将棋世界1991年1月号、「公式棋戦の動き」より。
棋王戦
竜王戦七番勝負がはじまってからというもの、街の道場では「羽生はどうしたんだ」という話題でもちきりである。
道場主の玄さんがいう。
「所詮は、やつも人間だったということだよな、20すぎたらなんとやら、っていう言葉もあるし、こんなもんなんだよ」
これに対し、席主のムラさんいわく、
「女でも出来たんじゃねえかな、多感な年頃だもんな」
かように巷の話題を独占するハブ君だが、この棋王戦ではしっかり勝っている。
竜王と棋王の振り替わりなるか、といったところで、ハブ君にとって、この振り替わりはあまり嬉しくないだろうが、一輪咲いても花は花、という言葉もある。ファンも羽生前竜王、ではさみしいだろうし、ここは一つ頑張って欲しいものだ。
(中略)
ところで冒頭のムラさんの意見だが、ハブ君と親しい先チャンに訊くと「そんなことはありえません」とのこと。
世の女性方、安心めされい。
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将棋世界1991年2月号、「公式棋戦の動き」より。
棋王戦
先頃、通産省が発表した「レジャー白書」によると、日本の将棋人口は1540万人もいるそうなのだが、ここ文字どおり場末にある「場末将棋道場」では、1日のお客が多くて10人である。
「あーあ、退屈だな。こんなんじゃ腕がなまっちまう」
あくびまじりに道場主の玄さんが言う。
「なんなら一番指すかい」
と、これは席主のムラさん。
「よせやい。お前さんなんかと指したら腕がなまっちまうぜ。それにしてもよ、ムラさん。やっぱりあの羽生はたいしたことねえよ。なんでえ飛車なんか振りやがって。それにしても下手な振り飛車だっぺ。あのくらいはおれでも指せるっぺ」
(天狗のたわ言だと思って許して頂きたい)
ムラさん答えていわく。
「これで、やつも将棋一筋じゃいられないだろ、きっと女に狂ってボロボロだな。こういう純情そうな奴にかぎって、性悪女にとっつかまるもんなんだ」
どうもムラさんは、何かというと女に結びつける癖があるようだ。
と、そこに現れたるはムラさんの奥方。
「なに言ってんのよ。すぐにこの人ったらスケベなことを言い出すんだから。いい、ハブ君はね、悪い女に手を出すような男じゃないのよ。真面目でシャイな硬派なのよ。どこかの誰かさんみたいにクラブのホステスにちょっかいを出すような人間じゃないの!」
「おいおい変なこというなよ」
さすがのムラさんも奥方にせまられては勝てないようだ。
「いい、今度ハブ君の悪口を言ったら承知しないからね」
どうやらこの奥さん、還暦も近いというのに羽生君のファンのようである。
かおるクンといい、ムラ夫人といい、将棋界も変わったものだ。
ところで、今回の竜王戦は、物凄いデカイ勝負だった。
負けた羽生は、一敗地にまみれた。
だが、昔から、このような大勝負のあとは、えてして勝った方が不調になり、負けた方が好調になるものなのだ。
中原、谷川は、二度ずつ名人を取られているが、いずれのケースもそうだった。
羽生も、この二人に比べてやや早熟であるものの名人王道の系譜をつぐ人間であることに違いはなく、その意味からも、おそらくここ棋王戦で棋王になるのではないだろうか。
これだけ羽生君のことをほめておけば、ムラ夫人に蜜柑くらいご馳走になれるかな?
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将棋世界1991年3月号、「公式棋戦の動き」より。
棋王戦
まず小話を一つ。
「竜王戦に負ける前の羽生善治」
とかけて
「古本屋のケチ主人」
と解く。
そこココロは―?
「せいぜいまけても2割まで」
事実、彼は強かった。4年間にわたり8割近い勝率を維持した棋士というのはここ10年以上は出ないだろう。
その間、彼の名前は「伝説」として人々のココロに残るわけである。
さて、一つの伝説に別れを告げた今となっては、新しい羽生伝説を作る番だ。
その第一歩がここ棋王戦でなされようとしている。
竜王戦に負けたからといって「ハブ」という名のブランドに対する評価が下がったわけではない。「運が悪かっただけだ」という雰囲気の方が強いのである。
だが、そう楽には挑戦できそうもない。
というのも相手が強いからだ。
ここで小話をもう一つ。
「最近の小林健二」
とかけて、
「熱心な浪人生」
と解く。
そのココロは―?
「日夜、試験(四間)の勉強に明け暮れる」
―こっちは平凡だったかしらん。
(中略)
決戦は1月29日。技巧派地蔵棋士(早口言葉みたいだ)に挑戦するのはどちらだろうか。
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昨日に引き続き、超ユニークな「公式棋戦の動き」。
この文章は、羽生善治竜王(当時)が谷川浩司王位(当時)に苦戦し(1月号)、1勝4敗で敗れて竜王位を失冠し(2月号)、棋王戦は挑戦者決定戦直前(3月号)、という頃のこと。
羽生三冠が初タイトルを獲得してから現在に至るまでの間で、唯一、無冠の時期だった。
ここで予言されている通り、1991年3月に羽生前竜王は南芳一棋王に勝って、無冠は4ヵ月間で返上することとなる。
そして、七冠への道を歩むスタート点ともなった。
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このユニークな「公式棋戦の動き」は、1991年3月号を最後に筆者が変わってしまう。
3ヵ月間、誰が書いていたのだろう。
当時、将棋世界編集部にいた中野隆義さんに今度聞いてみたいと思う。