20年前のことだけれども、これを読めば誰でも三浦弘行九段を好きになる。
近代将棋1994年2月号、「棋士インタビュー 三浦弘行四段 18歳、順風でスタート」より。
三浦は平成4年9月に、18歳で四段に昇段した。自分ではまだまだと思っていたが、意外に早くあがれたので驚いている。三段リーグはどんな成績だったのかな。
「三段リーグは3期目です。1年目が7勝11敗、2年目が8勝10敗ですから、運が良かった」
運だけではなかなか上がれない。
「高校卒業したのが大きかった。4月に卒業して9月に上がりましたから。精神面で大きく変わったと思います。余裕が出たし。卒業できて嬉しかったので、よしやるかという気持ちになって。記録も月に2、3回採るようになった」
プロへ入ろうというのはいくつのときから。
「中一のときに研修会に入り、中二で奨励会に入った。そのころは高崎や前橋の道場に通っていました」
高校は?県立ですか。
「私立です。本当は大学まで行きたかったんですが。両立は無理かなと思って」
丸山五段のように両立させている人もいますね。
「凄いですね。しかも強いですから」
高校と将棋は両立しましたか。
「・・・あまり将棋をやる時間がなくて。帰ってくると疲れてすぐ眠くなる。やっても2、3時間程度。詰将棋解くとか、ちょっと棋譜を並べるくらいで」
高校は将棋の妨げになる。
「いえ。米長先生も言われましたが、高校へ行って、くたくたになって帰ってきて、将棋をやるヒマがない。わずかにみつけたヒマでやる。そういうほうがいいような気がします。どうせ僕なんかは行かなくても、だらだらしてて、よくないことしそうですから(笑い)。時間があんまりあっても出来ないものみたいで」
三浦さんはこちらの話を聞くときに、やや顔を斜めに構え、目の端からこちらを見るようなくせがある。警戒しているのかなと思った。「え?」という具合に聞き耳を立てるときの仕草にも似ている。
高校時代の友人は今でも付き合っていますか。
「いえ、いません」
どうして。
「・・・友人をつくるより、将棋やっていればいいんじゃないかと思って・・・。時間があまりなかったし」
記録係をやらなくてはいけないとか。
「高校生はいいんですけど、例会で2日休みますし・・・」
将棋界の友達は。
「あまり、いません」
つくらないの。
「・・・あの、将棋界で友達つくったほうがいいでしょうか。なにか、勝負相手なのでつくらないほうがいいかな、と・・・」
それはあったほうがいいでしょうね。競争相手がいやならば少し上の人とか、層をずらしてつくればいいんじゃないかな。まるきりいないのは、落ち目のペースになったとき、辛いんじゃない。
「やっぱりそうですか。つくったほうがいいですか」
三浦と会う前に本誌前号のアマプロ戦の記事を読んだ。服装に無頓着でネクタイはひっくりかえっているし、ワイシャツのボタンは掛け違っているとあった。待ち合わせの喫茶店に入ってきてすぐにネクタイをみると、そのとおりだったので、服装には気を使わないのと聞いてみた。
「いや。多少は使っていますけど」
どのくらい服装にお金使う?
「いや。お金はかけません」
ちょっと意地悪な質問だったが、そういうの、世間じゃ無頓着って言うんだよと笑ってしまった。顔にもうっすら無精ひげが見えるし、頭髪も無造作。でもそれがちっとも汚くみえない。彼なりのスタイルになっているから、これでいいんだろう」
4月から突っ走ってきたようだけど、最近はどうなの。
「それが・・・12連勝のあと、3勝3敗で、よくないんです。昨日も負けました。順位戦もやられました(5連勝のあと)」
どうして負けだしたのか、原因は分かるの。
「はい、ええ。わかっています。負けた棋譜は並べていますし・・・」
棋譜というより、緩みもあるんじゃない。新四段でいきなり勝っていけば、こんなものかなという気持ちが湧いて当然だしね。でもこりゃいかんと引き締めようと思ったときは、もうなかなかもとに戻らないというような。
「そうです。そうです。まさにそのとおりなんです」
でも負けた棋譜をよく並べるね。二度と見たくないと思うのが将棋だろう。
「ええ、奨励会のときは僕も一回も並べませんでした。勝った将棋ばかり並べて喜んでいました。負けたのを並べるようになったのは最近です」
将棋はゲーム性がとても辛いものだしプロはそれに加えて公表されるでしょ。しかも棋譜付きで。そこを押して負けたのを並べるところが、商売なんだ。ところでなぜ負けだしたかということにこだわるけど、悩むことなんかあったんじゃない。将棋のことや人生とか。
「ええ、時間ができたせいか・・・前は一度も考えなかったことや、ええ人生なんかもそうですし、なんか雑念みたいに」
将棋だけやって終わって、人生の意義があるのかなんて(笑い)。
「そうですね。・・・少し遊んだりすればいいんでしょうけど」
酒も麻雀もやらない。友達ともあまり遊びにいかないとなると、やはり行き詰まることもあるかもしれない。でも遊びを覚えるとはまりそうな自分が怖い(笑い)とか。
「そうなんです。ちょっと怖いです」
それで自分で制限している?
「はい。そのとおりです(笑い)」
当然彼女もつくらず。
「はい(笑い)」
それだけ将棋に賭けている。友達もつくらず酒も遊びも避けて青春を突っ走り見事に18歳で四段になった。でも四段は棋士のスタートでゴールじゃない。これからが山あり谷ありの本番だ。だんだん将棋だけでは突っ切れなくなってくる。そういうときにものをいうのが、人間の厚みだ。これは少しずつ心がけていってはじめて身につく厄介なものだが、そう難しいことでもない。世間の人がやるようなことをやっていれば出来てくる。
「今は週に一回くらいの対局ペースですから時間があります。家にいることが多いのですが、うまい過ごし方をしないといけませんね。どうすれば・・・」
てっとり早いのはよき先輩と付き合うことでしょうね。本を何冊か読むくらいエキスが吸収できますよ。なにか先輩がやっている研究室には入っているの。
「いえ、ぼくなんかでも入れてくれればやってみたいですけど」
自分に合うかどうかはやってみないとわからないけど。若いうちはあまり好き嫌いを出さないで当たってみるのも一策なんじゃない。大山先生は食物の好き嫌いを直すのが第一だとおっしゃっていたからね。好き嫌いは将棋の戦法や人の好き嫌いにも通じるとも・・・。三浦さんはどうですか。
「ぼくはありません。戦法もなんでもやります。得意な戦法がないというか」
それじゃあ、素質はいいですよ。なんでもトライできますね。ところで家庭のことをお聞きしますが、何人家族ですか。
「祖母と両親と4人です」
群馬のほうと埼玉とふたつ家があるようですが。
「群馬が実家です。今は祖母だけが住んでいまして。埼玉のほうには両親と住んでいます。ぼくはときどき群馬のほうに行っています。祖母が淋しいと思いますから・・・」
そうすると、一人っ子ですか。年鑑の趣味の欄にファミコンなんて書いてあったけど、兄弟と遊べなかった。
「はい。・・・将棋の道場へ行ったり」
お金はどういうふうにしているの。家にいくらか入れているの。
「・・・え、いえ」
家賃とか食費とか・・・。
「いえ。いちおう全部渡しています」
あ、全部?
「はい。全部入れています」
そこから自分の小遣いをもらう。
「まあ。遣うときは適当に・・・」
なるほど。よくわかりました。ずいぶん堅実な生活ぶりでやや驚きました。若いときというのは遊びたくてしょうがない。金なんかいくらあっても足りない。酒場にも行きたい、いい服も着たい、車も乗ってみたい、彼女と一流ホテルで食事もしてみたい。きりない欲望と夢が妄想となって襲ってくる。こういう青春をおくった人も多いだろう。それからするとなんと抑制が利いた青春だろう。その目的(将棋が一流)のためには、障害になりそうなことには近寄らない。これを生活の中心に据えている。
話は当方の若いときの模様になり皆が活躍している時代にじっとそれを見ながら耐えていたという話題になった。
「そういうとき、焦りませんか」
ツキを貯めていたと思っていたから。いつか花開くだろうと。
「で、いくつまで・・・」
はい。30代でやっと目的に達しました(なんといつの間にか攻守ところ入れ替わっていた。これが三浦流の強みか)
「僕もそのくらいで活躍したいな」
将棋界は出発が早い世界だからね。早く出発して早くくたびれちゃう人もいるけど。しかたないよね。誰だって一休みしたくなるから。
「今日はいいこと聞きました。いろいろ考えるんですけど、なかなか・・・」
考えるネタが不足しているとか。
「ふふ。そう、なんです、ね(笑い)」
なんだか今日はインタビューしているんだか、雑談だかわかりませんでしたが、若くて強いというイメージだけだったのが少し見えてきたような気がしました。若さと勢いから、本当の強さに育っていく過程で悩みが生じるでしょう。でもそこが人生の本番ですから、負けないように頑張ってくださいね。
「はい・・・」
—–
昨日の王将戦2次予選で、三浦弘行八段が澤田真吾五段に勝ち、九段昇段を決めた。
私は中学時代から抱えていた副鼻腔炎の手術で、8月8日から昨日(8月16日)まで生まれて初めての本格的入院をしていたのだが、村山聖九段の命日に入院し、三浦弘行九段誕生の日に退院したことになる。
個人的にも、とても区切りの良い入院期間となった。
—–
6月に「とても素直な三浦弘行三段(当時)」という記事を書いたが、今日はその続編ともいうべきインタビュー。
10代の頃の三浦弘行四段(当時)全開といった感じだ。
このような素直さ、純朴さが三浦弘行九段の魅力であり強みであると思う。