将棋世界1994年1月号、東公平さんの「シナモノエッセイ 扇子」より。
「名人が立ち上つた。扇子を握つて、それがおのずから古武士の小刀をたづさへて行く姿だ」
こんな描写もある川端康成の「名人」は、小説の形にはなっているが、もともと囲碁の本因坊秀哉名人の引退碁の観戦記である。
秀哉が大の将棋好きだったことも書かれている。死の二日前に将棋の相手をしたのは川端康成だったという。
江戸時代に「棋士」という言葉はない。将棋衆、または将棋指しで、士分ではなく医師や僧侶とほぼ同格。剃髪して十徳という服を着用し、扇子を携えていたらしい。現在の紋付き羽織袴が正装となったのは明治以降のようである。
漢字の感じからなんとなく扇子は中国渡来だと思っていたが、平安前期に日本で創始され、中国やヨーロッパにも広まった物であると大辞典で知った。用途もずいぶん幅が広くて、時代により変化するが、別名末広、とにかくめでたい品物であり上流階級の贈り物にも使われた。材質はもとより、扇面に絵や字をかいて華美を競った。
というわけだから、ほぼ同じころ日本で発明されたらしき将棋とは、切っても切れない縁がある。伝統を正しく守る意味でも、対局の時やたらに鳴らしたりもてあそんだりせずに、それこそ武士の小刀の如く膝元にぴたりと置く形がいいと思う。ある辞書にいわく「手に持って恥じらいをかくしたり、あおいで涼を取る道具」。現代ではあまり見かけない使い方になったようだ。テレビでは、ジュリアナ娘とかが夜ごと安物の大扇子をかざして踊り狂う姿が見られる。「恥じらい」とはおよそ縁遠い、新種の日本人がふえた。
棋士と扇子の珍談を思い出してみる。
若き森安秀光、新人王時代だったらしいが、かわいい子のいるスナックバーへ一人で行って冗談連発で遊んでいた。「僕の商売わかるか。当ててみ」「サラリーマンやないわね」まではわかるが、スーツにネクタイ姿。手に持ったミスマッチの扇子がナゾ。
「あっ、そうか。わかったよ。漫才の人や」。森安にっこりして「当たり!」
升田幸三先生作の笑話。
大山康晴名人は、女物のような小振りの扇子でヒモのついたのを愛用した。開閉しても音が小さいので相手に嫌われない。
「そう思うのが素人だ。あの扇子は秘密兵器でな。丸田君も山田も加藤も、みんなしてやられた。相手が考えとる時に大山君は、ひもをつまんでぶら下げて、クルクル回しとるだろう。トンボ釣りと同じで相手は目を回してしまうわけだ。
「ところが」と升田は真顔になる。
「中原にだけはトンボ釣りは効かんので、名人位を取られた。大誤算だった。大山ほどではないが中原もひどい近眼だ。これを忘れとったのが敗因でね」
高橋道雄九段は―笑話ではない―相手にパチパチやられるのが大嫌いだから、自分は”無言の抗議”をする。新品の扇子には紙の帯が巻かれている。あれを捨てないではめたまま持つのだ。なるほど、これなら開閉できないけれど、竹の棒とあまり違わないことになる。いっそ碁の木谷実九段の故事にならって「如意棒」でも携えたら面白い。ファミコンやサッカーの人気に押されっぱなしの将棋界、それくらいのパフォーマンスが必要な時代だ。
(以下略)
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日本将棋連盟で販売されている扇子をいくつか見てみたい。
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やはり、いろいろと個性があって面白い。
右から左に書く。
「感性」という島朗九段の扇子がある。
これは持ち歩きづらいだろうと思う。
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扇子については、山田史生さんが「棋士と扇子」を書かれている。
棋士と扇子 価格:¥ 2,625(税込) 発売日:2002-06 |