将棋マガジン1991年7月号、林葉直子女流名人(当時)の「私の愛する棋士達 第7回 羽生善治棋王の巻」より。
はじめて二人きりになった。
冬の札幌で雪が舞う夜のことである。
「寒いね・・・」
私は冷たくなった手に白い息を吐き温めながら、彼にそう言った。
これが映画ならばここからが見せ場となる。
たとえば、自分のコートを脱ぎ女の肩にやさしく被せてあげる。もしくは、冷たくなった女の手を自分の手で温めてやるとか、である。
か弱そうな女に逞しい男。
うーん、なんともロマンチックでないか!
しかし、彼等にはその”ロ”の字の部分すら見えてこなかった。
私の言葉に彼は、
「ええ、それにしても遅いですね」
と雪の絨毯に視線を下ろしながら答えた。
実はこの夜、札幌の将棋祭りで居合わせた若手棋士仲間計5人で私の知ってるカラオケスナックに飲みに行こうという話になったのだ。
男性棋士二人、女性棋士三人。
すすきの界隈ではなく繁華街から少しはなれた場所にあるこのスナックにタクシー二台で移動した。
その際、羽生くんと私が二人先発組として同乗したのである。
私の馴染みの店ということもあり先導するのは当然だろう。
宿泊先のホテルから20分程度のところにあるその店のビルの前で後の三人を待っていたのである。
ここで羽生くんと私は二人だけになったのだ。
そして―。
私は彼の言葉に感激した。
けっして、
「やっと二人きりになれたネ」
なーんて私の手を温めてくれたわけではない。(あたり前だ!)
ホテルからしばらくの間、尾けてきていた後続三人組の乗ったタクシーが見当たらないので、
「羽生くん、先にお店に入ってて。もしかしたら電話があるかもしれないから・・・」
と私の言葉にきっぱりと彼は、
「いえ、私も待ちます」
と応えてくれたのである。
20分ぐらいだったか。
「寒い」「遅い」この二つの単語を繰り返しながら、凍てつくような寒さの中、羽生くんは私と一緒にずっと後の三人を待ってくれていたのだ。
若くして、一流人の仲間入りをした彼であるが、こういうところでちゃんと私にも気遣ってくれるのが嬉しかった。
普通の天才だと若くしてトップに立つと有頂天になり、天狗になってしまう恐れがあるものだが、彼はこの通り、常に謙虚で誠実なのだ。
どこの誰が寒空の中、友人達を待ち続けるであろうか。
竜王を奪われはしたものの、先頃棋王を獲得するという偉業を成し遂げた。
竜王を獲ったというのが一過性のものではなかったのを証明するかのようにである。
それに合わせるようにしてグッと大人っぽくなったが羽生くんだ。
以前の彼は、表現が露骨だった。
「羽生くーーん!」
とドタドタと歩みより大声で声をかける私をイヤそうに見ていた・・・。
(誰でもイヤか!)
しかし、最近ではそういうストレートさが表情に出なくなったのだ。
ま、よく考えてみれば、羽生くんがあまりにも可愛いものだから、アッカンベーッをしてからかったりする私に好意を抱くわけがない。
羽織のえりが少しヨレてたり、どちらかといえば、服に着られている感があった彼だが、それも今では風格を感じさせる。
以前と変わらないのは、髪がいつもハネているということぐらいだ。
そういうところがアンバランスでまた魅力的でもあるのだろう。
「ナオちゃん、最近出て来た将棋の子・・・ほら、ハニュウ、だっけ?」
「ん? 羽生くんのこと?」
「あ、そうそう、多分その子だと思うけど、二重でキリッとした顔の子なかなか可愛いじゃない」
「そうよ、磨けばぜったい格好よくなるタイプだよ」
「でしょ、阿部寛(俳優)に似てるんじゃない?」
「そうなのよ。私も思った」
「私、将棋の人ってあんまり知らないけど、あの子の顔は覚えとこ」
まったく将棋を知らない私の女友達が羽生くんのことをしっかりチェックしているのだ。
それだけ存在感があるのだろう。
将棋の実力もさることながら、二枚目の羽生くんに女性ファンは多い。
それに彼本人が自分はイイ男だということに気がついていないところがまた面白い。
(つづく)
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”羽生君”ではなく”羽生くん”。
やや年上の女性から見た、若い頃の羽生善治三冠のイメージ。
林葉直子さんの感性が素晴らしい。
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阿部寛さんと羽生善治棋王(当時)の顔が似ているとは初耳だ。
言われてみると、目の辺りと口元が似ているような雰囲気がある。
女性の洞察力の鋭さ、ということができるのだろう。
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林葉直子さんのブログで、このスナックのことが書かれている。
この時とは別の年のことだと思うのだが、同じ年の可能性もなくはない。
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ススキノから離れた繁華街というと北二十四条だろうか。
ススキノには何度も行ったことがあるが北二十四条は一度もない。
真冬の北二十四条のスナック。
北海道弁の気さくなママと若い子が一人。
ラーメンも出してくれて飲み代は千円台。
本当に行ってみたくなる店だ。