昨日行われた、リコー杯女流王座戦の一次予選の結果は次の通りとなった。→中継
(出場者数→二次予選進出者数)
アマチュア 8 → 3
海外招聘 1 → 0
奨励会 2 → 2
プロ 36 → 15
プロ-プロ戦が14局、アマ-アマ戦が2局あったので、枠的には、
アマチュア 6 → 3
海外招聘 1 → 0
奨励会 2 → 2
プロ 22 → 15
ということになる。
アマ-女子プロ戦は、アマの5勝4敗
奨励会-女子プロ戦は、奨励会員の2勝0敗
女子アマも奨励会員も、ものすごい活躍だ。
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アマで勝ち上がったのは(敬称略)、
中澤沙耶 女子アマ王位、今期マイナビ女子オープン予選トーナメント出場
小山田友希 2010年全国高等学校総合文化祭将棋部門・女子個人戦優勝
室谷早紀 2011年全日本学生将棋女流名人戦優勝、今期マイナビ女子オープン予選トーナメント出場
奨励会組は、
伊藤沙恵2級(奨励会員)10歳で奨励会に入会
加藤桃子2級(奨励会員)里見香奈女流三冠に勝つ
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女流王座戦を主催する株式会社リコーは、理化学研究所の研究開発を工業化するために設立された「理化学興業株式会社」から感光紙事業を継承し、1936年に「理研感光紙株式会社」として創業された。
翌年にはカメラ事業にも進出し、1938 年には「理研光学工業株式会社」と社名変更(1963 年にリコーに社名変更)。
1955年にはリコピー101を発売し、事務機分野にも進出した。
現在では、画像機器を中心とした数々の製品やサービスを総合的に提供している。
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リコーを中心とする「リコー三愛グループ」の創始者が、”経営の神様”と称された市村清だった。(三愛とは、「人を愛し国を愛し勤めを愛する」)
市村清は、1900年佐賀県に生まれる。
経済的困窮のため佐賀中学を2年で中退、その後、野菜売りを始め、16歳の時に地元の銀行に入行するなど、若い頃に苦労をして後に経営者として大成功をおさめる。
その年譜は、読むだけでも面白い。→ 市村清の年譜 (三愛会)
市村清社長(当時)は、升田幸三九段(当時)と親交があったという。
その影響があったのか、三愛主義の一つ『勤めを愛す』について、勤めを愛すとは、どういうことなのか、あるいは、どうすればよいのか、について、市村清社長が次のように述べている文章がある。
碁、将棋、マージャン、スキー、スケート等々、何でもやり方が分かってくると面白くなる。夢中になっていると、いよいよ技術も進歩する。腕が上がるとつい夜通しやってもあきなくなり、身銭を切っても悔いなくなる。それは面白かったり楽しかったりするからだ。これは遊戯、スポーツのほうであるが、仕事でも考え方次第ではこの心境に達するのはそう難しいことではない。
(三愛会 市村清と三愛精神 > 人生哲学 > 「勤めを愛す」ということ より )
趣味を持つ人には非常に説得力のある言葉だ。
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私も初めて知ったが、女流名人位戦表彰式などが行われる明治記念館は、市村清が創立者。→“か”と“け”の違い
日本で初めてのリース会社や西銀座デパートも創立。
もちろん、銀座の三愛も市村清が設立した。
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リコー将棋部のホームページは、なんと、リコーのホームページ内にある。
素晴らしいことだ。
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時が経ち、リコー設立のきっかけとなった理化学研究所では、将棋思考プロセス研究プロジェクトが進んでいる。
リコー、理化学研究所、将棋、面白い縁だと思う。
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