将棋世界2000年6月号、鈴木大介六段の「振り飛車日記」より。
4月6日
川上猛五段との新人王戦。奨励会の頃からよく遊びよくイジメられた?モーヤンとの対局。奨励会で初めて昇段の一番を負かされた(今でこそ昇級の一番に弱い僕だが奨励会の二段までは全部勝っていたのだ)相手である。
一つなつかしいエピソードはモーヤンが三段リーグを一期で上った時、鈴木三段(当時)は怒り心頭で、二人でいる時、「俺に勝たないで四段なんて許さん。(単に三段リーグで当たらなかっただけ)俺の方が絶対強い!」
と二人のプライドを懸けた非公式の一番勝負をした事がある(二人とも青かったなあ)。勝負は二転三転の大熱戦だったが、最後に千日手を僕が嫌ってモーヤンの辛勝。終わって一言鼻で笑い、
「フン、ダイチ君も僕と三段リーグで当たってないで1勝得したじゃん」
「・・・・・・(悔しいのを通り越している)」
今考えても当時の血気盛んな頃を思い出す一局だった。
局面は僕の四間に穴熊模様からモーヤン得意の手将棋の力戦形に。
(中略)
ここから僕の感動的な手順を見て下さいヨ。
(中略)
最後は▲2一馬という気持ちの良い寄せのオマケもついて快勝。終わって一言。
「ダイチ君でもいい手(▲2一馬)知ってるんだネ」
の憎まれ口を言われてもうれしい勝利だった。帰りにモーヤンと麻雀。完敗。トップ目で国士無双を上がられまくったのが痛かったなぁ。
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「俺に勝たないで四段なんて許さん。俺の方が絶対強い!」
「フン、ダイチ君も僕と三段リーグで当たってないで1勝得したじゃん」
見事としか言いようがない、壮絶な会話だ。
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ところで、昨日の「棋士の妻」の後日談・・・ではなく前日談(1ヵ月前)を。
昨日引用している「鈴木大介八段の涙」の後日談にもなる。
将棋世界2000年5月号、鈴木大介六段の「振り飛車日記」より。
3月2日
A級順位戦最終日。「将棋連盟の一番長い日」である。
僕はこの日別件で夕方まで仕事。その後で道場で大盤解説、と久しぶりに大忙しの日だ。
午前中、A級の進行を見ると振り飛車の将棋はわずかに一局だけ。がっくり肩を落とすと同時に(こう居飛車ばかりだと解説をどうしたらいいんだろう)という不安が起こる。
(中略)
ここから先は→「大盤解説の本音」
午前3時30分頃タクシーで家に帰ると妻が起きて待っていてくれた。うれしい反面(こういう日こそ家で少し一人で将棋の勉強がしたいんだ)と思ったが、それは口が裂けても言えない事だ。それにしても将棋指しの奥さんは大変だなと思った。
3月10日
今日は八王子で稽古。
稽古の途中で妻からTELが入る。何かと思うと「先ちゃんが上ったって」との事(道理で今日は朝から将棋ウィークリーの時間を気にしていた訳だ)。
僕は先崎”新A級八段”将棋の大ファンである。先崎八段には将棋は教わった事がない?が色々と面倒を見てもらった尊敬する先輩の一人だ。
5年以上前のC2、C1の時から僕は(絶対この人はA級の将棋だ)と思っていたので、とにかく最近起こった出来事の中ではものすごく嬉しい出来事だった。
さっそく帰りに普段買わないワインを2本買って家で妻と(これも先ちゃんファン)2人で乾杯を上げた。
途中、先崎邸にFAXを入れると間もなく先崎八段から電話があった。
本当に嬉しそうに話す声を聞いて改めてA級への道のりの遠さを感じた。
自分の気持ちも引き締まり、また嬉しい一日を過ごせた。