郷田真隆四段(当時)の夢

将棋世界1992年1月号、奥山紅樹さんの「棋士に関する12章 『夢』」より。

 郷田真隆(四段、20歳)の、昨年度(棋士1年生)の成績は40勝13敗、7割5分と驚異の勝率。てらいも無くサラリと言う。

 「名人位・・・それは奨励会初段のころから意識しはじめ、実力の上では年ごとに近づいていると思っています」

 「しかし、四段になってからそれまで見えなかったものが見えてくるようになりました」

 見えてきたものとは?

 「将棋のむつかしさと言うか・・・奥の深さです。一例を前期名人戦で指された中原▲5六飛・・・どう見ても最善手ではないと思えた一手を境に、谷川名人の方が熱くなっていく。結局、将棋は『手』を間にはさんだ人間と人間の勝負なんだなあ・・・。当日の記録係として▲5六飛を目の当たりにし・・・そのことを痛いほど感じました」

 「将棋の『手』は、指し手の精神状態によって変わってくる。昇降級のかかった一局、持ち時間の切迫、タイトル奪取のあるなし・・・によって指し手は変わってきます。そこのところがむつかしい」

 「将棋は盤上の技術だけじゃないなァと。人間の図太さとか律儀さ、奥の深さがグッとからんでくる。自分には足りないものが沢山あるのだなあと・・・」

 実力では接近しているはずですが、名人位の頂上はかえって見えなくなりました、フフフと笑う。

 うーん、分かるねえ。日本一のの富士の高嶺だって、河口湖あたりからじゃ、晴れた日は山頂の雪煙まで見える。

 ところがいざ登りはじめると、六合目あたりで頂上は視野から消える。おのれの目に入るのは付近の岩石と草木だけ。七合目では息が上がって、すぐ前を行くクライマー(登山者)の背中しか目に入らない。自分の足元とか、近場を強く意識するようになる。だが対象が見えなくなった時、それは目標に近づいている証拠なのだ。

 なぜ頂上が見えなくなるのか?理由は視線が低くなるから。なぜ低くなるのか?目先の障害を越えるのが、きつくなるからである。そういう時はうんと頭を上げて、できるだけ上を見る。もっと上、すっと上空の方に視線を投げる。すると頂上をおおっているガス(濃霧)が目に入るだろう。ああ、あのガスの向こうに頂上があるはずだと想像する・・・。

 目標にただりつくためには、視線を高く保つ意志、ガスの向こうについての想像力が求められる。

 郷田は3歳のころから、家の中にある将棋盤や駒と遊んでいた。父君はアマ三段の実力で升田・内藤の大ファン。その影響を受けて育った。根っからの将棋っ子である。

 名人位が目標なら、棋士・郷田真隆のユメは何です?ユメは。

 「升田将棋のような、人の心に強くひびく手・・・そんな手を多く指す棋士になりたい。それが夢です。ただ強いだけではなく、天下の将棋ファンを沸かせ、人々の心に残る手を指せる棋士に・・・」

 お金とか家は?

 「家族が健康で、ふつうの暮らしができれば・・・それでいいと思います。執着しません」

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広告会社の電通では、戦時中の中断はあったものの、1925年から現在まで、新入社員教育の一環として富士登山が実施されている。

グループ会社も含め300名ほどの新入社員の富士登山。

それぞれの山小屋などには医療チームを含めた救護スタッフを配置するなど、万全の体制で行われている。

電通富士登山が戦後再開された時の、”広告の鬼”と言われた吉田秀雄電通社長(当時)の訓示が素晴らしい。

富士山を馬鹿にすると、とんだ目に遭う。

大抵のことでは登り着けないという心構えを最初からしっかり持って行って頂きたい。

焦っては息が切れる。息が切れれば休まねばならぬ。

決して休んではならない。

休まないで済む程度に最初から一歩一歩ゆっくりゆっくり同じ歩調で踏み上げて行かねばならない。

一度休んだら、二度休む。休み癖が付いたらもう負けである。

頂上はすぐ手の届きそうな所に見える。

なんでもないように見える。

誰にでも朝飯前に登れそうに見える。

なんだという気になる。

ところが行けども、行けども、汗水たらせど、頂上は一向近づかない。

不平が出る。不満が生まれる。馬鹿らしくなる。

こんな一文にもならぬ苦労を、なんであの酔狂社長は社員に強制するのだとか、どうせやるなら、もう少し面白い山にしたらどうだとか、この苦労を会社の仕事に持って行ったら、どれだけ成果があるか知れたものではない、無駄な話だとか、困難にぶつかり苦痛にあい、不自由を味わうにつけ人間というものは、その原因を他人に転嫁したがるものだ。

果ては捨て鉢になって投げ出す。

六、七合目で落伍する人の多いのはこれだ。

登り始めたら決して頂上を見てはいけない。

常に足元だけを見て倦まず撓まず一歩一歩進み給え。

周囲も見てはいけない。時計も見ぬことだ。

自分を抜いて進む者を見ると、つい釣られてしまう。

時計を見ると、焦りが出る。

無念無想足元だけを見て進んだら、何時の間にか君は頂上に着いているだろう。

私がそうしたというのではない。

私は何度か登りながら常に失敗してきた。

もし見るならば太陽を仰ぎ給え。

俺はあそこまで登るのだと。

要約をすれば、「登り始めたら,決して頂上を見上げてはならぬ。周りも見ないことだ。足元だけを見て進めば,いつの間にか頂上に着いている。もし見るなら太陽を仰げ。俺はあそこまで登るのだと」(広告と生きる 私の履歴書 成田豊より)ということになる。

太陽が夢で、頂上が直近の目標なのか。

まさしくプロ棋士に当てはまることかもしれないし、プロ棋士以外の人にも当てはまることかもしれない。

”夢”が自分の追い求める棋士としての姿、”頂上”がタイトル獲得・棋戦優勝。

郷田真隆九段の若かった頃からの夢、「升田将棋のような、人の心に強くひびく手・・・そんな手を多く指す棋士になりたい。それが夢です。ただ強いだけではなく、天下の将棋ファンを沸かせ、人々の心に残る手を指せる棋士に・・・」は実現されているし、これからも続いていくことだろう。

     

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