森信雄七段が写真をはじめた頃の話

森信雄七段の写真といえば有名で、以前は将棋世界に写真コラムを連載していたほど。

ブログにもたくさん写真が掲載されている。

今日は、その森信雄七段が写真をはじめた頃の話。

将棋マガジン1990年3月号、神吉宏充五段の「何でも書きまっせ!!」より。

「わしゃー最近写真に凝っとるんや」

「え、肩が凝ってるんですか」

「何聞いとるんや。写真や、写真!」

そう言って意気軒昂なのがヒゲもじゃらの怪人、森信雄五段である。

 何でもミノルタの高級カメラを購入、風景や人を撮るのが面白いという。

「ちょっと見る?」そう言って森は嬉しそうに最近撮った自作のスクラップブックを見せてくれた。そこには森の出身地である愛媛県の伊予三島市の港の風景があった。

「いやあ、なかなかキテますねえ」

「そやろ。白黒写真で、わざと暗めに撮って影を作ってるやろ。こりゃどこから見ても、ゲージェチュシャクヒンや」

 次のスクラップブックも見せてもらった。パラパラッとめくってみると桐山、淡路、村山、畠山(成)等の顔が写っている。

「これは指し初め式の時撮ったんや」と森。しかしその写真をよく見ているとヘンなものが写っているのがある。「森さん、この桐山先生の写真、頭の辺りに白い棒みたいなんが写ってますよ。心霊写真と違いますか」

 森は事もなげに答えた。

「それな、初期の作品で現像液が指にペタペタついてもて、その白いのはわしの指なんや。そやからヘンな写真に見られるんで桐山先生には見せられへん」

「そりゃそうですね。こんなん見せたら気いわるしまっせ。ところで森さん自分で現像してはるんですか?」

「そや。池崎さんに道具分けてもろうてな、自宅に暗室作ったんや」

「そんな部屋ありました?」

「風呂場が暗室なんや」

「ほんなら先生、風呂どないしとるんですか?」

「アホやな、そんなもん、入っとるわけないやないか!」

「うわあ!」みんな逃げ出した。

それを見て森「何や」・・・・・・まったく関西にはヘンな人が多い。

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私は高校時代天文部だった。

部室に現像セット一式があったので、家へ持っていって、自分で天体写真(白黒)を現像することにした。

フイルムの現像と印画紙の現像。

現像液(かなりなアルカリ性)→停止液(氷酢酸)→定着液(きっとアルカリ性)→水洗い→乾燥

の手順だったと思う。

素手で何度か現像をしていたら、手のひらが薬品でボロボロになり、手相は残っているものの指紋が見えなくなった。

現像後の手洗いが充分ではなかったからだが、手のひらの表皮が溶けたような状態だった。

実生活に全く支障はなかったが、これでは指紋占いができなくなってしまうと思い、それに懲りて、家で現像することはなくなった。

しばらくしたら、手のひらも落ち着いてきて、指紋も復活してきた。

当時は怖いもの知らずだったのだと思う。