だれから見ても一目瞭然だった。

 谷川さんの顔は、子供のような顔だった。誤解されるといけないので説明すると、オール5を貰って、家までスキップでもしながら帰るときの子供の顔だった。鍋は熱く、ときに顔から汗が滴り落ちたが、その汗は、相手をKOしたボクサーやウイニングパットをしずめたゴルファーがみせるすがすがしい汗だった。

 羽生は、顔面神経痛になっていた。

 愛想笑いを浮かべているものの、慰めともつかない言葉をかけられるたびに(これは彼の癖なのだが)、顔がゆがんだ。

 少し腹が立った。ポーカーの大勝負で一文無しになった男に「惜しかったね」といってなんになるのか。最愛の恋人を奪われた男に、初対面の奴が「女なんて星の数ほど・・・」といってどうなるのか。しかも奪った恋敵がすぐそばにいるのだ。

 みかねたので「こっちで飲もう」といって小林さん(健二八段)、杉本君(昌隆四段)と一緒に飲んだ。

 小一時間がたち、酒もよくまわったところで、今からゲームでもしようということになって、前記の二人と、今しがたまで控室となっていた部屋に移った。まだ”偉いさん”も大勢いたのだろうが、そんなことは関係ない。さっそく四人で、まったく頭を使わないゲーム(チンチロリンではない)が始まった。僕はウイスキーをロックであおっていた。しばらくすると谷川さんが、隣の部屋で島さんや塚田さんとモノポリーをやっているという情報が入ってきた。ちぇっ、おもしろくねえや。どうせ「おめでとうございます」「ありがとうございます」なんていいながら酒も飲まずにやってんだろう。僕は、すでにしてアブナクなっていた。

 それからどのくらいたったのだろうか。もう日付も変わったころに、飽きたので麻雀をやろう、ということになり、麻雀が始まった。羽生はこわばった顔をいつもの顔に戻して、覚えたての麻雀を楽しんでいた。

 と・・・、そこに谷川さんと塚田さんがNHKの関係者数名と連れ立って、入って来た。モノポリーが終わったのだろう。入って来ると、みんなで羽生の右後ろに座り、酒を飲み出した。塚田さんはワンカップを飲んでいた。僕は、信じられなかった。羽生の顔がしかむのがわかった。

 おそらく谷川さんに悪意はなかったのだろう。塚田さんは酔っ払っていたのだろう。しかし、あまりにも”配慮”が欠けているように感じられた。僕の感性では、このようなことは、あってはならないことである。勝者は部屋に戻ってゲラゲラ笑えばいいんだ。気の合う仲間と喜びを分かち合えばいいんだ。あるいは街に出て女をからかうのもいいし、みんなの前でパンツを脱いでもいいだろう。

 だが、夜ふけたころに、負けた人間が、気を紛らわすために遊んでいるところに来ることはないじゃないか。いくつも部屋があるなかで、わざわざそこで飲むことはないじゃないか!もう一回モノポリーをやったら、といおうとして、ハッと口をつぐんだ。目の前でやられてはかなわない。かといって先輩に「どこかに行っていただけませんか」というわけにもいかない。僕はだんだん錯乱してきた。

「この部屋にいるからには、この麻雀のトップ賞として十万円出してください」

 といったかと思う。約四、五回このせりふを繰り返した。とにかく、僕は、尊敬してやまない谷川浩司先生にカランデシマッタのである。ああ、畏れ多い。

 日ごろならば、羽生もちゃちゃを入れるところだが、彼は、麻雀に没頭しているのか、それとも不機嫌なのか「ロン、ポン、チー」以外の言葉を発しない。

 僕は、谷川さんよりも、その親友の塚田さんに場の雰囲気を察してもらおうと思って(このあたりが酔っ払いの自己中心的なところだ)カランダのであるが、一同ニコニコして麻雀を見ながら女の話なぞしている。僕は、日ごろから酒を飲みすぎると”明るくカラム”癖を持つので、狼少年になっていたのかも知れない。

 その後は記憶がない。僕の記憶がなくなるのが早かったか、谷川さんがいなくなるのが早かったか、とにかく、その日はそれで終わった。

 朝、起きると天井が回っていた。羽生が横に寝ていたので羽生の部屋だとわかった。布団を敷いた覚えがないので、もしかしたら敷いてくれたのかもしれない。

 ヒドイ二日酔いなのでとにかく風呂につかることにした。部屋を出ようとすると、玄関に、朝刊が置いてあった。

 もちろん一面には「谷川奪取」の記事がある。僕は、その新聞をそっと隠すと「一緒に行かないか」と声をかけた。

「一人で行って・・・」

 といって羽生は足をバタバタさせた。今にして思えば、あのとき、枕カバーに涙の染みがあったかどうか、見ておけばよかったと後悔している。

—–

はるか昔のサントリーウイスキーのCMの「みんな悩んで大きくなった」、というコピーが頭の中を巡る。