「酒を飲むのも立会人の仕事です」

近代将棋2005年1月号、故・池崎和記さんの「関西つれづれ日記」より。

10月某日

 清水-矢内の女流王位戦・第3局の観戦で佐賀県鳥栖市へ。両対局者とは福岡空港で合流し、西日本新聞社のマイクロバスで現地に入った。立会人は福岡市出身の中田功六段。

 前2局はいずれも清水さんの逆転勝ちだった。僕はネットで見ていて「矢内さん、実戦不足じゃないか……」と思った。

 地元ファンが集まった前夜祭で両対局者はこんなあいさつをした。新聞の観戦記では一部しか書けなかったので、ここでまとめて紹介しておこう。

 まず清水さんから。

「皆さん、きょう(18日)は何の日か、ご存じですか。冷凍食品の日なんだそうです。レイトウのトウで10月、また冷凍食品の保存温度がマイナス18度ということで(笑)こうなったそうです」

「どうしてこんな話をしますかといいますと、第1局、第2局と、若い挑戦者・矢内さんの猛攻を受けまして。身の凍りつくような攻めを粘りに粘って……ということがありまして。ですから、そのまま凍りついたままこちらに来たんですけど、皆さんの笑顔で解凍中です(笑)。明日はしっかりと、自分らしい将棋をご覧いただけるよう、盤上没我に務めたいと思います」

 次に矢内さん。

「6年ぶりに女流王位戦に戻ることができました。私は10歳で女流棋士になろうと思い、女流育成会に入会しましたが、当時から清水さんはタイトルを取っていて女流棋界のトップに立っていました。だから当然、私の目標であり、また、あこがれの先輩でした」

「清水さんはふだんはとってもやさしくて気さくな人で、私のくだらない話にも笑顔で応じてくれる大好きな先輩です。でも、ひとたび盤をはさむと、どこかから何かが降りてるんじゃないかと思うくらい(笑)人が変わって怖い先輩です。そんな先輩がいるのは幸運かどうかわかりませんが……」

「第1局、第2局と自分らしい将棋は指せたと思ってますが、トップの本当の強さを肌で感じて、あっと言う間にカド番に追い込まれてしまいました。大変苦しい状況ではありますが、ここからはトーナメント戦と思って力いっぱいぶつかっていこうと思います」

 2人ともスピーチがうまいですね。特に矢内さんの後半の部分がいい。苦しい胸の内を卒直に語っていて、僕もちょっとジーンとなった。

 前夜祭が終わると関係者だけの夕食会。もちろん前夜祭でも料理はいっぱい出たが、ファンの前でガツガツ食べるのはみっともないので、こうして別席を設けて下さるのである。

 中田六段が立会人の大役を務めるのは今回が初めて。で、最初は「緊張してます。きょうは酒を控えます」などと話していたが、三社連合の高林記者に「酒を飲むのも立会人の仕事です」と言われて、あっさり前言を撤回。

 高林さんも僕もそうだが、新聞社の方にすすめられるままに、ビール、日本酒、焼酎、洋酒……と、出てきたものは全部飲んだ。

 中田さんから面白い話を聞いた。彼は大山十五世名人の弟子で、中2のときに中学生名人戦で優勝してから関東奨励会に入ったが、東京での生活は小学卒業と同時に始めている。「絶対にプロになる」と決心し、本誌の永井英明さん宅に住み込んで修行したのだ。

”面白い話”というのは、両親に見送られて郷里(博多)を離れるときのエピソード。

「親父がね、僕に紙を渡して”これだけは守れ”って言うんですよ。3つ書いてあった。3ヵ条ですね」

「何と?」

「酒を飲むな、タバコを吸うな、マージャンをするな、と―」

「へーっ。小学校を出たばかりの中田さんに……」

「子供だから、酒とかマージャンといったって何もわからないでしょう。それで僕はどんなものだろうと思って順番に試しました。以来、全部やってます」(笑)

 3ヵ条は逆効果だったわけ。でも、お父さんはいい人です。間違いなく。

(以下略)

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絶妙な両対局者のスピーチ。

「どこかから何かが降りてるんじゃないかと思うくらい」という表現が面白い。これではまるで、恐山のイタコである。

また、それが対局中の矢内理絵子女流四段(当時)の実感でもあったのだろう。

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「酒を飲むのも立会人の仕事です」も殺し文句。

立会人を他の言葉に置き換えても効力を発揮する強力な言葉だ。

中田功七段は、小学校卒業の時の3ヵ条について、自戦記でも書いている。→中田功七段らしさ