押しても引いてもどうにもならない人

将棋世界1992年10月号、神吉宏充五段(当時)の「対局室25時 大阪」より。

 「ハイハイ、どれどもいいから1枚取って」

 大抵、夜の街で酒を片手に女の子にカードマジックをやっている。これは「対局室25時」の両執筆者に共通する一幕で、鈴木先生も私も手品の大ファン。二人ともタネのある物は極力使わず、テクニックと会話で勝負の本格正統派(?)なので、いつでもどこでもお気軽にできる利点がある。

(中略)

 私のマジックは、まず会話で相手を探り、次にカードで現象にして見せるのだが、これまでに一人だけ、押しても引いてもどうにもならない人がいた。

 故・大山康晴先生である。もう1年ぐらい前になるだろうか。東京の将棋会館で、師匠の内藤九段に新作を見せていると、大山先生が通りかかった。

 「お、ちょっと大山さん。今からうちの弟子が手品しますから見ていきませんか」と師匠が声をかけた。

 「やってごらんなさいよ」

 「は、はい。それでは大山先生、好きなトランプの数字を言って下さい。それは何ですか?」

 「……」

 「あの~、おっしゃって下さい」

 「あんたが当てなさいよ」

 「え!それは、ちょっと・・・。そうそう、それじゃあトランプを1枚抜いて下さい」と私は大山先生の前でカードを開いた。しかし、先生はいっこうに引こうとせずにこう言った。

 「それ全部貸してごらんなさい」

 大山先生はそのカードをテーブルの隅の方に持って行って、背中で全てが見えないように覆い隠した後、1枚取る仕種を見せて(今取ったから、これ何だか当ててごらんなさいよ」

 ・・・はっきり言って、超能力者は別として、どんな世界の一流マジシャンでもこんな風にやられたら当たりっこなんてあるわけない。私も困ってしまって、「すいません。こればかりはわかりません」。お手上げ状態に、あの分厚い眼鏡の奥の目を細めて「あそ、わからないの。ならダメでしょ」。そう言って嬉しそうに去って行った。

 一部始終を見ていた内藤九段「えらい勝ち誇って出て行ったなあ。神吉君、悩まんでもええやろ。あの先生は何でも負けるのがイヤなんや」と慰めてくれたが、私は流石は勝負に辛い大山先生、弱点らしきものは絶対見せんわと、妙に感心した。

(以下略)

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将棋ファンには優しいけれど、勝負師相手には厳しい大山康晴十五世名人。

大山十五世名人の将棋に真っ向からぶつかった時の感触もこのようなものなのだろうか。

どんなに立ち向かっていっても、残るのは徒労感と絶望感ばかり。

大山名人が、若い頃の二上達也九段や加藤一二三九段や内藤國雄九段に盤上・盤外で味わせた感触。

恐ろしさ満天だ。