郷田九段にとっての記録係

郷田少年の頭を扇子でポンと叩いた大棋士。

近代将棋2003年4月号、スカ太郎さんの「関東オモシロ日記」より。

 ちょっと古い話になってしまうのだが、昨年9月に行われたA級順位戦の谷川浩司王位と郷田真隆九段の一戦を観戦した後、郷田九段と飲みながら話をする機会があった。

二人ともかなり酔っ払いながら話をしていたのだが、ふとした拍子に記録係のことについて話が始まったのであった。

「昔、奨励会時代の僕はですね、谷川先生の記録を取っていて不覚にも寝てしまったことがありました」と郷田九段は言った。

「そのとき、谷川先生が僕の頭を扇子でポンとたたいて起こしてくれたのがいい思い出です」と言いながら郷田九段はくすくす笑ったのである。

扇子で頭をポンとたたいた少年とタイトル戦やA級順位戦で戦うとは当時の谷川さんは思っていなかったかもしれないなあ。

記録係に関しては、関東と関西でちょっとした違いがある。まず秒読みが違う。

関東では「30秒残り3分です」という具合なのだが、関西では「残り3分です30秒」である。エスカレーターで関東では右側を開け、関西では左側を開けるような感じで、やっていることは基本的に同じなのだが何故か微妙に言葉の順番が違っている。

また、関西の方が記録係に厳しいという雰囲気がある。少しでもたるんだ態度があれば、対局者から即座にしかられるような怖さが関西にはある。谷川王位が郷田記録係の頭を扇子でポンとたたいたのも、そんな環境で育ったためだろう。

とまあ、そんな記録係の話をしているうちに「僕はですね、もしA級順位戦の記録係をやってもいいって言われたら、やりたいんですよ」と郷田九段は言った。

オイラも観戦記者の仕事をするようになって盤側に座っていることが多くなったが、この座り続けるという仕事は想像しているよりもかなり大変なことだということがわかってきたところだったので、この「記録係をやりたい」という郷田発言にはちょっぴり驚いた。

観戦記者というオイラの場合は、途中であぐらになろうが席を外そうが自由である。とりあえず対局開始時だけは正座と自分で決めてはいるのだが、だいたい15分ほどがオイラの正座の限界点で、そこから先はとかんとあぐらをかいてしまうことにしている。

そんな観戦記者のラクさに比べて、記録係というのはめちゃくちゃ大変な仕事である。

まず基本的に記録係は正座であるし、なおかつ記録席を離れられないという大きな制約がある。

「プロ棋士になる!」という大目標があるからこそ、記録係というつらい修行にも打ち込めるんだろうな、とオイラは思っていたのだが、A級棋士になっている郷田が「やれるんだったら記録係をやりたい」と言うのである。

「どうしてですか?」とオイラは理由を聞いた。すると「面白いからに決まっているじゃないですか」と郷田九段は逆になんで? という感じできっぱりと言ったのであった。

記録係をやって、生の将棋を見ながら対局者の考えている空気を吸うのが面白いし、一番の勉強になるのだそうである。それで記録料がもらえれば、たしかにこれほどいい話はなかなかありませんね。

「記録係の態度を見ていれば、記録を楽しんでいるか、苦しんでいるか一発でわかりますよ」

ということだそうなので、プロを目指す奨励会の皆さんは、ぜひとも楽しみながら記録をとっていただきたいと思うわけなのでありますね。

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芥川賞を受賞した朝吹真理子さんの観戦記(王座戦:村山慈明五段-郷田真隆九段戦)が日本経済新聞に掲載されている。→日本経済新聞電子版 朝吹真理子観戦記 (記事を月20本まで閲覧可能な無料会員プランもあり)

この対局は3月11日に行われている。

観戦記によると、地震発生時、どの棋士も盤面から離れなかったが、長引く揺れに記録係の奨励会員の身を案じた郷田九段は、いったん対局を中断し外に出ることを促したという。

対局再開直後も、郷田九段は「余震が大きかったらこちらを気にせず逃げていいから」と記録係の少年に言う。

もともと男気のある郷田九段だが、郷田九段にとっての”記録係”、自らの思い出とともに格別な想いがあるのかもしれない。