加藤一二三九段と木の上に登った将棋ファン

近代将棋2004年9月号、加藤一二三九段の「新手物語」より。

 第62期名人戦は、大熱戦の末に森内竜王の名人獲得で終了した。私は第2局を、NHKの衛星放送で長時間解説した。また第4局は、将棋会館の解説会を担当した。この戦いは誰が見ても苦しい将棋を、羽生名人に勝ち筋があるまでに進行したところで、羽生名人がチャンスをつかみ切れなかったのが大きく痛い一敗であった。今はインターネットで、戦いを楽しめる時代なので、解説会は80人の入りであった。時代とは言え少ないと思ったので翌日連盟の事務室で話題にしていると、小泉さん(連盟職員)が、中原名人対私の第40期名人戦(1982年)の行方が決まる辺りの解説会は、新宿の三井ひろばに、2千人ぐらいの人が集まっていて、中に木の上に登って解説を聞いていて、警官に危ないですよ、と言われた人もいたと話してくれた。

 新約聖書の中に、イエズス様がイスラエルのエリコに宣教に行ったときに、ザアカイと言う男の人が木の上に登ってイエズス様を注視しているときに、イエズス様が上を見上げて、「今日はあなたの家に泊まる」と言われた場面が描かれている。

 私が長年信仰案内講座で教えを受けている、上智大学名誉教授のネブレダ神父によると、ここは原文では、「あなたの家に泊まらなければならない」となっているそうである。イエズス様は他の個所では、人の自由にまかせられている面もあるのに、どうしてこのようにいやおうなしの強い態度を、とられたのだろう。木の上に登っても見ようとした熱心な将棋好きな人のことを聞いて、思わずザアカイの話を連想した。

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木に登った将棋ファンのことを聞いて聖書の話を連想するとは、さすが加藤一二三九段。

と思ったが、ザアカイの話は聖書の中でも有名な物語のようで、キリスト教の人なら、”木に登った人”といえばザアカイの話を思い出すのは自然な流れなのかもしれない。

ザアカイは徴税人で皆に嫌われていたが、木の上に登ったことにより、イエスによって救いを与えられる。

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私が通った幼稚園はカトリック、高校はプロテスタントだった。

家は真言宗。

しかし、このザアカイの話は全く覚えていない。

幼稚園はともかくとして、高校では毎朝礼拝があった。ザアカイの話も出てきただろうが記憶にはない。

礼拝をやる時間を利用して英単語でも覚えたほうがいいのに、と思うような生徒だったので、礼拝の時間は上の空だった。

しかし、ネットで見つけたこども合同礼拝説教 【ザアカイものがたり】を見てみると、なかなか良いことが書かれている。

説教のしかたにもよるのだろうが、高校時代の私にとってザアカイの話は、まさしく馬の耳に念仏だったことになる。

「加藤一二三九段と木の上に登った将棋ファン」への2件のフィードバック

  1. 初めて投稿します。
    実は本日 5月31日NHKの番組で青野昭市九段が将棋の奥深さについて非常にわかりやすく説明されていたのに、感動して、この投稿をさせていただきます。
    本日なにが感動したかというと、今回の震災の日本人の対応の奥底に想定外の局面で回答を見出すという将棋の奥深さと関連があるのではないかというテーマに対して、青野昭一九段は、人間の能力がこの将棋によって回答のないこと(想定外のこと)対して回答を探求することが学べる、そのことにで人間も高められていくのではないかという深い深い洞察です。コンピュータはすべての手を読むが人間は絞り込む能力がまずある。その能力は逆にコンピューターが人間から学ばなければならないのが現状。世界でいろいろなゲームがあるが、日本の将棋だけが、相手の王様を詰ますのに、取った相手の駒をお互いに使えるというルールがあるのは日本の歴史、国民性、文化のような深さから来ているではないかといった説明など、非常にわかりやすくかつ、将棋の深さを啓蒙されたからです。この番組を通じておおくの視聴者は将棋についてあらたな視点を持ったと思います。
    青野昭一九段のいまままでの深い研究の積み上げが、深い洞察力となって視聴者に伝わってくるものがありました。NHKは大震災に対する日本人の姿勢、考え方と将棋という日本の歴史あるゲームと関連しているのではないかという取り上げ方も興味深かったです。
    青野昭一九段の将棋に対する愛情と日本には誇れるものがあるという研究の深さ、それをわかりやすい言葉で説明されていたこと、心から拍手です。感動しました。

  2. kawa さん
    あの番組は私も見ました。あそこまで将棋を誉めてもらうととても嬉しいものですね。

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