将棋世界1991年2月号、鈴木輝彦七段(当時)の「対局室25時 in東京」より。
連盟に着いて掲示板を見ると、谷川-真部の順位戦があった。名前を見るだけで気の重いのが伝わってくるようだった。私はどこかと思ったら、特別対局室で一緒だった。
(中略)
食事の用意がしてある記者室に入ると、皆押し黙って食べている。若手が多い日はこんなものだ。真部さんは話相手がほしかったのか私の顔を見ると「この間、代々木に森さんと来たんだってねぇ」と言った。先週、二人で真部さん馴染みの店に飲みにいったのだ。この日は生憎真部さんは居なかった。
「森さんはゲームができなくて残念そうでした」
「いやいや、居なくてよかったよ。泉君は居なかったろうね」
「ええ」
「あの二人が居たら寝るしかないからね」
「そんなに恐れる事はないですよ」
「いや、歌にあるだろ、”森と泉に囲まれて 静かに眠る”と」
言いながら、自分で笑っている。皆んなもこれには笑った。考えてきたのだろうか。でも、自分でボケるなんて珍しい。いや、初めてかもしれない。そう言えば、オーストラリア旅行の話が出たから2ヵ月近く会っていない。私は嬉しかった。勝ち星は失ったけど、大きな物を得つつあるのではないかと思った。
(以下略)
—-
この日は、谷川浩司王位-真部一男八段戦、高橋道雄九段-鈴木輝彦七段戦、田丸昇七段-郷田真隆四段戦、丸山忠久四段-横山公望アマ戦などが行われていた。
”森と泉に 囲まれて 静かに眠る”は、ジャッキー吉川とブルー・コメッツの「ブルー・シャトウ」という曲の、あまりにも有名な出だし。
→ジャッキー吉川とブルー・コメッツ/ブルー・シャトウ(YouTube)
カジノ王の森けい二九段と野獣流の泉正樹六段(当時)に囲まれて、静かに眠る真部一男八段(当時)という図だ。
きっと、以前から考えていて、いつか出してやろうとしていたのだろう。
私の姓は森だが、このようなネタは今まで一度も頭に浮かんだことはなかった。
—–
私が通っていた高校は、宮城県泉市(現在の仙台市泉区)にあった。
この高校は当時、仙台一高や仙台二高を受験する際のすべり止めの高校として位置づけられており、中学時代に将棋に夢中になり過ぎて勉強がおろそかになっていた私は、第一志望の高校を落ちて、この高校に行くこととなったのだった。
入学試験が公立高校合格者発表の翌々日で、悲壮感漂う受験会場だったと思う。
一学年135人の少人数のミッション系男子高。
第一志望の高校を落ちたことをきっかけに、将棋はきっぱりとやめた。(次に将棋を再開するのは14年後のこととなる)
入学早々、英語の先生が「臥薪嘗胆」という四文字熟語を教えてくれた。
入学してから1~2ヵ月間はかなり暗い気持ちだったが、3ヵ月目にようやく平常心に戻ることができた。
—–
当時の宮城県泉市は、丘陵部の宅地開発が徐々に進められ、仙台市のベッドタウンとして発展を始めた頃で、私が高校に入学する2年前に町から市に昇格していた。
私が入った高校も、1年前に仙台市中心部から泉市に移転をしたばかり。
校舎は新しくなったものの、郊外にあるので近所に女子高などはなく、丘をいくつか隔てて女子短大があるだけだったので、市街にある高校がうらやましかった。
ちなみに入学の2年前に坊主頭制度が廃止され、1年前に制服自由化されていたので、入るタイミングは良かったようだ。
—–
真面目に受験勉強を始めたのは高校2年の夏休みが終わってから。
郊外にあって、少人数で、自由な雰囲気の高校だったので、落ち着いて勉強に取り組むことができた。
結果として、大学は志望校に入ることができたので、高校受験に失敗したのか良かったのかもしれない。
高校のOBには、政治活動家で「一水会」最高顧問の鈴木邦男さん(1962年卒、1期生)、漫画家の荒木飛呂彦さん(1978年卒、17期生)などがいる。
—–
来週の水曜日に行われる王座戦第1局は、仙台市泉区の「仙台ロイヤルパークホテル」で行われる。
1995年に開業された「仙台ロイヤルパークホテル」がある場所は、私の高校時代は森と泉があるだけの場所だった。
三菱地所による大規模な開発により誕生した泉パークタウンの一角にこのホテルがある。
二度行ったことがあるが、初めて行った時、その雰囲気の素晴らしさに驚いた。
三菱地所一社により作られた地域なので、まわりの風景と建物の調和が絶妙なのだ。
詳しくは、来週水曜日の「王座戦第1局対局場 仙台ロイヤルパークホテル」にて。