佐藤大五郎九段は「薪割り大五郎」と呼ばれ、その棋風および言行は豪快そのものだった。
今回は、3つの情報ソースから。
(1)将棋世界2002年11月号、故・真部一男九段「将棋論考」より。
「佐藤大五郎九段も思い出深い先輩である。佐藤がA級に昇進し、昇龍の勢いであった昭和47年頃、三段の私によくお声がかかり夜の巷にお供した」
当時は劇画「子連れ狼」がヒットしていて、主人公 拝一刀の子供が大五郎という名だったことから、将棋界の大五郎人気も鰻登り。
「歌舞伎町のクラブのような店に入るのだが、大先生は梯子酒派なのか一ヶ所に15分ほどしか落ち着かない。
佐藤の羽振りは大したもので、その頃身につけていたものといったら、腕時計はダイアモンドがふんだんにちりばめられた高級品で、500万円とか云ってたっけ。何しろその時計を買ったらオマケにローレックスがついてきたとかいうほどの代物」
当時のクラブは、現在のキャバクラと違って15分で店を出ても3時間いても同じ料金。15分単位でのクラブの梯子は、かなりすごいことだ。
「その他覚えているだけでも、ネクタイピン、ワイシャツ等々皆大変な豪華品だったようである。
ただ、こちらとしてはそんなことより店のおネエさん達とお話をしたかったのだが、きっと佐藤は君も頑張ってA級になれば、豊かな生活ができるんだよという励ましを伝えたかったのだろう」
(2)東公平「名人は幻を見た」より。
・佐藤大五郎九段が七段の時に王位戦の挑戦者になった。大山康晴王位への挑戦。新聞社の車が社旗を立てて自宅へ迎えに来たが、佐藤七段は担当記者と運転手に茶菓を勧め、なかなか車に乗らない。近所の人に、自分が一流棋士になったんだぞと、車をみせびらかしたらしい。
・「うまいラーメンが食いたくなった」と言って、急に羽田空港から札幌へと飛んだ。
(3)湯川博士さんから聞いた話。
今から20年以上前に湯川さんが佐藤大五郎九段を取材したときの話。
佐藤大五郎九段のスポンサーの一人が、池袋でキャバレーを経営していた。そのキャバレー経営者は将棋が大好きで、ある日、佐藤大五郎九段をゲストとして迎えた。佐藤大五郎九段出題の詰将棋が解けたら、店の飲食代が無料になるという催し。
何人かが解答用紙に答えを書いて出したが全員不正解。
なんと37手詰めの超難問だった。
佐藤大五郎九段はスポンサーのためを思い、あまり簡単な詰将棋では店に経済的な迷惑がかかるということで超難問を出題したらしい。
ミラーボールがキラキラ光り、ホステスの女性との会話に夢中なお客さんばかりの中、和服姿の佐藤大五郎九段は、大盤で詰将棋の解説を30分続けた。
その真剣な姿に、湯川博士さんは、笑いが止らないとともに感動をおぼえたという。