「これ武蔵! 先手と後手が逆になっているではないか」

近代将棋1999年7月号、大矢順正さんの「女流棋士情報 人間将棋」より。

 例年、天童市ではこの時期に「桜まつり」を開催する。いろんなイベント中でももっとも人気があるのが「人間将棋」。

 これは豊臣秀吉が花見のときに人間を将棋の駒にしたてて興じたことに倣ったものといわれる。

 今回で44回目の人間将棋は全国的にも有名で各地から観光をかねて多くの人が訪れる。

(中略)

 控室に行くと、矢内理絵子三段と木村(現・竹部)さゆり女流二段が凛々しい女武者姿になっていた。

「この姿を楽しみにしていたので最高の気分です」と矢内三段はいかにも嬉しそう。

当時の写真(近代将棋)

 木村二段が、いきなり刀を抜いて襲い掛かってきた! と思ったら写真のためのポーズをとってくれたのだ。

 この日の大盤解説は三浦弘行六段で駒操作は庄司俊之三段。こちらは背広の上に陣羽織を羽織った軽装。

「今日は、武蔵と小次郎の戦いの設定でいこうか」と三浦六段が提案。

「武蔵は三浦さんじゃん」と木村二段。

 キャッキャッ、ガヤガヤの結果、矢内三段は源義経、木村二段は豊臣秀吉、解説・三浦六段は、もちろん宮本武蔵、そして仙台出身の庄司三段は伊達政宗となった。

 といっても、これは将棋とはなんら関係ない楽屋のお遊び。

(中略)

 いざ、試合開始となったが、先手の木村二段がなかなか指さない。(符号を読まない)

「これ武蔵! 大盤の先手と後手が逆になっているではないか」

 みると確かに先手矢内、後手木村となっている。慌てて三浦六段が名の書かれた紙を切って張り替えようとしている。

「予は気が短いのじゃ。なにをぐずぐずしておる。早ようやれ!」と木村二段が叱責すると会場は大爆笑。

 対局中にしばしば木村二段がギャグを飛ばす。矢内三段、三浦六段もやり返すが、この勝負は木村二段の勝ち!

 人間将棋では、プロ棋士は何かと全駒を動かすことに神経を使う。せっかく、盤上に座った人間駒が一度も動かないのでは」気の毒だという配慮だ。

 矢内三段よりも先に全駒を使用したことで、またまた大威張り。そちらに神経を使い過ぎたか本番は義経が秀吉を討ち取った。

(中略)

 25日の2日目は、羽生四冠が大盤解説の登場でファンを喜ばせた。

 この日も前日に続いての降雨。残念ながらまたもや室内で行うことになった。対局者は、前日、解説を務めた三浦六段と豊川孝弘五段。両人とも武者姿がよく似合っていた。

 前日と同様に人間駒が配置につくと両陣の王将が舞台中央に進み戦勝祈願と天童市の発展を神に依頼する「願文」を朗読。

 赤い鎧兜姿の赤軍の王将が朗々と読み上げる。「ウン?どこかで見た顔だな」

 それもそのはず、何と鹿野圭生女流初段であった。

「昨年、天童を訪れた際に、関係者の方に一度、人間将棋を見たいといったら<では来年の人間将棋で王将をやったら>といってくれたんです」

(中略)

 将棋の方は鹿野初段が王将を務めた三浦六段が負けてしまった。

「鎧は重いは、将棋は負けるは、ではね。でもとても楽しかった」と至極ご満悦。

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これは直感なのだが、三浦弘行八段は元々あまり「武蔵」と呼ばれたくなかったのではないだろうか。

そういう訳で、両対局者の設定を「武蔵と小次郎」ということにして、自らが”武蔵”と呼ばれることを回避しようとした・・・

しかし、武蔵も小次郎も甲冑は身にまとわないキャラクターなので、そういう設定は受け入れられなかった。

これは、あくまで私の推理なので、正しいかどうかはわからない。

どちらにしても、三浦八段が非常に愛されるキャラクターであることは確かだ。

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人間将棋では、全部の駒が動くことを最優先に指される。

この当時は、歩は天童温泉の芸妓さんたちが務め、他の駒は一般公募され抽選で決められたという。

もし自分なら、どの駒になりたいか考えてみた。

非常に難しい選択だ。

いろいろ動きまわりたいなら銀だろうし、ゆっくりしていたいのなら香だろう。

全く別の観点で、「せっかく天童へ来たのだし、芸妓さんたちと話をしたい」のなら角。

角なら、序盤から角交換になって早い段階で駒台へ行くことができる。

駒台には歩が並ぶことが多い。駒台でいろいろ雑談ができそうだ。

また、角が交換されなくとも、角は歩に隣接する場合が多い。

やはり、旅に出たならそのような彩りもあって良いと思う。

矢倉囲いで6八角や7九角のまま終局してしまうと目論見は崩れてしまうが・・・