将棋世界1983年4月号、故・能智映さんの「寝る子は育つ」より。
プロ棋士は、勝負のためとあらば、生活習慣をもがらりと変えてしまうこともある。―あの中原誠十段も、その例にもれない。うんと若いころの話だ。
中原が奨励会の東西決戦で桐山清澄現八段を下して四段に昇段、一人前の棋士としてのスタートを切ったのは、昭和40年の9月10日だった。ご存知の方も多かろうが、そのスタートはかんばしいものではなかった。9月25日の第1戦では、宿命のライバルとなる米長邦雄現棋王に敗れ、29日の2戦目も山川次彦現八段(引退)に苦渋を飲まされている。
山川に敗れたすぐあと、中原は師匠の高柳敏夫八段の前に呼び出されている。きびしい態度だったらしい。ずばりと核心を突いてきたと聞く。
「負けた原因を考えてみろ!」
その剣幕に気圧された形だった中原だが、しばらく考えてから、こう考えた。
「どうも夜になるといけないようです」
師匠の鋭い目がここでなごんだ。そして静かな口調で注意を与えた。
「その通りだ。わかっているなら改めなくてはいけない。これからは徹夜する習慣をつけ、後半に入ってから力が出るよう生活を改善しなくてはいけない」
これは、高柳本人から聞いたエピソードだが、中原も後日、こうもらしてくれた。
「あの2連敗はこたえました。勝っていれば、その後すぐ対局がついたはずなんですが、負けてしまったので、その後約3ヵ月も対局がつきませんでした。それやこれやでちょっと悩みました。でも、高柳先生から注意を受けたことも含め、あの2連敗は結果的にはかえってよかったのかも知れません」
その3ヵ月の休みがあったのもよかったか、どうやら中原はその間に”勝負師の眠り方”を身につけたらしい。そのあと中原は11連勝して堂々と大海原に船を漕ぎ出して行ったのだ。
その中原の”朝寝坊”を証明する話はいろいろあるが、昨年の夏にわたし自身がきっかけを作ったエピソードは、話じょうずな内藤國雄王位がからんでいるだけに面白い。
その数日前、内藤は弟のようにかわいがっている谷川浩司八段を容赦なくたたきつけて王位戦の挑戦者となっていた。七番勝負が近付くと新聞は1ページをさいた特集を組む。その中には両対局者が語る”わたしの抱負”が組み込まれる。
この王位戦のときには、挑戦者決定戦と七番勝負第1局の間の日数がつまっていたので、わたしは中原、内藤の談話を電話で取ることにした。
そしてまずもう立派な寝坊になっている中原が起きる時間を待って10時に電話してみたが、安子夫人が出て「すみません、まだやすんでますので―」とのこと。ならば、と今度は神戸の内藤宅へ長距離電話。しかし、その日はあいにく日曜日だったので「土曜の夜は呑み過ぎるだろうから、まだ起きてはいないだろう」とまったくアテにはしていなかった。ところがである。「はいはい、内藤ですが―」とご本人のさわやかな声が響いてきた。
要件を告げると「で、中原さんはなんというとったですか?」と逆に聞いてきた。「こっちが威勢のいいことをブチあげても、相手のほうが控え目だったら、カッコ悪いからね」と内藤らしい細かい心遣いを見せる。
「いや、いま電話してみたんですが、中原さんはまだ寝てるんですよ」と答える。「なんや、弱ったね。でも、もう10時過ぎてんやないか」といい、そのあとに内藤流のユーモアあふれる言葉がとび出した。
「ほんまに寝とんのかいな。わしゃ、今朝5時半まで呑んどっても、いまちゃんと起きとるんやで。それなのに酒をあまり呑まん中原さんがまだ寝とるちゅうのは、ちょっとおかしいのとちがいますかねえ」
神戸生まれの内藤の口からは、話すたんびにこんなイギリス風なウイットに富んだ名言がとび出す。
そのジョークに感心して、大笑いして肝心の談話は「じゃあ、あとでいいですよ」と電話を切ってしまったわたしは、一体なにをやっているのだろうか。
しかし、これは電話の向こう側で内藤がえらそうに話していたこと。話半分ぐらいに聞いていたのだが、それからすぐにこの二人の対照的な場面を見ることになろうとは―。
その王位戦の1局目は長野県飯田市天竜峡の「龍峡亭」で行われ、内藤が勝った。みんなでがんがん呑みまくる。だが、さすがに中原は「ちょっと疲れたので―」と例によって11時ごろ自室にひっこんだ。
残ったのは内藤と観戦記担当の芹沢博文八段、立会人の板谷進八段、そして神戸新聞の中平記者とわたしだった。なんだか知らぬが、滅茶苦茶に呑んで、バカをいい合った。しまいには芹沢と中平記者が「オレの気持ちがわかるだろ」などといって抱き合ってジャレ出す始末。
「ずいぶん、おそうなったな」と時計を見たら、なんと5時半。「あれっ、夜が明けてんのか」と正気に戻った内藤、「わしゃ、あした(?)早いんでちょっと仮眠してくるわ」と立ち上がった。それを見た芹沢と中平記者、抱き合ったまま「オレたちも、同じ車で帰るゾ」と声をかけながら、まだグイグイ呑んで「えーい、もう寝るのはよそうや」とわめいていたのだが―。
朝7時、パッと目覚めた内藤が、最後まで二人がいた部屋に電話してみたが「だれも出てこんのや。わし一人で帰るで」と半ば怒って広島の講演に立っていった。
あとで、昨夜呑んだ部屋をのぞいて驚いた。芹沢と中平記者は、洋服のまま同じふとんにもぐり込んで大いびきだ。そして、どういうわけか、二人の間に黒い電気コードが這い込んでいる。「スワッ、同性心中!」とまでは思わなかったが、念のために上掛けをめくってみると、ふとんの中に電話がもぐり込んでいる。
騒ぎに目覚めた芹沢、寝ぼけまなこでこうボヤく。
「だれだ、朝早くから電話をかけてきたヤツは―。うるせいからふとんの中にひっぱり込んだのに、いつまでもジージー鳴ってやがって。ところで内藤はどこに寝てんだ?」
つい2、3時間前の約束をもうすっかり忘れてしまっているのだ。そして続けていう。
「板谷はどこいった。アイツまた例によって素っ裸で大イビキかいているんだろうな」―あまり大声ではいえぬが、”板谷の寝姿”を見て「気持ちワルー」といった人も多い。
(中略)
「ほんまは、年寄りは寝ないもんやけどなあ」というのは中平記者だ。
「亡くなった北村さん(秀治郎八段)や角田さん(三男七段)なんか、麻雀をはじめると、3日でも4日でも寝ないんやで」
弥次さん喜多さん、助さん格さんがどこでどうこんがらがってしまったのか、このキタさん・カクさんは「めしを食うのも見たことない」というように大ハッスルするという。
それで思い出した。東のほうにも変なご老人がいる。明治41年生まれで、まだまだ精力いっぱいという感じの坂口允彦九段だ。
ときに立会人などをお願いしても「まあだ、君らみたいなヘナチョコには負けんよ」とかいって、深夜遅くまで碁を打ち、麻雀に興じる。あまり遅くまでやっているので、われわれ呑兵衛グループは「勝手にやってくれ」とばかり自室に帰って呑むことになるのだが、パイの音はいつまでも消えない。
何年か前、「羽澤ガーデン」でおかしなことがあった。例によって麻雀を楽しむ坂口らを残して、われわれは午前1時ごろ自室にもどった。もちろん水割り道具一式をかかえてである。
呑むほうも呑んだが、あっちはあっちで延々と楽しんでいるらしい。そのうち、パイの音が消えたのには気付かなかった。芹沢だったか、「おい、もう4時だ。そろそろ寝るか」といい出した。こうなりゃ、当然ザコ寝だ。
そのとき、わたしは小用をもよおしたので廊下へ出た。すると薄暗がりのなか、だれかが向こうからやってくる。「羽澤ガーデン」は元満鉄総裁の邸だっただけに廊下は「犬神家」のように長い。双方から音もなく近付いていくのは少々気味悪かった。間隔が5メートルほどになったとき、ゆかたがけの相手から声がかかった。
「やあ、おはようおはよう。君もずいぶん早いな。早起きはいいことだ」
なんと坂口である。それにしても「おはよう」とはおかしい。「いや、ぼくはこれから寝るところですが―」といったら、「えっ、そうか。わたしは2時に寝て、いま起きたんだ」と平然としている。
「そうだった」。この人は「せっかく生きているのに寝ていたんでは、人生が短くなってしまう」といって、1日に2、3時間しか寝ないのだ。このときも、耳にイヤホーンをはめて、朝から音楽をたのしんでいるふうだった。そして妙なことをつぶやた。
「それは惜しいな。まだ起きてるんだったら珍しい声を聞かせてやるんだがなあ」
その瞬間は眠いので、その言葉を気にとめなかったが、ふとんに入ってからハッと気付き「あの人、おじいさんのくせにますます元気。あれはやっぱりポルノのテープか」とモンモンと眠れなくなってしまったものだった。
翌朝、それが話題になった。すると物知りの福本記者が吹き出した。
「みんな、あのテープ聞いたことないの?あれはね、実はカッパの声なんだ。わたしは聞かせてもらったよ。なんとも異様な声で貴重なものなんだってさ」
ほんとうかどうかは、まだ確かめていないが、深夜の大邸宅のウシミツ時に、老人が一人、カッパの奇声を聞き、にたにたしていると思うと背筋にスーッと冷たいものが走る。
(以下略)
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以前はこのブログの記事は夜から深夜にかけてに書いていたのだが、最近は早朝に書くことが多くなってきた。
やはり、頭がすっきりとした時間帯に取りかかれば良いのではないかという考えからそうなってきたのだけれども、こうなると早寝早起きの習慣が身に付いてしまい、夜に書こうと思っても眠くて書けなくなるというスパイラルに突入してしまう。
朝型、夜型、それぞれ一長一短があり、どちらが良いのかは一生かかっても結論は出せないと思うが、自分の中では早く夜型に戻りたいと思っている。
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故・坂口允彦九段は佐伯昌優九段の師匠なので、中村修九段、北浜健介八段などのお祖父さん筋にあたる。
現在の将棋界に、このカッパの声を聞いたことがある人は何人ぐらいいるのだろう。
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昨日の王座戦第1局の控え室に中原誠十六世名人が来訪している。
最近のタイトル戦の控え室には登場することのなかった中原十六世名人と渡辺明棋王が揃って同じ場所にいるというのは、ものすごい迫力を感じる。