橋本崇載五段(当時)の将棋ペンクラブ大賞受賞作(後編)

橋本崇載八段が2006年に将棋ペンクラブ大賞一般部門佳作を受賞した自戦記の後編。

週刊将棋2005年10月19日号・26日号、橋本崇載五段(当時)の自戦記「週将アマプロ平手五段戦第2局 橋本崇載-天野高志」より。

〔下〕 ライバルに届けオレの夢

恐れ入った勝負師

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 4図の局面、私は完全に楽観していた。玉の堅さ、駒の効率、1歩手持ちにしていることなど、悪い要素がひとつもない局面である。

 さて、この後どう料理してやろうかな、とりあえず一服するかと煙草に火を付けてチラリと時計を見た瞬間、飛び上がった。そう時間がないのである。この時点で私の残りは10分、対して天野さんは1時間近く残していた。

 しまった―。

 私は相手のあまりに雑な序盤に良くしてやろうと肩に力が入りすぎ、一手一手時間を使い過ぎていたのだ。90分という持ち時間がこんなにも短かったとは―。

 これは推測だが、天野さんはプロ相手に作戦勝ちできるとは思っておらず、初めから得意な中、終盤の追い込みにかけていたのではないだろうか?

 だとすればこれぐらいの作戦負けは”想定の範囲内”だったはずで、途中で私が首をかしげた手も、天野さんにしてみれば”時間を使わせるための軽いジャブ”だったのである。完全にだまされていた。全く恐れ入った勝負師である。

 いくら優勢とはいっても、まだまだ先の長い局面で時間がないのはつらい。私はこの将棋で初めて後ろ向きな姿勢になってしまった。

4図以下の指し手

△4三銀▲7五歩△同歩▲8六銀△8一飛▲7五銀△7四歩▲8六銀△5二銀▲7七桂 (5図)

方向違い

 とにかく1分将棋になる前にトイレを済ませておかなくてはと思い駆け足で対局室を出たが、その瞬間高い駒音が聞こえてきて慌てて戻る。私は精神的にも追い詰められてしまった。

 △4三銀。これも厳密には悪手であろう。この瞬間がものすごい愚形である。しかしこれを的確にとがめるには、あまり時間がなさ過ぎた。

 薄い左辺から動きたいという第一感を信じて▲7五歩と突いていったが方向ミス。▲9八香から穴熊を目指すべきだった。収められて5図となってみると”屋根”のなくなった先手陣はいかにも薄い。

5

5図以下の指し手

△8五歩▲9七銀△5四歩▲8九玉△2五桂▲同桂△同歩 (6図)

焦燥感がピークに

 それでも▲8九玉と引き、次に▲8八銀と引ければと思っていたのだが、△2五桂と交換を挑んだのが強手だった。先手陣は桂を持たれると△5五桂や△7五桂(7筋の歩を切ったために生じてしまった)のキズが受けにくい。さらに追い打ちをかけるように私はここから1分将棋に。

 まずい、まずい、マズイ。焦燥感がピークに達していた私は、ここでとんでもない手を指してしまった。

6

6図以下の指し手

▲6五歩△5五桂▲6四歩△同金▲7六桂△7五金▲6三歩△同銀▲6四歩△5二銀

将棋は怖い

 6図では誰が見たって▲5六金の一手である。私もそれを考えていて、△7五桂▲7六銀△4九角▲5八桂△2六歩▲4八飛△2七角成▲6五歩と進めば先手やれそうだ。でも△2六歩のところでは他に何かありそうか・・・。

 そんなことを考えながら秒読みに追われ一瞬の判断で指した手は▲6五歩だった。これは悪手、というより考えられない手である。天野さんは当然△5五桂と打つ。その間わずか5秒。たったの5秒であれだけ良かった将棋は逆転してしまった。本当に将棋は怖い。私はこれだけ”一瞬”という言葉がうらめしく思えたときはなかった。

(中略)

夢の競演

 以下の手順は放心状態で指した手順である。私の思考は完全に停止していた。そんな中で頭をかすめたのは、

「阿久津がこの将棋を見たら、どう思うのだろう?」

 阿久津主税は私のライバルである。

 彼と出会ったのは奨励会入会試験のときで、早いものでもう11年経つ。その間ずっと彼はライバルであり”目標”であり続けた。同期で同学年ということもあり、彼とは仲が良く、いつも将棋を指していた。

 でも彼には全く歯が立たなかった。彼は”天才”と呼ぶにふさわしい強さだった。

 私は負かされるたびに悔しい思いをし、いつか勝てるようになりたいと一生懸命努力し、ようやく互角に戦えるようになった。と同時に棋士になることができた。今の私があるのは彼がいてくれたおかげである。

「アマプロ戦に出させてください」

 6月のある日、私は焼肉をほおばりながら、向かいにいる内田記者に言った。

「だって亮介も負けちゃったし、それにアマが強い強いって騒がれているけど、本当のプロの力を見せてやりたいんですよ」

 そして隣にいる阿久津に、

「オウ、オマエも出るよな。アマとの力の違いを見せつけてやろうぜ」

 と言った。彼は苦笑しながらうなずいた。

 翌朝、写真を撮りましょうということで、私と阿久津は景色のきれいな公園に行った。とても天気のいい日だった。

「オウ、ファイティングポーズとろうぜ、かかってこいやって感じでよお」

 私がそう言うと彼はまた苦笑して、一緒にポーズをとった。こうして2人は久しぶりに並んでフィルムに収まった。2人ともとてもいい顔だった。私は何だかうれしかった。

 でも今度2人で写真を撮られるときはタイトル戦で戦うときがいいなと思った。だってそれが子どものときからの私の夢だったのだから―。

                   

 すべてが終わった。負けを覚悟していた私は、水を一口飲んで姿勢を正した。

彼女に救われた

 本局は私の完敗であった。

 天野さんは感想戦でも、打ち上げの席でも笑顔が絶えることはなかった。わたしも今日ばかりは、勝った天野さんを讃えようと思った。

         

 打ち上げも終わり、私はとぼとぼと歌舞伎町を歩いていた。昼間の平和な雰囲気はもうなく、街のネオンが敗者の私をいつまでも切なく照らし続けていた。

                

「タッくん、どうしたの? 元気ないね」

「わかるかい?」

「わかるわよ。タッくん、落ち込むとすぐ顔に出るんだもん」

 彼女は私の尊敬する人である。辛いとき彼女に会うと元気になった気がするのは、彼女が明るい性格だからだろうか?

 私は水割りをグイッと飲み干して言った。

「今日アマチュアの人に負けちゃってさ。プロとしての自信をなくしちゃって、どうしていいのかわからないんだよ」

 頭を抱え込む私に彼女はニッコリ微笑んで言った。

「でもね、タッくん。私は将棋のことはよくわからないけど、勝負の世界なんだから勝つか負けるかしかないでしょう」

「そうだけど・・・」

「だからね、負けたっていいと思うの。その悔しさを次につなげて頑張れたなら、それは素晴らしいことじゃない」

「そうか、そうだよね」

 私は救われた気がした。やっぱり彼女は素晴らしい人である。

「ありがとう」

 私はそう言って、グラスを合わせた。

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この自戦記が将棋ペンクラブ大賞一般部門佳作に決まった時の将棋ペンクラブ大賞最終選考会の模様を抜粋してみたい。

(最終選考委員は、作家の高田宏さん、川北亮司さん、観戦記者の田辺忠幸さん、青野照市九段)

田辺 それから橋本さんの作品、僕は何でこの作品が最後まで残ったのかわからない。アマチュアに苦戦であったのを最後やつけたというならいいのですが、最後やられてしまった。将棋の内容もよくない。

高田 皆さんと全然違う(笑)。僕は将棋の中身よりも主に文章の面から見ていますからね。一押しは先程悪評の橋本さんの作品です。ドラマがあって非常に読ませる。勝ち将棋だったなら難しいと思いますが、負け将棋だから、これが書けた。なかなかの才人だと思いました。

田辺 僕は橋本さんの作品は観戦記の中に入らないのではないかと思うのですが。内容が粗すぎてね。

高田 僕は見事だと思いました。これだけ書ける人というのは非常に珍しい、感心して読みました。

川北 橋本さんや石橋さんは、例えば新人賞みたいなのがあればそういう候補になるでしょうが、大賞の候補としてはどうだろうと思います。

青野 そうですね。橋本君のは面白いですが、ある意味で随筆ですし、観戦記と比べるのは無理かもしれません。

高田 記録の中に、僕が橋本さんを一押しだと言ったことをきちんと残しておいてもらえれば、僕は降ろしましょう。

川北 橋本さん、文章は上手です。

青野 このような異質な作品が観戦記大賞の対象になるかどうかは今後検討する必要がありますね。

(中略)

(一般部門は該当作なしと決まる)

田辺 何もなくなっちゃったね。

司会 橋本さんの作品が一般部門に来ればまた違うのでしょうが・・・。

青野 そういう手もあるんですよね。

高田 それが可能なら僕は大賛成だな。佳作とかで。

川北 そうですね、観戦記ではなく読み物として。

田辺 一般部門なら許せるな。

司会 それでは、今回の特例として橋本さんの作品を一般部門での評価とするということでよろしいでしょうか。

一同 賛成

司会 それでは、橋本さんの作品を一般部門の佳作といたします。

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賞の決まり方もドラマチックだった。

テープ起こし担当の私は間近で見ていて、とても嬉しかったことを記憶している。

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橋本崇載六段(当時)の受賞の言葉

(前略)

 今回の受賞作となったのは、一年ほど前、「週刊将棋」さんが当時行っていた「週将アマプロ平手戦」という企画に参加させてもらった時に書いた自戦記です。

 当初は勝って威勢のいいこと書く予定だったのですが、見られるのも恥ずかしいというくらいの内容で負けてしまい、大幅に予定が狂ってしまいました。

 そこで、負けた現実をなるべくカムフラージュすべく書いた作品なわけですが、意外にも周りから好評を集めることになりました。

 当然、将棋に勝っていれば内容はガラッと変わって今回の受賞には至っていないわけで、なんだか不思議な巡り合わせを感じます。

 文章を書くにあたって、心がけている事は「個性を出す」という事です。

 プロ棋士として生きていく上で、いちばん大切なものは、「個性」であると考えます。棋士それぞれが、自分の個性を盤上に表現し戦っていく世界―。それこそが、プロの世界です。人真似をして勝ったとしても、何も評価されません。

 その意識は文章を書く時も一緒です。他の自戦記や観戦記と同じような形態になるのなら、何も自分が書く必要はありません。書くからには、自分なりの表現方法で、対局時の心理や棋士としての生きざまを、多くの人達に伝えたい。そういう意識でペンを走らせています。

 今回の作品は自分らしく書けたと思います。でもこれからは、文章の技術をもっと学んでよりよいものを書けるようになっていきたい。

「指して良し、書いて良し」の棋士を目指して、精進して参りたいと思います。

 これからも、どうぞよろしくお願い致します。

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今の将棋ペンクラブ大賞でいえば、観戦記部門か文芸部門のどちらかの範疇になる作品。

個人的には、観戦記部門であって良いと思う。

観戦記、自戦記には、様々な形態があるほうが楽しい。