将棋世界1987年1月号のグラビアより。文と写真は故・池崎和記さん。
棋風も性格も、体型(?)もまったく対照的な2人の新四段が誕生した。「序盤重視、外交的、スポーツマン」の神崎健二君に対し、「終盤型、内向的、階段を昇るのもイヤ」の村山聖君。共通しているのは「遊ばない」、これだけ。新四段の感想は?と聞いたら「順位戦制度が変わる前になれて嬉しい。目標はA級八段です」と神崎君。村山君は「……」。よく聞き取れない。えっ、何?「最終目標を達成できましたから……」。本心とは思えない。
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将棋世界1987年1月号、伊奈嘉文さんの「関西奨励会レポート」より。
四段にあと二番と迫っていた神崎、村山が、予想されていた両者の対決が無かった事もあって、共に2連勝ですんなり昇段した。内容的にも圧勝といった感じで、やはりこの二人、関西では頭一つ以上抜けた存在だった様だ。
まずは神崎健二新四段誕生の一局から、奨励会の大御所中山三段を迎えての先手番で、彼は▲7六歩△3四歩▲2二角成といきなり角交換に打って出た。
これぞ振り飛車党を居飛車に引きずり込む強引な神崎流。先後入れ替わって、棒銀対筋違い角のよくある型となったが、中山三段は「わしゃ、こんな将棋知らんのや」と言う様に指し手がぎこちなく、終始攻勢に回った神崎の圧倒するところとなった。9連勝での昇段は実に見事である。
続いて村山であるが、こちらは「止めてやる!」の気持ちが誰よりも強かったと思われる藤原三段との対戦。将棋は角交換の新旧対抗型へと進み1図。
ここで△7四角と遠見に放った手が、先手の早い▲6七金右を咎めた好手。以下▲5六歩△5五歩▲7九玉△5六歩▲同金△5二飛と、先手玉が不安定なまま決戦に持ち込んで早くも村山が一本取った形だ。
この後も、藤原の得意技ブチブチ戦法(対局中に、突然大声で訳の分からぬ事を言う)に惑わされる事なく寄せ切り、13勝4敗で昇段を決めた。
入会から卒業まで僅か2年11ヵ月。近来にない快記録である。
さて、両新四段の感想は次の通り。
神崎「村山君と当たらなくてラッキーでした。あのホッペタには刺激されましたね」
村山「これで人生の最終目標が達成できました」
なんなんだ!
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1986年11月5日、新四段が二人誕生した。
神崎健二四段(23歳)と村山聖四段(17歳)。
森内俊之三段、郷田真隆二段、佐藤康光二段、先崎学二段、丸山忠久初段、藤井猛3級だった時代。
羽生善治四段は前年の12月に四段になっている。
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ここに出てくる藤原三段は、現在の藤原直哉七段。
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池崎和記さんが撮った神崎新四段と村山新四段の写真。
11月上旬に撮影されたものだけれども、3月下旬か4月上旬の桜が咲く季節に撮られた写真のように見えてくるから不思議だ。
池崎さんの「おめでとう」という思いが写真に込められているような感じがする。