将棋世界1994年5月号、神吉宏充五段(当時)の「対局室25時 in 関西将棋会館」より。
カンキの真面目な話
最近感じることだが、ここ1年ぐらいで将棋を理解する人たちが増えたように思う。
指し方は知らなくても、米長名人が好きだとか、雑誌に掲載されている『月下の棋士』は欠かさず読んでますなど、直接プレイしなくても、違った楽しみ方で将棋の世界を感じている。
実はこんな形で将棋が普及する事が、私の描いていた理想形なのである。他の世界を見ればわかってもらえるだろう。
野球や相撲。ほとんどのファンは見て応援するだけ。でもそれだけで十分楽しんでいる。つまり人間の競い合うゲームそのものに魅力を感じ、チームや個人を贔屓にする。
これがプレイできる人だけが将棋人口という我々の世界との完全な違いである。
棋界もかつては関根・木村・升田・大山と、脈々と受け継がれた人間の闘いがあった。ドラマがあった。しかしそれも時代と社会の流れが無個性・無感性・無気力を産み、少ながらず棋界も影響を受けた。
趣味も多様化する。そうなると「将棋離れは早い。新聞のトップに登場することもなくなった。将棋ファン一千万とも二千万とも言われていたのはなんだったのだろうか…。
ファン離れを知って私も最初は将棋そのものの面白さを説こうと考え動いたが、それより大事なことのあることに気が付いた。
それが棋士の魅力、人間の魅力なのである。昨年の10月から3ヵ月、NHKで林葉直子ちゃんと「おしえて、ショーギ」の講座スタート。6人の生徒と掛け合い漫才のような楽しい番組であったと思う。
番組の大前提は、もちろん将棋を知らない人に駒の行き方を教えることだが、実はもう一つ、ほんとはこっちが狙いというものがあった。
「将棋って難しそうだし、暗くてオジサンクサーイ」なんて女子高生から言われそうなイメージを変えることが出来ればと思っていたのである。
だから生徒も笑顔で、講師も楽しそうに振る舞って(ほんとに楽しかった)笑える番組を目指したが、果たして、評判は良かったようだ。アマもプロも関係なく人間的な魅力でファンを引きつける。
もちろん、他の棋士も将棋連盟も現在最大限に努力しているテーマである。
そのひとつの形として、大阪でアマプロが優勝賞金50万円を懸けて戦う早指し戦が企画された。
大物ゾロゾロ
3月20日~21日にかけて、NEC・C&Cプラザで行われた「春の祭典」がそれである。
このアマプロ早指し戦の面白さは多々ある。まずチェスクロック使用で双方10分、使い切ると30秒の秒読み。この時計は対局者が押す。
次にアマプロ双方に予選があること。これまでは、なんやかんや言うても、プロは本戦からだった。公平を期すのなら、なるほど、この方がいい。
それに大会に出場するのに、だれかれ問わず、五千円の参加費がいること。
他にもあるだろうが、この三大特色でさあ、どんな棋士が登場したか。
はっきり言って驚いた。奨励会の有段者や女流、さらには元A級八段まで、東京からの参加棋士を合わせて計23名(アマは91名)。
予想外の参加者だと思う。主な棋士を紹介しよう。
淡路八段・村山七段・中田(功)五段・神崎五段・伊藤(博)五段、長沼五段・畠山(鎮)五段・藤原四段・久保四段・窪田四段・林葉倉敷藤花・中井女流名人と、何とも豪華キャスト。
これに奨励会の11人を加えて予選を行って、4人の本戦出場者を決めた。
村山七段・久保四段・窪田四段・増田三段の4人である。つまり他は敢えなく予選落ち。
ワシは八段やぞ!
20日の夕方、予選風景を見たくて会場を訪れた。そこでいきなり目が合ったのが淡路八段。
「先生、どうでした?」
「……アカン、オレ将棋弱いわ。連敗で予選落ちや。最後の将棋なんて二歩打ってもいたし、引退しょうかなあ」
早指しは若手の天下と言いたげな表情。成績表を見る。ほほう、直子ちゃんと広恵ちゃんも負けて予選落ちか……。出てくりゃおもしろかったのに。うん、おっ、広恵ちゃん1回勝っとるやんか。誰にやろ?
「藤原先生に緩めていただきました」広恵ちゃんの屈託のない笑顔が語る。
その藤原四段は長沼四段と練習将棋を指しながら「いやあ、長沼先生弱すぎる。広恵ちゃんの方が手応えがありますよ」なんて言っている。
中田(功)五段は「ひどい組み合わせになってしまった」とボヤク。
「見て下さいよ、予選で東京から来て残っている3人が当たりますか?(中田五段・田村三段・窪田四段)それに田村君はボクの見たところ優勝候補なんで、交通費を出してやるから、優勝した時は十万円もらうことになっていたんですよ。なのに潰し合って、結局負けてしまった。楽しみなんか全然ない」
いつもは飄々とした中田だが、この日はさすがに疲れた表情だった。
予選が終わって本戦に残った者は皆、当然だ!というような顔でいるが、面白いのは敗者のアツそうな顔。
「くそ!50万円落としてもたわ」とほとんどが強気の体。その様子で、この企画が成功だったと思うが……。
さて、アマの代表は、菊田裕二・楠本誠二・青柳一郎・林浩一の四氏。翌日の全部四局はアマプロ戦になるわけだが、残念な事にプロの牙城を突破できた者はいなかった。
(中略)
これがスモウなら
注目の優勝は、やはりこの男だった。村山聖。何でこんなに強いのか。期待されて、ちゃんと勝つのが彼の魅力である。「必敗の将棋もありましたけど」と言っていたけど、あんなあ……それを勝つんが強いちゅうんじゃい!ホンマに……。
いよいよ賞金授与になって、主催者代表の森信雄理事、急にブ厚い袋を見て、「スモウやったら師匠になんぼか回ってくるもんやけど、ちょっと分けてくれんかなァ」。村山は笑うしかなかった。
(以下略)
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参加費を払う方式の、ユニークなアマプロ早指しオープン戦。
久保利明四段(当時)はプロ2年目の春、窪田義行四段(当時)は四段昇段を決めたばかりの頃。
棋界一の早指しと呼ばれることになる田村康介三段(当時)は翌年の10月に四段に昇段する。
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鹿野圭生女流初段(当時)も、将棋マガジン1994年6月号でこの早指し戦のことを書いている。→森信雄六段(当時)「なんかサギみたいやなあ」
この記事では、村山聖七段(当時)、久保利明四段、窪田義行四段、増田裕司三段(当時)4人の賞金トータルが90万円(うち森門下が60万円)と書かれている。
優勝の村山七段が50万円なので増田三段は10万円ということがわかる。
久保四段と窪田四段合わせて30万円の賞金額。
準優勝で20万円、3位タイで10万円の賞金と導き出されることになる。
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森信雄六段(当時)はこの頃、日本将棋連盟理事を務めている。
弟子二人に賞金を渡す際に森理事が「なんかサギみたいやなあ」と言ったというのが鹿野女流初段の記事で、どのタイミングでのことかはわからないが「スモウやったら師匠になんぼか回ってくるもんやけど、ちょっと分けてくれんかなァ」と冗談を言ったというのが神吉五段の記事。
どちらも絶妙なスピーチだ。
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それにしても気の毒だったのは中田功五段(当時)。