月曜日の朝に更新しているにもかかわらず、ややお色気路線の記事。
将棋世界1998年9月号、野月浩貴四段(当時)による第17回早指し新鋭戦決勝戦〔野月浩貴四段-久保利明五段〕の自戦記より。
久保五段とは全くの初対戦となる。
三段の時に2年間、NHK杯の記録係をさせて頂いたおかげで、スタジオでの対局は大好きだ。緊張感、違和感などはなく、自分の家に帰ってきた様な落ち着いた気分になる。サッカーに例えるならば、ホームで試合をするといった所か。
(中略)
解説は森内俊之八段。尊敬してやまない兄弟子である。優しそうに見えるが実はかなり厳しい。今日は久保五段に負ける事よりも、森内さんに見下される方が怖い。僕にとってはそれ程、威厳のある人なのだ。
振り駒の結果、僕の先手となる。
40手目迄は各10分の持ち時間であおれからは30秒将棋。これが新鋭戦のルールだ。
久保五段は予想どおり四間飛車。比較的早い進行となる。
対局場となるスタジオがにぎやかに感じる。いつもは対局者と記録の高群、高橋女流しかいないのだが、この日は弦巻カメラマンや、のりPこと広報課の小田切紀子さん他4~5名の方が写真を撮っている。なかなかどうして、とてもいい雰囲気ではないか。決勝戦を指しているんだという気になってくる。
(中略)
この日、久保五段は奥様と2月に生まれた息子さんを連れてきた。
準決勝の打ち上げの時に息子さんの話になって、それなら連れておいでよ、となったのだ。
大勢の人の前でも泣かない、天使のように輝いている息子さんと、Charaさんに似ていて、とても可愛い奥様をもって、久保五段はまさに幸せの絶頂にいると思う。
準決勝の時に本人から聞いたのだが、彼はおむつの取り替えをするという。
ただしこれはおしっこの時だけで、うんちの時は開けたおむつをまた閉めて奥様にまかせるという。これを聞くと22歳のパパなんだな、と思わせる。
さて将棋の方は激しい戦いが始まった。
(中略)
△7六歩で40手。次の手を封じて約30分の休憩となる。いつもはこの間にメイクを済ませるのだ。
メイクのお姉さんがきれいで色っぽく、いつも僕をドキドキさせる。
おいおい、そんなに屈み込んだら見えちゃうよぉ・・・・。(笑)
しかしメイクはインタビューがあったので対局前に済ませている。
手持ち無沙汰でいると、のりPが話しかけてくる。「あのう、普通こんな時に話しかけると迷惑なのかな?」 ひまを持てあましていた僕は「そんな事ないですよ」とにこやかに答える。
のりPは若手棋士にとっては良きお姉さんという存在なのだ。退屈な30分はあっという間に過ぎていく。
そして再開。 と思ったら記録の和ちゃんがいつものNGを出す。うぅ……。
けど僕はいつもこれを楽しみにテレビ東京に来ていると言っても過言ではないだろう。
(以下略)
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この対局に勝って、野月浩貴四段は見事優勝を果たす。
日本将棋連盟広報課の小田切紀子さんは、NHK将棋講座のアシスタントを1988年度から1991年度まで務められていた方だ。
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「早指し将棋選手権」・「早指し新鋭戦」は1972年8月から2003年3月まで放送されていたテレビ東京の名物番組だった。
司会は、テレビ東京のアナウンサーだった島田良夫さんが初年度から最終年度まで務めている。
番組冒頭での定番の台詞は、「テレビ将棋対局の時間でございます。早指し将棋でひとときをお楽しみください」だった。
島田さんは、現在でも就位式など将棋関係イベントで司会を務められていることがある。
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テレビ東京は、1985年に現在の虎ノ門に移転するまでは東京タワーの麓、芝公園にあった。
場所柄、局舎の入口近くまでは自由に立ち入ることができたので、歌番組の収録があるような時は、それぞれの歌手の女性ファンが大勢並んでいる(出入りを待っている)ことが多かった。
全く芸能系の仕事ではない人が、仕事の用事でテレビ東京へタクシーで向かい、局舎前でタクシーを降りると、「エーッ、今日は誰も連れて来ていないんですかーっ」と、芸能プロダクションのマネージャーと間違われ声をかけられたり落胆されたりすることも稀にあったようだ。
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テレビ東京は、1964年に財団法人日本科学技術振興財団が母体となり「東京12チャンネル」として設立された。
当初は教育専門局だったが、1969年からは日本経済新聞社が出資をして1973年に一般総合局となった。
20世紀の頃のテレビ東京の名物番組といえば、「プレイガール」、「ローラーゲーム」、「大江戸捜査網」、「ハレンチ学園」、「世界の料理ショー」、「独占!男の時間」、正月恒例12時間ドラマ、「ギルガメッシュナイト」、「浅草橋ヤング用品店」 など。