将棋世界1998年11月号、行方尚史五段(当時)の連載自戦記「ワーストバウト」より。第24期棋王戦 行方尚史五段-郷田真隆棋聖の一戦。
郷田棋聖との対戦は5局目だが、過去の対戦はその時の自己を記した、いい将棋が指せたと思っている。郷田将棋の真っ直ぐさが僕のいいところを引き出してくれたのだろう。もしかしたら、対郷田の棋譜だけが四半世紀生きてきた僕の唯一の誇りかもしれない。
しかし、僕の弱さが本局では至るところに出てしまった。取るに足らぬ、棋譜しか残せなかった。
まず始まり方からしていけない。ドタバタして電車に乗り遅れ、7分の遅刻。恐らく今期の遅刻数ランキングぶっちぎりの第1位であろう僕は(2位は郷田棋聖、藤井七段で競っている?)最近、遅刻しても精神的に動揺しなくなっていたのだが、9月に入ってからは初遅刻とあって真っ当に反省した。こんな負い目があっては、目を見開き、闘志をムキ出しにするどころではない。トイレに駆け込んで汗を拭い、息を整えた。しかし、こうしてだらしない自分を省みると、周りの人は早く身を固めたほうがいいと言うのも分かるような気がする。ただ遅刻はそれ以前の問題だ。いつも何をやっているんだろう。本当に困ったもんだ。
先手番になってしまったので、先日に続いて角換わりを志向した。まだ手探りの感は否めないが。
郷田棋聖の対策は、先月号の青野九段と似ていたが、1図の△3二金で決定的に変わった。ありがちな形だが、今いちこの後の一手一手が分からない。▲6六歩~▲1六歩はおかしな組み立てだったか。特に▲1六歩△4四歩の交換は損をした。先攻するつもりだったが、端の一手で立ち遅れてしまった。はなっから強く戦うつもりなら、端を省略して▲6八玉△7五歩▲2五歩△4四歩▲4五歩と指すべきだった。本譜は▲4五歩のところで▲1六歩と突いた計算になる。こんなバカな取り引きはなかった。角換わりにおける端歩のタイミングの重要性は承知していたつもりだったが、形でフラフラと指してしまった。
この交換で昼食休憩になったのは辛かった。早くも作戦失敗のセンスのなさと遅刻の罪を痛く感じた。
△7五歩と仕掛け、郷田さんの指し手はよどみがない。これまでの対戦では、お互い同じくらいの消費時間のペースだったので大分感じが違う。悩んでいるのは僕だけのようだ。
(中略)
正直言って僕は▲8五歩(3図)のところで▲8三歩△同飛▲7二角△8二飛▲6一角成△8三角▲同馬△同飛▲7二角の千日手もかなり真面目に考えた。この将棋をなかったものにしてしまいたかった。しかし、後手番になるのは仕方がないが、すでに1時間半の消費時間の開きが決断をためらわせた。もし、1時間以内の開きならばきっと僕は千日手を選んでいただろう。
(中略)
ただ、△4六歩(6図)の突き出しがめちゃくちゃ急所を衝いているのでまだ苦しそうだ。強く▲4六同銀がもしかしたら成立していたかもしれない。
(中略)
6図からの指し手
▲3八銀△5四角▲4三歩成△同金直▲2四歩△同銀▲6八玉△3六角▲5七金△4七角打▲同銀△同歩成▲6七金寄△5八と▲7九玉△4七角成▲2七飛△3六馬▲2八飛△6九銀(7図)
本譜の▲3八銀でも実際には大変だったのだが、好点の△5四角を打たれては苦しいとの思いが、△3六角に▲5七金の悪手を生んでしまった。第一感の▲4八歩の辛抱なら難しかった。△3五角▲5七金△5四歩で角のラインが受けづらいと読んだのだが、▲6一飛△5五歩▲6七金左で簡単に受かっていた。郷田棋聖は▲4八歩なら△7四歩の予定だったそうだが、全然自信はなかったらしく、▲5七金には驚いたようだ。△4七角打がひどいから。
僕は△4七角打なら角を手に入れて、後は軽く受け流せば大変ではないかと軽く見ていたのだからひどい。△3六馬を軽視し、7図の△6九銀を見落としていた。軽く受け流せるどころではない。ここで僕は1分将棋に突入し、郷田棋聖は残り59分、ここから一瞬でもチャンスが生まれるとはさすがに思えなかったが。
7図からの指し手
▲8八玉△3七馬▲2九飛△8六歩▲6九飛△同と▲8二飛△4二歩▲8一飛成△4八飛▲5七角(8図)
郷田棋聖ほどの者でも突然の必勝形に少し浮ついたのか、ここから信じられないようなミスが出る。
△8六歩では△8四桂で終わっていた。棋聖は▲6九飛を見落としていたらしい。
さらに△4八飛が▲5七角(8図)の粘りを生んだ悪手。5八か3八に打たれていたらはっきりだめだった。
8図からの指し手
△5八飛成▲6五歩△7九と▲6八金寄△5七竜▲同金寄△3六馬(9図)
▲6五歩と突き出し、少し希望が見えた。とは言えこのくらいで逆転するような将棋ではない。▲6六角を消すために△5四桂と打たれても、次の△6六歩が厳しく足らない。
△7九ともかなりありがたく▲6八金寄で竜を切らされてはおかしい。
▲5七同金寄の局面で郷田棋聖は6分考えている。さして考えずに△3六馬と引かれていれば、僕は▲4五歩と切り返していたことだろう。ところが最終盤での6分はかなり長い。僕は△5九馬と入られるのが嫌だった。▲5八金引で簡単に受かると思ったら△7八と▲同玉△6六桂がある。だから△5九馬には▲3三歩を利かして△同金寄に▲7一飛と詰めろをかけて・・・そんなことを読んでいたら△3六馬(9図)と指された。
9図からの指し手
▲9一竜△8四桂▲6七銀△8九と▲同 玉△8七歩成▲3三歩△同金寄▲6一飛△8一歩▲4五歩△5九角▲7八金△6九馬▲8八銀△同と▲同玉△7六歩▲9七玉△7七角成▲同金△9六馬▲8八玉△7九銀(投了図)まで、130手で後手勝ち
頭の中が真っ白になった。パニックになり、とりあえず香を取った。香を取った瞬間正気に返った。▲4五歩と打てば敵は一体どうしたと言うんだ!△8四桂と打たれて、またどうしようもなくなった。△8九と~△8七歩成が冷静な寄せ。▲6一飛に△8一歩で受けられるのが切ない。
感想戦で僕は▲4五歩ならどうしたんですかと聞いた。「取るしかない」と棋聖は言った。それなら竜を引っ張って大変だろう。△3六馬▲4五歩△同馬▲8六竜△5五銀▲3七桂△5九角▲6七金直(参考C図)。これなら勝機は充分にあったはずだ。
1分の空白だった。しかし、前にも同じようなことがあったなあ。同じことただ繰り返す。いずれにしても対郷田戦過去最低の内容だったことに間違いはない。こんな将棋を指しているようでは僕はただの皮肉屋に過ぎない。
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この自戦記は、5月13日の記事にも出てきている、行方尚史五段(当時)が締め切り目前の出張校正室で朝の10時から翌日午前1時までかかって一気に書いたもの。
自戦記の出だしの数行も、5月13日の記事に載っている。
→行方尚史五段(当時)「先週、僕のささやかな希望は打ち砕かれた」
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「ワーストバウト」という題名が付けられるほど、行方五段にとっては自分を責めたくなるような将棋。
NHK将棋講座6月号で佐藤天彦八段は、行方八段は自分が大事だと考えることにはとことんこだわる完璧主義者、反面、そのハードルに自身がとどかなかったとき、容赦なく自分を責めるところがある、と分析しているが、まさしく、そのような行方八段の姿勢が現れた自戦記と言えるだろう。
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「郷田将棋の真っ直ぐさが僕のいいところを引き出してくれたのだろう」と行方五段は書いているが、そういった面も、相手の得意戦型を避けずに真っ向からぶつかっていく郷田将棋の一つの特性なのだと思う。
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郷田真隆王将は観戦歴38年のプロレスファン。
郷田王将は、「一番好きなプロレスラーは?」の質問に、その精神力とハートの強さから故・三沢光晴選手、とインタビューで答えている。
「三沢光晴選手が負けるのはカウントが5でも10でも立てない時だけ。意識のある時は必ず3カウント以内にフォールを返していた」と郷田王将は語る。
三沢光晴選手は、ジャイアント馬場-ジャンボ鶴田-三沢光晴と続く全日本プロレスのトップレスラー。
三沢光晴選手のプロレスに対する姿勢は、当時の全日本プロレスがそうであったように、「相手の技を全て受け、なおかつ勝つ」というもの。
Wikipediaには、
三沢自身、「相手の得意技をわざと受けて身体的な強さをアピールする」ことがプロレスの最高の技術であり、それは「受け身への確固たる自信があるからこそ体現できる」ことだと述べている。三沢は相手の得意技をあえて受けて相手の特徴・長所を十分に引き出し、その上で勝利を目指すことが他の格闘技にはないプロレスの特徴であるとしている。
と書かれている。
郷田王将の棋風が全日本プロレスや三沢光晴選手に影響を受けたと考えるのは無理があるにしても、相手の得意型を避けずに真っ向からぶつかっていくところが両者の共通点。
2011年頃までの丸山-郷田戦で、先手の丸山九段の角換わり腰掛銀に何度も苦杯を喫しても、後手番で何度も角換わり腰掛銀を受けて立った郷田九段(当時)、これこそが郷田将棋の姿勢なのだと思う。