湯川恵子さんの「女の長考―将キチおばさん奮戦記 (週将ブックス)」より。
先日升田幸三九段(元名人)に会った。本誌の対談のリライトを頼まれたのだが、鬼の升田に身近に会えるとあっては仕事でなくてもふっ飛んで行きたいところである。
私はかねてから、升田九段の女性観に興味があった。あの、何でも本当のことをズバズバ言い過ぎるという男が、女性については、一体どういう言葉でどんなことを言うのか、もし機会があればぜひ知りたいものだと思っていた。
司会者が私を紹介してくれた時、
「いま朝日に女の棋譜が載っとる、アレとは違うのか」
(ああ私は何てツイてるんでしょう。たまたま、朝日新聞にレーティング大会の棋譜が載っていた、その真っ最中の時だったのです)
「そ、そうです、その私です」
とあわてて答える。そしたらね、
「ワシが将棋界に入ってからの一番の発見は、いかに女の頭が低能であるか。このことです」
と、まあ、テープも回らんうちに、これですもんねえ。
囲碁は平面競技であるから、女の頭でもある程度はいく。将棋はダメです。男に交じってやるもんじゃない、と。そして、女が男より頭良かったら男は生きとられん。女の方が男より上である局面もあります。女の腹は子を産むための腹、女がバカだからこそ子が育つんじゃ、というふうな話になってきて、すると何やら私はいつの間にかすっかり納得して聞き込んでおりました。
升田九段の話は、冗談やテレ隠しやユーモアや皮肉の部分も最高だが、それ以外の言葉をよく聞いていると、実に話の前後左右を取り払って一直線にシンの部分を言う。くどくどしい説明とか言い訳がない。
だからちよっとビックリしてしまうのだが、慣れるとこんなに面白くわかりやすい話はない。升田幸三という人物に、似合う言い方だから、いい。
*
話のいきがかり上「いい女とは?」という話題になった。いよいよ私の狙いの核心に迫ったのだ。
私は秘かに升田九段の答えを予想していた。この先生のことだから、さぞ最短距離で男の言葉が飛び出すだろう。たとえば「そりゃオッパイがデカイ方がエエ。オ〇〇〇は小さい方がエエ」ぐらいのことを言い出すかと思ったのだ。
ところが少考の後、升田九段が低い声でつぶやいた言葉は、私には、とても意外なことであった。
「まず健康で、そして、気だて、ですかねえ」
私生活でもいろいろ事情があったらしいし、病気もしたし、将棋界において彼の立場は、永遠のスターであると同時に、まさに悲劇主でもあった。その升田幸三が、しみじみと、こういうやさしい言葉をはいた。
何をしゃべっても升田一流の皮肉や一回転半の表現でサービスするのに、この時はこの言葉だけで話が終わった。オッパイがどうの顔の造作がどうのという種類のことは、ついにひと言も出なかった(まだお酒が足りなかったのかな)。
私は、これはスゴイ、と思った。男どもが女の話をする時は、もう王手飛車はかけなきゃ損々とばかり、きそって色気の方向へ注文をつけたがるものではないか。
升田九段が、気だてですと言った一瞬のムードは、えらく新鮮で、感動的でありました。
しかし、アハハ。「若い時分にはちょいと女を見るとすぐに手が出た足が出た、やり過ぎたもんや」とも言ってました。
将棋の途中で、升田九段がヒョイと席を立って部屋を出た。もどって来たら、どこぞから家庭用の長いパックを取出し、フタを開けて透明な液体をグラスについだ。焼酎であった。あとでわかったが部屋の外に奥様がいらしていた。
対談のあと、奥様ともお話しした。升田家の奥様は、美人か否か。
今年六十六歳の男の妻だから、それなりの年齢ではあるが、顔立ちは非常にサッパリとした奇麗な人だった。全くお化粧っ気がなく、いかにも清潔な色の白い肌であった。しかしこんなことゴチャゴチャ言うのは意味がないのだ。
美人かどうか、そのような分類をいっさいよせつけないものがあったのではないだろうか。
升田九段に、「少しは(料理を)よばれたのですか」と、しきりに心配していた。九段は食べ物にうるさい。この対談の時は何も食べなかった。家にカツオをおろしたやつがある、と言っていた。
奥様が私に、「新宿にも魚市場が出来たんですね。小さい築地とか言う・・・」とおっしゃった。家庭でも、未だに、大変苦労されていることが察せられた。
「ワシはあと一年や。一年たったら死ぬ」と言った時、私は思わず奥様の方をみて、「うまいこと言っちゃってェ、ねえ」と笑ってしまった。内心、ヤバイ、と思ったが、
「ホントに、うまいこと言っちゃって。いつもこれなんです」と微笑み返されたの。
私は升田幸三も大好きになってしまった。
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優しさを気立てに含むとすれば、私も、いい女は、「気立てと健康」だと思う。