近代将棋1994年3月号、故・小室明さんの「棋界フィールドワーク 羽生善治・奨励会時代の熱戦譜」より。
昨年夏頃から将棋界のトップニュースは、羽生善治という当時22歳の”ビッグネーム”によって埋め尽くされた。そして待望の五冠王に輝くと「棋界制覇へ」「七冠達成の日は」なる見出しが誌面をにぎわし、NHKでも特番が組まれて社会現象にもなった。
羽生本人が、「七冠を取れるかどうかは分かりませんが、可能性があるのは若いうちだけでしょう」と言明したことから、改めて報道関係者の目が羽生に注がれたのである。
残念ながら佐藤康光七段という、学究肌にして二枚腰という稀なる勝負師に竜王位を奪われたが、その後も落胆することなく勝ち進み、今年も羽生を中心に棋界が動くことは疑いの余地がない。
さて七冠王に向かって決意も新たに再スタートした羽生であるが、七冠とは具体的にどんなイメージなのか。羽生は昨年五冠王を達成したとき、大山康晴十五世名人と、記録面につき何かと比較された。今からおよそ30年前、大山は五冠王となって全冠制覇。文字通り棋界を統一したわけだが、七大タイトルの中での五冠王、つまり羽生のケースの方が実現困難なことのように私は思う。それは棋戦の多い方が日程が強行で、体力、精神力の負担がかかると考えるからだ。
今もし羽生が七冠王に輝いたと仮定して、その日程、年間スケジュールを試算してみた。7つのタイトル戦がフルセットで決着したとすると、七番勝負である名人、竜王、王将、王位の4つは2日制ゆえ、前夜祭、対局日2日、移動日と、一局につき4日は拘束される。それが7局で4棋戦、よって4×7×4=112日が必要となる。同様に五番勝負である棋聖、棋王、王座の三つは前夜祭、対局日、移動日の3日が拘束され、3×5×3=45日が必要となる。これに各棋戦7回の就任式で7日は拘束。
このすべてを足すと、112+45+7=164日となり、羽生善治の将棋手帳は1年のほぼ45%がタイトル戦で塗りつぶされることになるのだ。当然この日は他の対局は絶対につけられないし、対局の感想以外のインタビューは往復の車中か、ホテルのロビー、それもごく短い取材となろう。
ちなみに7回のタイトル戦すべてをストレート勝ちした場合は、計98日となり、1年の27%がタイトル戦にかかわる。電卓を弾いて確認されたし。
というわけで、どうですか皆さん、将棋の内容を論ずる前に、七冠王になるということは事程左様な大事業なのです。
他棋戦でも勝ち進めば対局が増え、その合間を縫って殺到するマスコミの取材に応じ、色紙にサインをし、出版事業に協力し、各種イベントのゲストに招かれて王者の存在を示す。並の体力では到底つとまらないのだ。
衣食住という生活の基本から発想するなら、タイトル戦、パーティーと続き、ホテルのバイキング、旅館の割烹料理と、山海の珍味に舌鼓を打ち、景勝の地での対局とあらば、身も心も解放されるのでは、と考えるのは素人考えで、当人にすれば、毎度の晴れの舞台に、いささか飽きがくるという、ゼイタクな悩みも発生するのではないか。
(中略)
それにつけても羽生の女性(オバサン!?)人気はすごい。昨年末の王座戦就位式。立食パーティーの席上、筆者はほんの短い取材と考え、羽生に近寄ったのだが、羽織、袴に身を包んだ羽生善治王座は、すでにドレスアップした5、6人の御婦人に囲まれ、みれば四方から飛び交う甘いお言葉に天手古舞のご様子。
「本当にりりしいわ」「元ギャルで失礼します」「こんな素敵な息子がいたらどうしましょ」―すべて平等に対応しきれなくなった王座は、額にピンと伸びた指先をあてがって、「ええ、まあ」「いやー、なかなか」などと、しきりと頷き、かろうじてさばき切ったよし。
話が一段落すると、記念撮影。列席した誰かに頼み、「ハイ、ポーズ」のツーショットでおさめればよいものを、王座を真ん中に立ち並び、そのうちのひとりずつがシャッターを切り始めたので、さすがの私も、ここでの取材は無理筋と諦め、ひとまず退いてしまった。いやはや何とも微笑ましい光景であった。”角界のプリンス”若貴の御婦人人気はものすごいのだから、”棋界のプリンス”羽生善治もこの程度は当然なのである。
(以下略)
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20年近く前の羽生ファンは、グラビアなどを見ると年配の女性も多かったようだ。
「元ギャルで失礼します」という言葉がとても絶妙だ。
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七冠王になると、1年のうちで98日~164日がタイトル戦関連だけで必要。
週休2日として、4.5ヵ月~8ヵ月分の日数となる。
それ以外には朝日杯将棋オープン戦、銀河戦、NHK杯戦、将棋日本シリーズなどの対局もある。
会社などに当てはめてみると、年間で4.5ヵ月~8ヵ月分の出張があるのと同じようなわけで、なおかつ毎回の出張で体重が2~3Kg減るような激務を行う・・・
凄いとしか言いようがないし、絶対に大変だ。