控え室から見た森内俊之新名人誕生の一局(前編)

近代将棋2002年8月号、拓殖大学客員教授の金ピカ先生(佐藤忠志さん)の第60期名人戦〔丸山忠久名人-森内俊之八段〕第4局観戦記「金ピカ流名人戦観戦記」より。

 第60期名人戦第4局の観戦記事の原稿依頼をいただいた。将棋ファンの私としては欣喜雀躍。しかも同行カメラマンは棋士や対局場面を撮って27年の大ヴェテラン、髭の弦巻さん。弦巻さんとは先週初対面で痛飲。

 とにかく弦巻さんは人望が厚いうえ、やたらと顔が効くのでとても取材がし易かった。

 さて観戦記だが、プロ棋士では本筋から外れるのであまり書かないような、対局室や継ぎ盤の検討を含めた控え室の様子、対局者のプロフィールなどを私独自の視点で書くことにする。

挑戦者の先輩になっていたかも!?

 丸山忠久名人は千葉県木更津出身。早稲田大学に第1期「一芸入試」合格。しかし早稲田の場合は「一芸)プラス高校の評定平均4.0以上が基準。わかり易く言えば、高校の成績が5点法でオール4以上でなければ受験資格が無い。つまり丸山名人は将棋のみならず高校の成績も良かったことになる。

 挑戦者の森内俊之八段は横浜市の出身。千葉県一宮出身の彼の祖父もプロ棋士で京須行男八段。名人と挑戦者の祖父が同じ千葉県出身だ。京須八段は孫の森内八段が生まれる10年前の昭和35年に現役のまま癌性肋膜炎で死去しているので森内八段と接点が無い。挑戦者に訊ねると、プロ棋士になったのも偶然で御爺様の影響は全く無いとのことだった。

 余談で恐縮だが、挑戦者の母校サレジオ高校は、水道屋だった私の父が工事に携わった。昭和38年のこと、校舎は山の上。周囲に人家は無く東名も走っておらず小学生だった私には巨大な学校に見えた。中三でオール2だった私は父が「サレジオに頼むか」と言った程だったが、ミッション系なのに私の英語の成績が悪過ぎて断られてしまった。もし入学してたら私は挑戦者の先輩になっていた。

1日目 名人の水分摂取量にビックリ!

 第4局の対局地は北海道の滝川市。札幌から特急で1時間ほどの所。事前に見た市のホームページでは人口46,000。小さな市だろうとは思っていたが、滝川駅に降り立って驚いた。

 駅前に人はいない。対局会場のホテル「三浦華園」が駅前から見える。駅前の西友も人の出入りが無い。弦巻さんと私はほぼ同時に「ゴーストタウン」と呟いた。

 しかし閑散とした街とは裏腹に豪華な市庁舎だけが場違いの目立ち方でそびえ立っていた。駅からタクシーに乗る必要もなく東京より日差しが強い中を弦巻さんと二人でホテルまで歩いた。

 会場に到着すると、名人戦の第1日目としては早いテンポで進んでいた。両者ともこれまでと同様、和服の出で立ち。対局中の両者は無表情。北海道入りは偶然にも二人が同じ飛行機。しかも座席はスーパーシートの一番前で、通路を隔てた窓際。両者とも無言だった。

 形勢は挑戦者の方が若干有利に思えた。気になったのは名人の水分摂取量が異常だった事。ここ最近の名人の戦績は2勝8敗。丸山名人の体型を見て、私は糖尿病を危惧してしまった。大量の水分摂取で思考力が低下することな無いのだろうか?今期の名人戦は3連敗で角番だ。

「どっちが有利か?」をファンは知りたい

 第1日目とあって控え室はいたってのどか。NHKの解説で来ていた島朗八段が大盤解説の合間に顔を出したり、副立会人の塚田泰明九段が来たりで検討をしていたが、まだひっ迫した局面では無く非常に和やかだった。本社へ送る原稿執筆中の記者から両者に時々局面についての質問が飛んだ。二人とも真摯に答えていたのが印象的だった。

 やがて大盤解説の時間に。私も大盤解説室へ。街には人がいなかったのに大盤解説に集まったファンの人数に圧倒された。

 大盤解説は島朗八段と碓井涼子女流三段。私は、碓井三段とは3年前に田丸昇八段の御紹介により衛星の銀河対局で御世話になった。3年前の対局の時の碓井さんは無表情で口数が少なかったが、今回再会して大人の女性になっていた。笑顔で挨拶してくれたのでフト初対面の時の印象を語ると「私人見知りするんです」とテレていた。

 ファンが知りたいのは「今どちらが有利か」と言うことだ。碓井三段は「挑戦者有利」を明言したが、島八段は明言を避けた。島八段は新聞記事の締切時間のことも気にしていた。配慮の行き届いた島八段の御人柄にミス川崎を射止めたのも納得がいった。

 副立会人の塚田九段も加わって戦局検討に入ったが、やはり塚田九段も明言を避けた。島八段が客席のファンにどちらを支持するかアンケートを取ると挑戦者の方が圧倒的に支持者が多かった。3連勝の勢いがこんな所にも影響した。

(中略)

封じ手での原田長老の貫禄

 封じ手の時間が迫った。控え室に戻った塚田副立会人は「封じ手は▲4九飛か、▲4八飛では。大駒は遠くから相手にきかせるのがいい。飛車が4六にいると、当たりが強いので」との予想。

 対局室は10畳の和室で床柱は細目の絞り丸太。隣接するサロンは6畳。サロンの沓脱ぎ石の上には両対局者の草履が並んでいた。

 サロンの床は六寸角の黒の玄昌石。ちなみに成城の故石原裕次郎邸の屋根が玄昌石。このサロンが報道陣用。床が石なので足が冷たかった。対局室には正立会人の原田長老が和服で背筋をピンと伸ばして座っていた。

 挑戦者が白い大きな鶴の模様の座布団から立って退席すると名人は天を仰いだ。この表情から私は挑戦者優勢を察知。午後5時30分、原田正立会人から「封じ手」の声がかかった。5時33分、丸山名人が「封じます」と言って正立会人より用紙を受け取って別室へ。

 これまで3局は挑戦者が封じたが、今回初めて名人が封じた。暫くして原田正立会人が「時間がかかるねー」同41分、名人が封じ手の入った封筒を手に戻って来た。立会人の後ろを「失礼します」と言って通り、座ってから立会人に手渡した。

 署名のため、原田正立会人は「森内さんは裏に、塚田と原田は後で」と言って挑戦者に手渡した。挑戦者の署名が終わり名人が正立会人に封筒を渡すと「確かに」と言って静止した。

 報道陣のスティル写真用の静止だった。カメラ慣れした原田正立会人ならではの貫禄だ。普通は報道陣から「そのまま」との声がかかる。「よろしいですか?」と言って正立会人が2通の封筒を受理した。1通は正立会人が。もう1通はホテルの金庫で翌日の対局再開まで保管するのである。この後、上位者である名人が駒を駒袋に入れて片付けた。私は駒を翌朝の対局再開まで放置するものと思っていたので意外だった。かくして第1日目の対局は終了。

夜の控え室は実はにぎやか

 両者とも夕飯に。両者の食事のことを記述すると朝はホテルのビュッフェ。10時半に地元名産のバター入り白餡「モンモウ」と抹茶。昼食は名人が刺身定食と果物(スイカとマンゴー)で挑戦者がシーフードカレーと果物だった。午後3時5分に夕張メロンゼリー、メロン、バナナがおやつに出た。夕飯は両者とも関係者同席で懐石料理。

 1日目の対局が終了し、ヒゲの弦巻カメラマンの提唱で週刊将棋の古作編集長や共同通信のジャニーズ系記者ら男5人で夜の街へ繰り出した。と書けば聞こえはいいが、何しろ過疎化の進んだ市街だけに店選びに苦労した。

 昼間の控え室での古作編集長の予測がピタリ当たるのでかなりの腕前だとは思っていたが、奨励会の三段だったと聞き納得。四段でプロだからその一歩手前だったことになる。

 寿司屋で食事後、弦巻氏が控え室へ行こうと言い出した。もう対局が終わってるのに今から控え室?と怪訝に思った。

 控え室では正立会人の原田泰夫九段を中心に盛り上がっていた。夜食のオニギリやツマミも出ていた。夜の控え室がこんなだとは初めて知った。

 原田九段(当時八段)の名著「将棋小学校」を40年前に購入したことを話すと一気に話に花が咲いた。

 戦前木村十四世名人と軍隊の慰問に中国へ行った時の話や、昭和24年に四段で復員後の戦後の将棋界の話等大変興味深い有意義な内容だった。原田長老は80歳近いとは思えぬ酒豪ぶりだが、背筋を伸ばして飲む姿勢は年齢を感じさせない。品の良さと教養が顔に出ている。私もこんな歳のとり方をしたい。

2日目 「60年前なら」見合い写真に使えたのに

 私は8時45分に対局室に。46分原田立会人入室。原田長老が毎日新聞の記者に「今日の朝刊、カラーで原田のハゲ頭を出していただきまして、60年前なら見合い写真に使えたのに」と軽妙なジョークに対局室の雰囲気が明るくなった。

 49分、挑戦者入室。長老が対局者二人のファッションを褒めるも挑戦者は無表情。52分名人入室。53分、名人が駒袋を開け駒を並べる。55分原田立会人が記録係に「村中さん、ゆっくりハッキリと」と昨夕終了時迄の棋譜の読み上げを促す。

 9時、立会人「封じ手を開けます。封じ手の矢印は4八飛車です。念のためもう1通、はい同じ4八飛車です。それでは時間になってますので対局をお願いします」。9時3分対局開始。

「一気に戦いが始まりましたね」「名人ヤケッパチですか?」

 大盤解説室では碓井涼子三段が挑戦者有利を断言。島八段は「どちらかがやり損なっている局面ですね。見た目より深刻です」と慎重な発言。名人の指し手が早い。島八段の「一気に戦いが始まりましたね」に碓井三段が「名人ヤケッパチですか?」会場爆笑。名人の▲2二歩の妙手に島八段お昼で終了もあり得ると解説。これを受けて塚田副立会人は形勢が変わるかもしれない一手とコメント。

 しかし私はそうは思わなかった。私の根拠は当然プロとは違う。その根拠は2二歩の後の9時20分、26分、28分、34分、35分と名人が水分補給したことだ。これが肉体面以外の理由なら精神面の理由だからだ。これにはヒゲの弦巻カメラマンも「水飲み過ぎると胃液が薄まって思考力が低下するよ」と懸念。9時50分、名人は庭へ散策に。

(つづく)

森内丸山1

△2二同飛は▲4五銀があるので、△同角▲2八飛△5五銀と進む。

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金ピカ先生(佐藤忠志さん)は、旺文社大学受験ラジオ講座も担当した予備校のスター講師。(1992年に予備校講師を引退)

ヤクザ風のファッションと生徒を惹きつける教授法で一世を風靡した。

代々木ゼミナール時代は、500人の英語のクラスを週に24クラス担当。受付開始から2時間で満杯。良い席を取るために徹夜で並ぶ生徒もいたという。

金ピカ先生の趣味は、 車、刀剣収集、将棋、料理。

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ここまで森内俊之八段(当時)の3連勝。森内八段はこの第4局も勝ち、名人位を獲得する。

森内九段にとっての初タイトルでもあった。

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碓井涼子女流三段(現在の千葉涼子女流四段)の「名人ヤケッパチですか?」。

碓井涼子女流三段は、この翌年からNHK杯戦での聞き手を務めるようになり、その卒直で辛口な語りは多くの将棋ファンに喜ばれることになる。

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この年の10月から始まったNHK将棋講座、森内俊之新名人の 「森内名人の力戦振り飛車で勝とう」の聞き手は碓井涼子女流三段となっている。

森内名人は、碓井女流三段から「名人獲得おめでとうございます。いやあ、このまま無冠の帝王で終わるんじゃないかと思ってたんですがねえ」と言われ、そのとてつもなく無防備な、怖いもの知らずの踏み込みを高く評価し、聞き手に指名したと言われている。

名人に定跡なし