夕食休憩時、盤を挟んでの談笑

将棋マガジン1993年3月号、鈴木輝彦七段(当時)の棋士本音インタビュー「枕の将棋学’93 ゲスト 森内俊之六段」より。

鈴木 前期の順位戦の羽生-森下戦。羽生君が昇級候補で、森下君も目があって、八戦目に当たったんだ。血で血を洗うような凄い勝負だけど、夕食休憩の時に対局室に入ったら、二人が盤を挟んで談笑しているんだよ。凄く怖いものを見た気がして、僕はソクッとしちゃった。あれって、何なんだろう?

森内 昔の感覚からすれば、ないことなんでしょうね。僕も前はそういうことはしていけないのかなあ、と思ってましたけど、最近は相手ともしゃべっちゃいますから。

鈴木 だけど、僕らの世代だと考えられないね。昇級がかかっている一番でしょう。普通しゃべれないよ。

森内 僕なんかも甘くなっているんでしょうね。

鈴木 いやいや違うんじゃないの。厳しさを通り越したところにあるんじゃないかなあ。

森内 盤上と割り切っているんでしょう。

鈴木 だから、夕休が終わったら、盤上で厳しくなれるんだろうけれど、それでも笑い合えない。

森内 他の人から見たら、ちょっと妙な光景でしょうね。

鈴木 最近の竜王戦挑戦者決定戦では、羽生、佐藤で昼飯を食べに行ったっていうでしょう。そういうの分からないよ。

森内 僕も同じような感じなので(笑)。でも夕休の時はそれどころじゃないでしょう。形勢が傾いてなくて、余裕があるからしゃべれるんだと思う。

鈴木 しかし、あんなドデカイ勝負をやっているのに、不思議だな。あまり、お金とか勝負に対する執着がないのかなあ、昔と比べて。

森内 お金に対する執着はないでしょうね、みんな。

鈴木 ないかもしれないね。だって、お金の苦労したことがないでしょう。それがハラが立つよね(笑)。

森内 子供の時から恵まれた時代ですから。

鈴木 だけど、ハングリー精神はあるんだよね。お金じゃなくて、何か貪欲に求めるものがあるのは不思議だね。もっとも、僕の言っているのは俗っぽくて、お金に転換するのが一番やさしいから。ハングリーというものをエネルギーにするにはね。ひもじいのが人間は一番苦しいわけだよ。もお金じゃなかったら、そのハングリーに結びついているものは何なんだろう。

森内 何でしょうね。プライドがあるんでしょうね。

鈴木 何か、こう突き上げてくる衝動があるはずだよね。相手の首根っこを食いちぎってでも勝とうというためには。お金はかなりそういう意識を引き出すと思うけど。

森内 お金は違っていますね。

鈴木 もっと別なものが引き出しているね、若い人は。お金を稼いで、何か買いたいとか平凡な夢みたいなものないでしょう。

森内 僕もないですよ。お金を別に欲しいとも思わないし、最低限の生活をできれば、健康で好きなことができればいいです。物に対する執着心はないですよ。

鈴木 ハハハ、お金使うこともないと言われても困るけど、そうかも知れない。読者もビックリしちゃうね。でも、物とかお金に執着しない強さがあるなら、僕らは敵わないね。フルえるというのは、根本的にお金の部分が大きいから。お金のことを考えるから、順位戦はあんなにフルえるわけだよ。

森内 勝ちたいと思うからフルえるんでは・・・。

鈴木 勝ちたいというより、本音を言えばお金のことがあるからフルえるんだよ。これを負けて落ちたら収入が少なくなるし、どうやって食っていこうかと考えるからフルえる。だから並大抵のフルえ方じゃないよね。

森内 それは経験したことがないのでちょっと分かりませんが、確かに現状より下がる時のフルえは上がる時とは全然違うと思いますね。僕らの年代は調子がいい時は強いけど、そういう逆境に立った時は、経験がないだけ凄くもろいと思う。

鈴木 同じフルえでも、タテ揺れとかヨコ揺れがあるかも知れない(笑)。根本的にフルえない強さがあるね。今の若手の強さという意味では、なるほどと思う。

(つづく)

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名人戦の昼食休憩時に、食事から早く戻ってきた森内名人と羽生二冠が盤を挟んで談笑する、このようなシーンがあったら本当に面白いのだろうが、なかなかそうもいかないところ。

大山・升田時代は、対局者同士は会話を交わさないものの、対局中でも観戦記者に向かって雑談をすることが多かった。

当時はもちろんネット中継はなかったが、この時代の対局中の雑談が中継向きのコンテンツであることは間違いないなかっただろう。