「こいつは弱そうなやつだから、ここではわざと負けて後でおいしくいただこう」

近代将棋1983年1月号、八尋ひろしさんの「駒と青春」より。

 奨励会への入会希望者は年々増えてきている。今年は71名の受験者数であった。

 受験者の中にはアマ強豪で鳴らした古作登君(19歳、松下九段門)中学生名人の中川大輔君(14歳、米長九段門)小学生名人の羽生義治君(12歳、二上九段門)らの顔もみえた。

 試験は筆記試験、一次試験、二次試験、そして面接試験とがある。筆記試験はごく常識的な問題ばかり。学校で普通の勉強をしていれば小学生でも100点がとれるようになっているそうだが、中には見事な点数をとる人もいるとか。勉強のできる人=将棋の強い人という式はいちがいには成り立たないようである。

 一次試験は10月3,4日に行われた。受験者同士の対局である。1日3局、2日にわたって6局指し3敗は失格。4勝2敗以上の成績を修めなければならない。

(中略)

 この一次試験は23名が通過した。残念ながら失格したものの中にも実力者はいたようである。

 二次試験は一次試験通過者と奨励会員の対局である。奨励会員にとっても昇級に関係する対局だけに必死である。だいぶ昔の入会試験、”こいつは弱そうなやつだからここではわざと負けて後でおいしくいただこう”と思っていたら急に強くなった相手においしくいただかれてしまった。関東の奨励会員が20名前後、受験者が2,3名というころの話。

(以下略)

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「羽生義治君」と書かれているように、この頃は、さすがの羽生善治竜王も、当然と言えば当然だが、現在ほど名前は有名ではない時代。まだ小学6年生だ。

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「こいつは弱そうなやつだからここではわざと負けて後でおいしくいただこう」

自分よりも弱い相手を奨励会に入会させて、白星を稼げる安全牌としておきたいというのは、たしかに実戦的な考え方だ。

しかし、やはり将棋の神様が見ているのだろう。

そうそう上手くはいかないものだ。